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communicationとblogに関するshidhoのブックマーク (10)

  • Twitterに対する宮台真司の梅田望夫的ナイーブさのある反応: 愛と苦悩の日記

    宮台真司さえ、最近ビデオニュース・ドット・コムで「Twitter」にハマっていると言うようになった。 僕は話題が何であれ、宮台真司の鋭い問題点の指摘や、その論旨には大いに賛成だ。 ただ、この手の新しいツールに対する宮台真司の反応は、実に「おやじ臭い」。 梅田望夫的ナイーブさがある、と言い換えてもいい。 日の若者は、すでにモバゲーなどの携帯サイトや、携帯電話のSMSなどで、短いメッセージで、ほぼリアルタイムの連絡をとりあうことに慣れている。 なので、日の若者(といっても30代まで含まれるだろうが)に、はっきり言ってTwitterは不要だ。 日Twitterを使うのは、ちょうど宮台真司氏のように、情報感度が高く、情報リテラシーが高く、会社員と違って時間を自由に使える、一部の人々に限定される。 ふつうの若者は、いちいちパソコンを起動しなければいけないTwitterよりも、当然、携帯サイト

    shidho
    shidho 2009/07/02
    モバゲーが日本ではTwitter代わりに使われるだろう、ならわからなくもない。Twitter的サービスがTwitterである必要はないし。/ただこの人暗に「若者は自分のブログを読まない」と言ってるも同然になってるよなあ。
  • 求められているのは当たり前の誠実さではないだろうか - 僕と懐疑の関係

    はてな匿名ダイアリーの「http://anond.hatelabo.jp/20081222202621」というエントリを読んだ。「池田信夫ってそんなに変なことばかり言ってるか?」を受けて書かれたエントリだ。 8.a.自分のよく知らないことについては発言せず妥当性が高いと思われることについてしか発言しない口数が少ないが誠実な学者と、b.自分のよく知らないことであっても果敢に思考し、学問間のネットワーキングを図り、啓蒙することに価値を見いだす学者 という二種類の学者がいるのだとすれば、池田さんは後者(b)の部類に属する。 もともとは池田信夫氏へ言及なのだが、学者云々とは関係なく、アルファブロガーと呼ばれる人の多くは「また○○か」といわれる傾向に有る。具体例をあげれば、畑違いの分野に言及した弾氏やfinalvent氏のようなパターンである。 匿名ダイアリーの言う8(b)の立場は必要なのだろうし、

    求められているのは当たり前の誠実さではないだろうか - 僕と懐疑の関係
    shidho
    shidho 2008/12/25
    単純に彼同様「彼がおかしいのは経済界では常識」と切って捨てておけばいいのかどうか。/よく言われる「24時間の目の奪い合い」世界では要検証な論説はそのまま害となるかも。/そういや http://tinyurl.com/6tv5z7 書いたな
  • 体験版はネットで。製品版はリアルで。 | ニセモノの良心

    僕はネットの可能性を信じていた。 ニュースの現場にいた場合や当事者の場合、 それを取り上げた報道記事やニュース映像、あいまいさや切り取り不足、主観的感想の差(盛り上がっていたはずなのに、つまらなそう書かれたとか)等が感じられることはよくある。 同じように、自分の専門範囲のことが記事になったとき、記者の勉強不足や認識間違いなど、とてもよく分かることがある。 だから、僕はネットの可能性を信じていた。 それは、一次ソースを集約可能なアーキテクチャであること、さらに、その分野の専門家の意見を取捨選択して聞けることで、新しい報道の形が見えていたから。 もっと端的に言えば「みんなで得意分野を持ち寄れば、そしてそれを批評しあえば今のマスコミよりマシじゃね?」ってこと。 おそらく3年前の「ブログジャーナリズム」ブームってこの可能性のことだったのではないかと思う。湯川さんの読んでいないけどさ。 まぁ少なく

    体験版はネットで。製品版はリアルで。 | ニセモノの良心
    shidho
    shidho 2008/11/27
    「ネットは体験版」が進むということは、「全てのネット上コンテンツは広告である」へ進むことと同義でもあると思う。
  • これでスッキリ!「釣り」の対処法 - ココロ社

    20世紀のインターネットにおいて猛威を振るっていた「荒らし」。その正体はミルクボーロとミルクセーキが大好きな、夢いっぱいの寂しがり屋さんなのですが、「荒らしは放置」という方針の浸透により、無視された荒らしさんたちはハンカチの端をカミカミ…「そんなことしても寂しさは止まらない!」ということで考案されたのが「釣り」です。 「釣り」が好きな人は、反論を誘うような言葉を書き込んで、ムキになって反論する人を眺め、「ホッホッホ…ムキになっとる」と、勝ち組気分を味わうようになります。 あるいは、真剣に書いたつもりだったが見事に論破されて、事後的に「あれは釣りだったんだ」と虚偽の弁明をするケースもあるでしょう。 時間をどう浪費するかは個人の自由なので、釣りたければお好きなように…と思いますが、見ていると若干サディスティックな気持ちになってしまうときもありますよね。そんなサディスティックな秋の夜に最適な「釣

    これでスッキリ!「釣り」の対処法 - ココロ社
  • 恋愛に消極的な人にオススメ、「待ちモテ」の術! - ココロ社 ♪ほのぼの四次元ブログ♪

    男性諸氏におかれましては、どうやって女にモテるか?について思案を重ねて脳がバター状になっている頃合いかと思います…が、「モテたい」とか「恋がしたい」などとぼんやり考えていると、だいたい3つの観点で正論的なサムシングが飛んでくるので、世の中は生きづらい!たとえばこんな感じでしょうか。 【1】漠然と考えているだけで、行動に移さないのはおかしい!傷つくのが怖いの?要は…勇気がないんでしょ? 【2】恋愛とは個別具体的なものであるので、漠然と「彼女がほしい」とかそういうのはダメだねー 【3】いやいや、モテはテクニックではないので、モテるために策を立てるやつはモテないねー 積極性のない人でも、戦略次第でなんとかなる 【1】は、正論だと思います。たしかに、「YESと言ってくれる女の人が現れるまで、片っ端からアタックし続ける」というやり方をとれるのなら、すぐ彼女ができるでしょう。そして、積極性満載の人とい

    恋愛に消極的な人にオススメ、「待ちモテ」の術! - ココロ社 ♪ほのぼの四次元ブログ♪
    shidho
    shidho 2008/09/10
    ただただブログを書いていてもモテない時代なのか。
  • Rauru Blog >> Blog Archive >> 敗北の儀式

    shidho
    shidho 2007/12/22
    そうなんだけど、読めない人にはそれが敗北宣言に読めないので延々続いてしまうんだよね。/「匿名の馬鹿はこれ以上相手にしないことにする」とか。
  • 私がソーシャルブックマークにネガコメを書かない4つの理由 - すちゃらかな日常 松岡美樹

    私は議論が大好きな人間だ。だけど個人的信条として、相手の反論権が担保されない場では相手に対して否定的なことはあまり書かない。いや別にモラルがどうたらの話じゃない。反論がこない状況では、議論にならないから気が乗らないのである。 ソーシャルブックマークのコメント欄は文字数制限があることと、レスを返せないという2点がブログ体のコメント欄より劣っており、それがブロガー自身に悪印象を与えるようなコメントに結びつくことも多いのではないだろうか。 ●北の大地から送る物欲日記『ブックマークコメントを見る視点での違い』 文中で筆者のhejihoguさんは、ネガティブ・コメントを4つに分類した上でこう分析している。おおむね同意できるご意見だ。ソーシャルブックマーク(以下、SBM)は機能上、自由に相手と往復書簡を送り合い議論する仕様になってない。 だからブクマ・コメントで異論・反論を述べられると、批判された側

    私がソーシャルブックマークにネガコメを書かない4つの理由 - すちゃらかな日常 松岡美樹
    shidho
    shidho 2007/12/11
    その議論スタイルには「相手がコメント・トラックバックを承認制にしたり削除したりせず、基本的に受け付ける」が当たり前にあることが前提だな。
  • ブロガーの行動規範、はやはり無理なのだろうか - YAMDAS現更新履歴

    予めエチケットペーパーを敷いておくと、これから当方が書くのは一般論、というか特定の対象に絞らないぼんやりした話である。以下にリンクする文章で主に話題になっている(と思われる)人のブログは読んだことがなく、特にコメントする立場にない。 あと今日の画像も Wikimedia Commons より。 当に忌むべき暴力とは、実は個々の罵倒でも罵倒者でもない。論理立てた批判も議論もせず罵倒を繰り返す者を許容することで、罵倒された人々を二重に罵倒することになる「場」である。そういう「場」を、人間関係のしがらみによって曖昧に維持しようとする人々である。そこにあるどうしようもない想像力のなさ、鈍感さの中に、真の暴力性は孕まれている。 absoluteweb.jp - Amazon のおすすめ 大野左紀子さんの「ネット上の暴力」、並びに加野瀬未友さんの「罵倒を芸風とかキャラクターだとして容認する場こそが問

    ブロガーの行動規範、はやはり無理なのだろうか - YAMDAS現更新履歴
    shidho
    shidho 2007/06/14
    行動する選択があると、その行動の有無が是非と取られる問題の現れの一つ、なのかな。とりあえず考える。
  • ブログ主にスルー力を求めることのコスト - la_causette

    ブログ主に高度の「スルー力」を求めることでコメント欄等での誹謗中傷問題を解決しようとすると、ブログを用いて情報発信することのハードルは高くなります。特に、誹謗中傷や人格攻撃を執拗に受けて非常に不愉快な思いをしてまで無償で公衆に向けて情報発信をしなくとも情報発信をすることが可能な専門家や著名人がブログを用いて無償で情報発信を行おうというインセンティブは大いに削がれることになります。といいますか、いくら誹謗中傷をしても、これに耐えて、引き続き無償で質の高いエントリーをアップロードしてくれる人が次々と参入してくれると期待する法が虫がよすぎると言えます。 実際、少なくとも法学系について言えばすでにその弊害は発生しており、日では、法律家系ブロガーはなかなか増えません。サイバー法系や知財系はネットとの親和性が高いし、粘着くん等の行動も研究の範囲内に含まれるのでまだしも、伝統的な法領域の研究者は、若手

    ブログ主にスルー力を求めることのコスト - la_causette
    shidho
    shidho 2007/06/13
    ていうか、無償でブログを書いてる人は何を求めてブログを書いてるのかね?「先生すごいねさすがです」ってほめてほしいから書くのかね?メリットがないから書かないなら、それでいいじゃない。
  • Life is beautiful: あえて断定せずに説得力を増すテクニック

    少し前のエントリーで紹介した、「The ten faces of innovation」。内容とは直接関係がないが、興味深い文章術が使われていたので、今日はそれに関するエントリー。 まずは、下の文章を読んでいただきたい。 一昔前まで、Cleaveland Indiansは「弱小球団」の代名詞であった。地区優勝をしたことが無いばかりか、勝率が5割を上回ることすらめったになかった。しかし、1994年にIndiansは大きく変わったのである。1994年はリーグで一番の勝率をかせぎ(ただしストライキのためにシーズンは途中で終了)、1995年には念願のリーグ優勝を果たした。 何が変わったのだろう。監督も同じ、選手もほぼ同じメンバーである。一つだけ変わったものは球場である。都心から離れた所にある収容人数8万人の巨大で古びた球場から、都心にある収容人数4万人の新しい球場に移ったのである。 つまり、Ind

    shidho
    shidho 2006/07/13
    こういうにおわせメソッドを使う文章には今後どんどんツッコミ入れてこのメソッドをコモディティ化してしまおう。
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