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戦争と事件に関するJohn_Kawanishiのブックマーク (5)

  • 車のカーナビもぎ取る 逮捕の男「プーチン許せなかった」 | カナロコ by 神奈川新聞

    神奈川県警青葉署は30日、器物損壊の疑いで、横浜市青葉区の無職の男(38)を現行犯逮捕した。 逮捕容疑は、同日正午ごろ、同区荏田西1丁目のマンション駐車場で、駐車中のワゴン車に乗り込んで…

    車のカーナビもぎ取る 逮捕の男「プーチン許せなかった」 | カナロコ by 神奈川新聞
    John_Kawanishi
    John_Kawanishi 2022/03/31
    「署によるとWagon車は当時、無施錠だったという。所有者の男性(55)はRussiaとは関係がなく男との面識もないという」マジカよプーチン最低だな(焦
  • 真夜中の虐殺 - Wikipedia

    真夜中の虐殺(Midnight Massacre[1])とは、第二次世界大戦末期のアメリカ合衆国で起こった戦争捕虜の殺害事件である。1945年7月8日未明、ユタ州サライナ(英語版)の捕虜収容所で看守を務めていた米陸軍のクラレンス・V・ベルトゥッチ二等兵(Clarence V. Bertucci)が、収容されていた旧ナチス・ドイツの捕虜を機関銃で銃撃し、9人を殺害、20人を負傷させた。この事件は「アメリカ史上最悪の捕虜収容所における虐殺」(the worst massacre at a POW camp in U.S. history)とも言われる。第二次世界大戦中に枢軸軍捕虜の殺害に関する起訴を受けた米軍人は3人のみであったが、ベルトゥッチもその1人であった。この事件が発生した時点でナチス・ドイツは降伏しており、欧州における第二次世界大戦は事実上終結していた[2][3]。 背景[編集] 第

  • 【画像大量】秘密結社と犯罪組織を淡々と紹介していく : 暇人\(^o^)/速報 - ライブドアブログ

    【画像大量】秘密結社と犯罪組織を淡々と紹介していく Tweet 1: 名無しさん@おーぷん 2015/06/07(日)17:29:15 ID:bHm 関連スレ ◆【男性閲覧注意】淡々と画像を貼るスレ カワイイはつくれる編 ◆【画像大量】淡々と画像を貼るスレ ゆるキャラ編 ◆【画像あり】カルト教団と新興宗教を淡々と紹介していく ◆【閲覧注意】淡々と画像を貼るスレ 恐怖症編 ◆【画像大量】淡々と画像を貼るスレ 巨大建造物・彫刻編 ◆【画像大量】淡々とスポーツ女子の画像を貼るスレ ◆【画像大量】淡々と画像を貼るスレ 広告・メッセージ編 ◆【画像大量】淡々と画像を貼るスレ 廃船・難破船編 ハラデイ 3: 名無しさん@おーぷん 2015/06/07(日)17:39:19 ID:bHm 犯罪組織の主な活動は、 殺人/暴行/暗殺/共謀/拷問/誘拐/人身売買/放火/窃盗・強盗/密輸・密造 麻薬・銃の販売/

    【画像大量】秘密結社と犯罪組織を淡々と紹介していく : 暇人\(^o^)/速報 - ライブドアブログ
  • Yahoo!ニュース - 南ア人質、解放直前に処刑=イエメンでの救出作戦失敗で―米紙 (時事通信)

    【ニューヨーク時事】イエメンで6日未明、米軍特殊部隊がテロ組織から米国人人質の救出を試み、失敗した問題で、同じく捕らわれの身だった南アフリカ人の男性人質は身代金と引き換えに解放される寸前だったことが分かった。そのタイミングで救出作戦が行われ、米国人と共に処刑されたという。8日付の米紙ニューヨーク・タイムズが報じた。 南ア人人質は教師としてイエメン入りしていたピエール・コーキー氏(54)。昨年5月、と共に拉致された。南アに部を置く人道支援組織の関係者が1年半におよぶ解放交渉を行い、は今年1月に身代金なしで解放。11月下旬には20万ドル(約2400万円)と引き換えにコーキー氏を解放することで話がついた。 だが、関係者らが車に身代金を積み、身柄を引き取りに南部のアデンを出発する寸前の6日朝、救出作戦が数時間前に強行され、コーキー氏が処刑されたことが分かった。テロ組織との約束で、米国やイ

  • 朝日新聞デジタル:苦しむ人々の視点、貫いた 山本さん、父母の背追う - 社会

    東日大震災直後の被災地で取材する山美香さん=2011年3月23日、宮城県石巻市、父・孝治さん提供娘の美香さんについて話す山孝治さん=21日午後3時42分、山梨県都留市、北林晃治撮影  激しい内戦が続くシリアで取材中に亡くなった山美香さん(45)が女性や子どもなど紛争地帯で苦しむ人々の視点を貫く姿には、新聞記者だった父や、ボランティア活動に取り組む母の影響があった。  「世の中の出来事を鋭くウオッチする父の姿を見ながら育ったせいでしょうか。いつのまにか報道記者になりたいと思うようになっていた」。山さんは、ジャーナリストを志した理由を著書「戦争を取材する―子どもたちは何を体験したのか」(講談社)の中でこうつづっていた。  父・孝治(こうじ)さん(77)は朝日新聞の元記者。地方での取材経験が長く、3人姉妹の次女の山さんが生まれたときも北海道・帯広にいた。夜どんなに遅く帰宅しても翌朝は

    John_Kawanishi
    John_Kawanishi 2012/08/22
    「『戦争Journalist』と言われるのは認めたくない。女性や子どもなど、紛争や災害など不利な状況に置かれている人たちの側に立って事実を伝えてきたことに尽きる。最高のJournalistだった」
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