[ 古川愛哲<ふるかわ・あいてつ>(フリーライター)] 昨年の御嶽山に続き、今度は鹿児島県の口永良部島で大規模な噴火が起きた。ひとたび火山が噴火すれば、私たちが受ける影響は甚大だ。火山災害は多くの人命を奪うだけでなく、ときに歴史を変えることもある。 寛政4年の「島原大変」 「島原大変肥後迷惑」は、江戸時代も後半の寛政4年(1792)に起きた。ことの始まりは雲仙の普賢岳の噴火である。正月気分が抜けきらない1月18日に噴火して以来、火山性地震が頻発。揺れること約3か月、いつしか人々は夜景のなかに光る溶岩を見物するありさまだった。そして桜も散った旧暦の4月1日のことである。 山続きの眉山が長期にわたる地震に耐えかねたように、一瞬震えるとメリメリと轟音を発しながら崩落した。崩れたのは眉山の約3分の1。厚さ 109 メートル、幅・長さともに約2キロ。1メートルの厚さで広げると 72 キロ四方だから有