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ズーニーに関するtomomiiのブックマーク (9)

  • ほぼ日刊イトイ新聞 - おとなの小論文教室。

    Lesson617 友は恋よりうつろいやすく 3 失恋の歌はたくさんあるが、 「失友」の歌は少ない。 それだけに、この読者メール、 失恋ソングより、グッ、とくる。 まず読んでほしい。 <ほこりをかぶった特等席> 失恋ならぬ「失友」。 この数年、私の心の一部の空虚感を うまく言いえてくれているように思いました。 私たちは小学生からの友達で、 進学しても離れて暮らしても 気持ちを通わせていました。 彼女が就職して、 私も結婚してという事が重なったあたりから 徐々に遠くなってしまいました。 彼女の職業は大変忙しく また責任も伴い転勤もあり、 今までのようにはいかないなとは思っていましたが 赴任先へ訪ねて行ったり、 手紙を出したり、 私は、私が彼女の事を好きで 友達だと思っていればそれでいい と考えていました。 自分の心の中に何客か特等席があって、 その内の彼女の席を 彼女がいつでも座れるように

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    Lesson615 友は恋よりうつろいやすく 私たちには、どうも、 「恋は壊れやすいけど、友だちは一生」 という先入観があるようだ。 でも、ほんとにそうか? 「こっちは好きでも、 同じように好いてはもらえない友情」 について先週書いたら、 編集者さんが、 こんな衝撃的な言葉を教えてくれた! <友情は季節に咲く花> 片思いの友情‥‥、 たまたま読んでいた松浦理英子さんのインタビューで 深沢七郎さんの言葉の 「友情は季節に咲く花のようなものだと思っています。 季節が終われば花は枯れる。 そこを立ち去って次の花に出会うだけだ」 とおっしゃっていたのが心に残っていました。 (MSN産経ニュース2012年10月9日付より抜粋引用) 時間や気候や、またタイミングが合えば おなじ花が開くかもしれないですしね。 (編集者Sさんからのメール) 「友情は季節に咲く花」 厳しくもあるが、 友情は永遠という固定観

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    Lesson520 失恋論 3.恋のとむらい 一通、一通、 失った恋への、せつないメールが届いている。 読者の a to z さんは言う、 「失恋論の生の声、 どうしてこんなに胸を打たれるんでしょう。 以前、転機のときも、 失恋された方の話に、言葉に、 切実さが滲み出ていて何度も読み返しました」 ほんとにそうだ。 胸を打たれ、 ぐっと涙が込み上げる。 痛々しいのに、清清しい。 清清しいのに、痛々しい。 読み終わったあと、ふしぎに 前に向かった意志の風が吹いている。 きょうは、 さまざまな読者のメールを紹介し、 そこで、 なにか考察をしていく というのではなく、 一通、一通に込められた 想いをそのままに受け取りながら、 供養というんだろうか、 「恋のとむらい」をしてみたい。 <彼を応援することが私のすべてでした> 2年前に失恋した彼を思いながら読みました。 私は当時彼の生き方に憧れ、 彼を応

  • 失恋論 : ほぼ日刊イトイ新聞 - おとなの小論文教室。

    Lesson518 失恋論 失恋ぐらいで人は死なない。 死ぬ人もいるんだろうが、 大多数の人は、 それでも生きなくちゃいけない。 これがツライ。 生かさぬように、殺さぬように、 すれすれのいいとこ 突いてくるんだよなぁ、失恋のボディーブローは。 色がなくなる。 ごはんがべられなくなる。 なにかに気を向けると、 「だから何?」 とすぐさま無意味感がしのびよる。 なにかやろうと、元気になろうと あがけばあがくほど、 ずぶずぶと、蟻地獄のように、 虚無感に飲み込まれていく。 虚しい。 「人間にはなぜ、これほど過酷な 失恋の痛みが課されているんだろう?」 少なくとも2年はツライと言う。 人によっては、5年も6年も……。 その間、げっそり痩せ、 気力をなくし、能率は落ち、 だれと会っても、出逢いをモノにできず。 生命の戦略としても、 失恋の痛みを軽減したほうが、 人はリスクなく、 恋愛にどんどん飛

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    Lesson472 「余分」のある言葉 4 きょうは、「余分のある言葉シリーズ」の最終回として、 現時点での、私の考えを述べてみたい。 もしも、私が、「余分のある言葉」を発し、 相手に「負担」になってしまっていたら、 また、それに気づいてしまったとしたら、どうするか? 誤解を恐れず、結論から言えば、 1.相手とのコミュニケーションの「面積」を減らす。 2.その分自分と交信し、自分が「やりたいこと」をやる。 3.2を「勇気」を出し、労を惜しまず、 創意工夫をこらし、時間をかけてとことんやる。 具体的にどういうことか? 説明するまえに、 ヒントとなったおたよりを読んでほしい。 <甘えてるよなあ> 言葉についてる「余分」は、 それを受け取る相手に対する「お願い、望み、期待」 みたいなものなのかなあと思いました。 だから、問題なのは「余分」ではなくて、 それに対する言葉が「足らない」ことと思います

  • ほぼ日刊イトイ新聞 - おとなの小論文教室。

    Lesson457 どんな人とつきあいたいですか? 最近、教育現場で、 とっても妙な話を聞いた。 ともだち同士の「つりあい」の話だ。 たとえば、高校生なら 高校生の女の子同士で、 「あの子のともだちが、 私じゃ、つりあいがとれないから、 私は身をひく」 という感じで、自分でつりあいを気にして、 ともだちになれる人と、 高嶺の花とを、ランクわけし、 ふつりあいなら、興味ある相手でも、 近づかないで、身をひくというのだ。 明治時代の結婚の話なら、 「格がちがう」とか、 「どっちが立派すぎる」とか、 「つりあいがとれない」とか、 おかしなケチをつけて身をひくという話も あったのかもしれないが、 これは「平成」の時代の、 しかも「ともだち」に関する話なのだ。 格差社会といわれて久しい。 親の年収が、 子どもの経験の幅に影響する、 そのようなケースさえ、場合によってはあると聞く。 つまり、豊かな家庭

  • ほぼ日刊イトイ新聞 - おとなの小論文教室「選択の後、つらくなったっていい」

    Lesson419 選択の後、つらくなったっていい 人生の大きな選択をしたあと、 しばらくたって、 だれでも一度は不安がよぎる。 「自分の選択は正しかったのだろうか。」 そのときに、 「今がつらいから自分は選択を誤った」 「今が楽しいから自分は正しかった」 と考える人がいる。 これはいいことなんだろうか? 私は、選択というものは、 決めるときより、その後を生きる方が何倍もしんどい と思っている。 前に進む選択をした人に、 むしろ、つらい時期がくるのは当然ではないか。 だから、つらくなったっていい。 その選択はまちがっていない、 ということを、きょうは改めて伝えたいと思う。 スポーツ選手の引退にしても、 芸能人の離婚にしても、 身近な人の退職や、起業にしても、 一大決心をした、そのときに、 マスコミも、人も、光をあてる。 ヒーローにするときもある。 でも、その後の地道な取り組みは、 なかなか

  • ほぼ日刊イトイ新聞 - おとなの小論文教室。

    Lesson451 幸せな人も傷ついている 先日、ずっと仕事を続けてきてよかった、 と思うことがあった。 白い夏のセーラー服を着た1100人の女子高生、 その前で、私は、 「読む歓び、書く歓び」について講演をした。 それはまるで奇跡のように、 1100人の多感な10代と響き合い、通じ合い、 ひとつになれた瞬間だった。 通じた! という手ごたえが、ひしひしとあった。 高校生が次の授業に遅れることさえかまわず、 出口で待ってくれていて、 「ことばにできないけれど、ものすごい感動しました」 と伝えてくれた。 高校生のことは、 小論文の編集者時代から、 ずっとずっと4半世紀にわたって、 想いに想い、考えに考えてきた。 人はなぜものを読まなければならないのか? 人はなぜ書かねばならないか? それも、私がずっとライフワークとして 教育において取り組んできたテーマだ。 予期せぬ運命で、 編集者を辞めざる

  • Lesson433 自分らしい表現方法をもつ2 ほぼ日刊イトイ新聞 - おとなの小論文教室。

    Lesson433 自分らしい表現方法をもつ2 自分らしい表現をしていくために、 タテ+ヨコふたつの表現力が要る。 ひとつは「意味」を語る表現力、 もうひとつは「美」を語る表現力。 読者のみなさんのなかには、 「ズーニーさんの文章、小説の文章とはちがうな、 どこがちがうんだろう」と思った人もいるかもしれない。 同じ文章表現力といっても、 「小説」と「小論文」はまったく違う。 同じ水泳といっても、 「水球」と「シンクロナイズドスイミング」が違うくらい、 ゴールも、求められる能力も、 ぜんぜん別の競技だ。 もっともわかりやすい違いは、「修飾語」だ。 「小論文」は意味を語る文章だ。 修飾語はなるべく排除して書く。 修飾語を多用すると、 「その件はもくもくとやります」というように 事実関係が曖昧になるからだ。 「その件は、野村さんが3月末までに仕上げます」 というように、主語と動詞を中心に書く。

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