2NTは無料ブログ、無料ホームページ等、楽しいWEB Lifeをお届けするポータルサイトです。
2NTは無料ブログ、無料ホームページ等、楽しいWEB Lifeをお届けするポータルサイトです。
最近知ったとあるはてなーさんの、書くものが素敵だなあと思い、さかのぼって読んでいたその方のポストやその他から、いくつか思うところがあった。あまり他人には話していないことなので、anonymousで書く。 わたしには両親と弟がいる。母はわたしが生まれた直後から精神分裂症を患っていた。(あえて精神分裂症と書く。このころはそう呼びつけていたので)小学校低学年までは、母との生活は(今にして思えば)まったく筋が通らないことばかりで、いつも、なぜここで怒られるのだろう?とか、なぜ今日はあんなにものすごく褒められたのだろう、とか、謎ばかりだった。生育環境が特殊だったせいも幾分かはあるのだろうが、わたしはとにかく人と違ったことをしたがる子どもだった。それが物事を杓子定規に進めたがる母の気にいらなかったらしく、なにか思いついて喜び勇んでぶちあげると、必ずひどくしかられた。10歳くらいまでは、ひきずりまわされ
Lesson472 「余分」のある言葉 4 きょうは、「余分のある言葉シリーズ」の最終回として、 現時点での、私の考えを述べてみたい。 もしも、私が、「余分のある言葉」を発し、 相手に「負担」になってしまっていたら、 また、それに気づいてしまったとしたら、どうするか? 誤解を恐れず、結論から言えば、 1.相手とのコミュニケーションの「面積」を減らす。 2.その分自分と交信し、自分が「やりたいこと」をやる。 3.2を「勇気」を出し、労を惜しまず、 創意工夫をこらし、時間をかけてとことんやる。 具体的にどういうことか? 説明するまえに、 ヒントとなったおたよりを読んでほしい。 <甘えてるよなあ> 言葉についてる「余分」は、 それを受け取る相手に対する「お願い、望み、期待」 みたいなものなのかなあと思いました。 だから、問題なのは「余分」ではなくて、 それに対する言葉が「足らない」ことと思います
神戸大学入学式における記念講演 京都大学 iPS細胞研究センター長/再生医科学研究所教授 山 中 伸 弥氏 (2008年4月8日、神戸ポートアイランドホール) 「iPS細胞研究で学んだこと」 本日は新入生の皆さん、本当に入学おめでとうございます。 そして保護者の皆さん、本当におめでとうございます。 実は私にも娘が2人おりまして、上の娘がこの4月に大学に行きました。 保護者の皆さんと同じ立場です。 子供であった娘が、気が付いたら大きくなって、大学生になって、親離れしようとしていて、 親としてはどう子離れしていいのか分らず、毎日困り果てております。 ですから、子離れすることについては、何のアドバイスもできません。 できましたら、乗り越え方があれば教えていただきたいと思っています。 新入生の諸君、私が入学したのは1981年です。27年前です。 ということは、ここに
はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28
人間関係で一番難しいのは、距離感をつかむことじゃないかなと思います。 距離が近すぎれば自分の領域が侵害されますので息苦しくなり、つぶされるような状況に置かれることもあるでしょう。かたや距離が遠すぎると疎外され孤立していると感じてしまう。近すぎても遠すぎても、ダメ。もちろん近い遠いを感じる距離は、各々違うわけなので余計難しい。ウェットな付き合いを好む人もいれば、ドライな付き合いを好む人もいます。僕は気分屋で気難しい上に多少の距離を求めるドライな性格なので、不必要に距離感をつめられるのは結構ツラく感じます。 距離感でぐぐっても今ひとついいなぁと思うのが無かったので、僕が学んだ幾つかのことを書いておきます。 距離は詰めるものじゃない 距離は縮まっていくものであって、詰めていくものではない。 カリスマホストの零二が言ってたんですが、「相手に何かを与えることが出来るやつはゴマンといるけど、その相手に
Lesson451 幸せな人も傷ついている 先日、ずっと仕事を続けてきてよかった、 と思うことがあった。 白い夏のセーラー服を着た1100人の女子高生、 その前で、私は、 「読む歓び、書く歓び」について講演をした。 それはまるで奇跡のように、 1100人の多感な10代と響き合い、通じ合い、 ひとつになれた瞬間だった。 通じた! という手ごたえが、ひしひしとあった。 高校生が次の授業に遅れることさえかまわず、 出口で待ってくれていて、 「ことばにできないけれど、ものすごい感動しました」 と伝えてくれた。 高校生のことは、 小論文の編集者時代から、 ずっとずっと4半世紀にわたって、 想いに想い、考えに考えてきた。 人はなぜものを読まなければならないのか? 人はなぜ書かねばならないか? それも、私がずっとライフワークとして 教育において取り組んできたテーマだ。 予期せぬ運命で、 編集者を辞めざる
MY LIFE-Expression- デカルトの『方法序説』に出てくる有名な言葉として、「我思う。故に我あり。」というのがあります。ヘレン・ケラーは、この言葉に出会ったとき、自分の肉体的ハンディは自分の本質ではない、本質は自分の心にある、という己の信念を力強く支える言葉に出会ったと述懐しています。 Mine has been the limited experience of one who lives in a world without color and without sound. But ever since my student days I have had a joyous certainty that my physical handicaps were not an essential part of my being, since they were not in
2009年3月31日 はて○ 面接選考結果につきまして うさぎ様 株式会社はてな人事部 平村です。 この度は選考に時間を要し、ご連絡が遅くなりまして 誠に申し訳ございません。心よりお詫び申し上げます。 先日の面接内容など踏まえ、弊社にて慎重に選考を重ねました。 うさぎ様が大変優秀かつ、多様な経験をされた方と認識させて頂きましたが、 まことに残念ながら今回の採用についてはご期待に添えない結果となりました。 弊社といたしましても大変苦慮したうえでの決定であることを申し添えます。 多数の企業の中から弊社を選び、ご応募頂きましたことを深謝致しますとともに、 うさぎ様の今後一層のご活躍をお祈り申し上げます。 「残念でならない」と、「川崎さん、もっと推せよ・・・」と。 他力本願のようだけど面接終わって結果を待つだけなので他力本願にならざるを得なくて、というか逆に言うとあの酷すぎる二次面接に通るには、川
■WBCの決勝戦のとき、総理番記者たちも番小屋(官邸内にある総理番記者らの作業室。総理執務室前を映すモニターがあり人の出入りが確認できる)で、テレビにかじりついていた。私は外のエントランスホールにいたが、9回裏でダルビッシュが打たれたときの悲鳴もイチローのタイムリーのときの歓声もエントランス中に響いていたよ。 ■実は私は野球があまり好きではない。新人記者時代の高校野球地方予選取材やリトル・リーグ取材でトラウマがある。いくつも試合かけもちで、炎天下の中でスコアブックつけて写真とって原稿をかくという超ハードな仕事で、若さと体力だけでするようなもんなのだが、これがミスしやすい。自分で撮った写真ですら、同じようなカットば何枚もあるから、何試合の何の場面だったか勘違いしてえとき間違ったりするのだ。 ■あのころは暗室現像とか電送とか全部自分でするんで、自分が間違ったら最後、誰も救えない。で、翌日の新聞
TBSの『ニュースの森』のメインキャスター、 編集長、ニューヨーク支局長、 「NEWS23 X(クロス)」の メインキャスターを経て、 現在、BS−TBS『報道1930』の キャスター編集長をつとめている松原耕二さん。 いつもの仕事とはまた別に、 コラムニストとしての目で、いろんな人を観察したり、 いろんな人生に共振してきたようです。 誰も見ていなくても「ぼくは見ておこう」と、 松原さんが、心の奥の図書館に一冊ずつ集めてきた さまざまな「人々の生き方」を、 「ほぼ日」に分けてもらうことにしました。 松原耕二さんのtwitter 2001年から2006年までのタイトルは こちらからお読みいただけます。 令和は世代間闘争の時代になるのか、 というテーマで、 首都圏の大学生16人に グループインタビューをしたのだけれど、 その中で、今の若者像が垣間見える声もあった。 たとえば、就職した会社に一生
友だちでも仕事仲間でも家族でも恋人でも、 このひとを大切にしたいなーと思ったらいろいろしてあげたくなりますが、 わたしはたいした人間ではないので、なにか相手に素晴らしいことをしてあげるぞ! なんて期待を自分にしすぎて膨れてぺしゃんこになったことが多々(数え切れないくらい)ありまして、 最近はそういうことはあまりせずに、ただひとつのことだけを心がけるようにしています。 それは絶対に自信をくじかないということ。 自信をもってもらうヒントをたくさん見つけて伝えること。 つらいことや悲しいことから守ってくれるのは 最終的には自分が他人に肯定されている、愛されている、 という自信だけだと思っていて、それをいかにたくさん、 一緒に見つけられるかだと思っています。 それはどんなことでもよくて、 電話の声が素敵だね、とか 笑った皺がかわいいね、とか お茶碗の洗い方が丁寧だね、とか、 ほんとにもうなんでも、
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く