── 人は、見たいものしか、見えない ── 大天竺。悠久の国。喧騒と混沌の世界。 仏教への関心からインドを訪れる日本人の多くが、つい見落としてしまう‥‥或いは故意に目を向けようとしない‥‥ことの一つに、 《現実のインド民衆は何を楽しみとしているのか》 がある。敢えて言ってしまえば、そもそもそのこと自体に興味が無いのだ。あくまで日本人にとっての仏教、漠然とした〝お釈迦様のイメージ〟など、いわば「日本製の窓枠」からインドを覗いてみたい、というだけである。 勿論それは間違ったことではない。忙しい生活から資金と時間を捻出し、はるばる6000キロも旅して行くのだ。消費の当事者として、関心の幅まで他人からとやかく言われる筋合いはなかろう。だが、いや、だからこそ、見落としたり目を向けないでいたりするのは〝損なやり方〟ではないだろうか? かく申す私も、1992年に初めてインドを訪れた時は、そうだった。そし