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学問と歴史に関するcubed-lのブックマーク (11)

  • Kan Kimura on Twitter: "そもそも歴史史料というのは、そこに記述されている内容のどこの部分に信ぴょう性があって、どこの部分が創作なのかを判断していく「出発点」みたいなものなんだよなぁ。「明らかにナンセンスな記述」があるから無価値なら、古事記も日本書紀も史記も無価値になるからね。"

    そもそも歴史史料というのは、そこに記述されている内容のどこの部分に信ぴょう性があって、どこの部分が創作なのかを判断していく「出発点」みたいなものなんだよなぁ。「明らかにナンセンスな記述」があるから無価値なら、古事記も日書紀も史記も無価値になるからね。

    Kan Kimura on Twitter: "そもそも歴史史料というのは、そこに記述されている内容のどこの部分に信ぴょう性があって、どこの部分が創作なのかを判断していく「出発点」みたいなものなんだよなぁ。「明らかにナンセンスな記述」があるから無価値なら、古事記も日本書紀も史記も無価値になるからね。"
  • 南京事件についてシュレディンガーの猫みたいな議論をしている人は何なの? - 地を這う難破船

    ポストモダンなの? 史学なめてんの? 一党独裁体制の中国に学問の自由がないことと日側資料の存在はまったく別の問題です。政治問題なのは大勢の人間が死んだ、「日軍に殺された」からです。箱の中のの生死の話をしているのではない。70年前の史実の話をしている。人の生き死にをめぐる史実について議論することは箱の中のの生死について議論することではない。 史実について議論するなら第一に資料の史学的な検討とその成果が前提で、南京戦史をスルーして量子力学の議論にしている人は何なのか。資料検討なめてんの? 現実の虐殺を量子力学の問題にしてしまうのがポストモダンということか。ポストモダニズムとデリダに謝るべき。改めて、東浩紀のスタンスはまずい。呆れたので書いた。 リアルのゆくえ──おたく オタクはどう生きるか (講談社現代新書) 作者: 東浩紀,大塚英志出版社/メーカー: 講談社発売日: 2008/08/

  • 自由帳で数学とか物理とか | 「歴史修正主義」と「歴史の見直し運動」はまた別物なんだが

    なんだかすごーく周回遅れな方がいらっしゃったので、この場で指摘させていただきます。 歴史問題と政治問題の憂な関係、あるいは、歴史的修正主義について - negative_dialektik はてな村出張所(引用者:南京事件やホロコーストなどに対するアレルギー反応について述べた後)  かかるアレルギーの抗体保持者は、歴史問題を純然たる学問的な事実を確定する問題として語ることが許せないのです。歴史問題は、政治問題化してしまうのです。ホロコーストの歴史的実態について再検討する必要がある、と口にしただけで、反ユダヤ主義者のレッテルを貼られてしまいます。南京での中国人の被害者の数も、中国共産党政府の主張する30万人とか40万人とかいう数字をそのまま受け入れなければ、大日帝国の軍国主義復活を目論む右翼分子とレッテルを貼られそうな勢いです。冷静に、歴史的に、事実を確定しようという学問的姿勢や努力は、

  • 「公開されない情報」? - Apeman’s diary

    OAF 「そりゃ科学ったって信仰するしか無いわな。素人は。」 東は歴史学に関して素人だが、「知識人」なのだから南京事件の有無という「結果」について言えなくても、歴史資料等よりテクストのレベルで検証しうるのではないか、と言っているように見える。 ただこれはあまり意味が無い。その方法によって「結果」に言及できるなら、東は「専門家」である。というより、専門家でない人間のアクセスできる情報をテクスト的に解釈することに何か意味があるか? というのはポストモダニストならば持って当然の疑問だろう。 ここで東は「専門家」とは生情報/一次情報への直接アクセスが可能であることだと言っているわけだ。公開されない情報へ直接アクセスできないなら、断定的なことは言えない。彼は「知識人」の「責任」をそう考えている。 そもそも東浩紀は「自分で調査したわけではないですから」と言い訳しちゃってるので、あまりしがいのない擁護を

    「公開されない情報」? - Apeman’s diary
  • ワナに注意 - シートン俗物記

    一連の「南京事件」ばなし。いろんな方々が適切な突っ込みを加えているので、特に付け加える事は無いのだが、年末年始に目を通した笠原十九司氏の「南京事件論争史」の冒頭に印象的な文章があったので引用する。今回の騒動が特に例外的な話ではないことを物語っているのだ。 書の書名を『南京事件論争史』とするについては、戸惑いもあった。それは、書を読んでいただければわかるが、通常の学問論争、歴史学論争とは様相が異なるからである。率直にいえば、学問的に生産的な議論ができずに、論争する相互の主張のいいっぱなしに終始し、議論のかみ合いがなく、双方同じ主張を繰り返しているように見えるからである。 (中略) こうした「どっちもどっち」「ドロ仕合」といった嫌悪感が、日人のなかに多数の傍観者を形成させ、南京事件歴史認識の定着を妨げている大きな要因になっている。それこそ南京事件の事実を日人に記憶させまいとする人たち

  • 歴史修正主義まとめ - 思いて学ばざれば

    今年はじめ、あれだけ騒然となったにもかかわらず、あいかわらず、南京事件どうこうでなく、歴史修正主義そのものの問題点についてはあまり争点になってない……。こういう状況で南京事件という個別の事柄にクローズアップすること自体が、歴史修正主義に肩入れすることになるんだけど、分かってる人は分かってるのにそうでない人には全く伝わらないというもどかしさ。 【萌え理論Blog】が南京事件にかかわる論争をまとめてくれてるけど、いま当に必要なのは「歴史修正主義のまとめ」のはずだ。 今回の騒動で、歴史修正主義そのものについてふれた少数のエントリをご紹介。 【Close to the Wall】「なにが歴史修正主義の問題なのか」についての私見 【Close to the Wall】続・「なにが歴史修正主義の問題なのか」についての私見 今年もっとも早く、もっとも的確に歴史修正主義の問題点を指摘したエントリ。これに

    歴史修正主義まとめ - 思いて学ばざれば
  • 問題の無い懐疑派と問題の有る懐疑派 - 非行型愚夫の雑記

    「否定派ではなく懐疑派」という人の懐疑派というのが、「そういう事件はあっただろうけど中国の言う30万人説は当なのだろうか」程度なら私は問題ないと思います。 国内の肯定派でも「中国の言う30万人説の蓋然性は低いと思う。笠原説(あるいは秦説)くらいが当なのではないか」というのが主流でしょうし。 しかし、あからさまに問題の有る主張をする「懐疑派」の人もいたりするんです。 例えば、殊更30万人説を問題にして、それを否定すれば何かしら戦争責任が免罪されるかのような主張をする人とか。 以下、ざっと思いつくもので「問題の有る懐疑派」と私が思うものを列挙。 事件の存在は認めても、事件を矮小化するために言うことが否定論者と同じ。 「南京の人口は20万人。20万人のところで30万人は殺せない。ゆえに30万人はありえない」*1とか「犠牲者の名簿を出せ」とか。 事件の存在は認めても、象徴的な数字を目の敵にして

    問題の無い懐疑派と問題の有る懐疑派 - 非行型愚夫の雑記
  • 「ありえない」論法と否定論存続の背景 - Apeman’s diary

    (1) 最初に、なにをもって「南京事件否定論」と呼んでいるのか、「歴史修正主義」と呼んでいるのかを再確認しておきましょう。南京事件否定論を巡る議論に馴染みのない方がこの数日おいでになっている可能性が高いので。 「否定論」「修正主義」と私が呼ぶ第一の基準は、犠牲者数推定の数ではありません(結果的には数がメルクマールになりますが)。犠牲者数推定を行なう手法、そしてなによりその目的が基準です。例えば秦郁彦の『南京事件』(中公新書)では、当時(1986年刊行)入手可能だった「日軍の公的記録を個別に割引せず、そのまま積みあげてみた」結果として、「捕らわれて殺害された中国兵の推計」を3万人としています。笠原説との違いは「捕われて殺害された」ケースに限定するかどうかによるところが大きく、捕虜の殺害についてあれこれ正当化し割り引くことはしていません*1。また民間人の犠牲についての中国側の主張に対しても次

    「ありえない」論法と否定論存続の背景 - Apeman’s diary
  • 続・「なにが歴史修正主義の問題なのか」についての私見 - Close To The Wall

    (承前) 相対化という問題 もちろん、歴史修正主義の議論がすべて差別主義とイコールで結ばれるという訳ではない。否定論を少しでも認めることが、ただちに差別主義に加担することだなどと言われれば強く反発を覚える人も多いだろう。私もちょっと決めつけすぎだなとは思う。右派言論の多くが、そうした差別主義と親和的だからと言って、個々の修正主義的議論が必ずしも差別的認識を前提にしているわけではない。歴史的な問題についての議論に的を絞った洗練された南京事件否定論そのものは、必ずしも差別主義とはいえない。 だから、そうした差別主義的言動を脇におくとして、純粋に歴史的問題として考えようとすれば、素人目には一見判断が付かない厄介な問題なように見える。ただ、こと南京事件否定論にかんして大きな問題になるのは、ネットで蓄積されている議論というのが、否定論と反否定論だという事実に一因がある。 南京事件否定論はネットで非常

    続・「なにが歴史修正主義の問題なのか」についての私見 - Close To The Wall
  • 「なにが歴史修正主義の問題なのか」についての私見 - Close To The Wall

    いくつかの記事で、歴史修正主義についての議論が行われているのを見て、ちょっと考えをまとめてみることにした。タイトルはこの記事から。 なにが歴史修正主義の問題なのかが未だに知られてない件 - 喚いて叫ばざれば ちなみに、私は南京事件や慰安婦問題についての事実関係についての議論には応えられないし、応えない。私は専門家ではないし、個々の史料や多数の書籍にアクセスできるわけでもない。私は、歴史学の通説に信を置き、反歴史修正主義の方々の議論の方が客観的かつ妥当な学問的方法に基づいて事実を判断していると信ずる。なお、その時々の歴史学の成果を一般に普及する役割をもつ、各社の「日歴史」の太平洋戦争を扱った巻(中公版とか小学館のとか講談社のとか、または岩波新書の「近現代史」や半藤一利「昭和史」とか)を目につく限り拾い読みしてみても、南京事件否定論を支持する書籍はひとつもなかったことを付言しておく。素人が

    「なにが歴史修正主義の問題なのか」についての私見 - Close To The Wall
  • http://www.hmt.toyama-u.ac.jp/chubun/ohno/tondemo.htm

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