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経済と人と歴史に関するshibusashiのブックマーク (2)

  • 中原伸之・元日銀審議委員が死去 孤立恐れず「緩和」提唱  - 日本経済新聞

    1日に死去した中原伸之氏はエネルギー業界や金融政策の論客として知られた。1986年に51歳で東亜燃料工業(現ENEOSホールディングス)の社長に就くと、炭素繊維などの次世代技術を研究。日の将来についての鋭い発言は当時の新聞をにぎわせた。98~2002年の日銀審議委員の在任中は量的緩和など新たな金融緩和策の導入を訴え続けた。麻布高校から東大、ハーバード大院へと進み、父が社長を務めていた東亜燃料

    中原伸之・元日銀審議委員が死去 孤立恐れず「緩和」提唱  - 日本経済新聞
    shibusashi
    shibusashi 2021/11/10
    『98~2002年の日銀審議委員の在任中は量的緩和など新たな金融緩和策の導入を訴え続けた。』『2000年8月のゼロ金利解除時には植田和男審議委員(当時)とともに反対に回った。』R.I.P.
  • 東洋一の星製薬と阿片事件 | 探検コム

    大航海時代、ヨーロッパ人のアジア進出を阻んだ大きな壁が、蚊が媒介する感染症マラリアでした。 南米ペルーに自生するキナという植物がマラリアに効くことは17世紀から知られていましたが、成分を薬にまで精製する技術はありませんでした。 ようやく19世紀の初頭、キニーネというアルカロイド成分の分離に成功、これがマラリアの特効薬となったことを受け、東南アジアの植民地化が進みました。 ペルー原産のキナは、その後、オランダ領ジャワに移植され、20世紀初頭にはジャワ産が世界市場を独占していました。 どうしてペルー原産の植物がジャワ島に移ったかというと、あるイギリス人がペルーの山中でもっとも医薬品に向いたキナ種を探し出し、これをイギリス政府に献上したものの、政府はまったく関心を示さない。そこで、この人物はオランダ政府にこの種を買ってもらったのです。キナの将来性に気づいたオランダ政府が、ジャワに移植し、特産品と

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