タグ

哲学に関するcubed-lのブックマーク (13)

  • 一応突っ込んでおくと、「言語ゲーム」の用法が間違ってるよ。

    「哲学上の諸問題と言われるもののほとんど全ては、定義の問題に帰着する。」というのは、L.W.ヴィトゲンシュタインの「論理哲学論考」における中心的な主張。そして『言語ゲーム』というのは、そのヴィトゲンシュタインの作った言葉であり、論である。 そこまでは正しい。 だけど、「言語ゲーム論」というのは、「論理哲学論考」を書いたあと、「これで全ての疑問は解かれた」と宣言して田舎に引っ込んだヴィトゲンシュタインが(田舎で小学校教師をやっていた)、小学生とのふれあいの中から、自分の過去の論(すなわち「論理哲学論考」における思想)の欠陥に気づいて、その欠陥を説明するために作った論なのね。その後彼は、「哲学探究」というを出して、「論理哲学論考」が見落としていた問題について説明しようとした。それが成功したという人もいれば失敗したという人もいるが、このも20世紀哲学史に残る偉大な書であることは間違いない。

    一応突っ込んでおくと、「言語ゲーム」の用法が間違ってるよ。
    cubed-l
    cubed-l 2013/07/24
    面白かった
  • 科学と哲学のあいだ

    科学と哲学は相容れないものなのか?哲学の歴史を振り返れば哲学と科学の興味深い関係性が見えてきます。 ここでは大学で哲学を学ばれている ceno_sougou(セノにゃん)さんにその大まかな流れを解説していただきました。

    科学と哲学のあいだ
  • 菊地誠と東浩紀とソーカルと

    あ〜る菊池誠(反緊縮)公式 @kikumaco SF大会の懇親会で出た話題について。比喩というのは、それが比喩として機能する相手にしか意味を持たないわけです。たとえば、「フラクタル」を比喩とするなら、その言葉で「雪の結晶みたいな形ね」と思う人と「フラクタル次元はいくつなんだ?」と思う人とでは機能のしかたが違う @hazuma 2010-08-10 12:05:27 あ〜る菊池誠(反緊縮)公式 @kikumaco 比喩はそのものずばりではないことによって、相手の知識次第でまったく違う受け取られ方をされうるし、もちろん、時代が変われば受け取られ方も変わる。この点は比喩を使う側が当然負うべきリスクなわけです @hazuma 2010-08-10 12:11:24 あ〜る菊池誠(反緊縮)公式 @kikumaco 僕の考えでは、科学的な用語を「比喩」として使うのがいけないのではなく、たとえば「フラク

    菊地誠と東浩紀とソーカルと
  • どこでもドア - 哲学的な何か、あと科学とか

    ――ある未来の話のこと。 ついに、人類は、永年の夢であった「ドラえもん」を開発することに成功した! そして、同時に「出して欲しい道具ランキング」で常に上位であった 『どこでもドア』も開発された。 しかし、この『どこでもドア』。 原作のように、念じた場所に自由に行けるような都合の良いものは、さすがに作れず、 事前に、町中に設置されている、別の『どこでもドア』に瞬時に移動できるという ものであった。 まぁ、ようするに、「あらかじめ、決まっている場所」にしかいけないのだが、 それでも、遠くの場所に瞬時に移動することができるわけで、 充分「どこでもドア」を再現することに成功したと言える。 この「どこでもドア」の発明により、 「通勤、通学、買い物、旅行」などの移動時間は 大幅に短縮され、人類の生活はさらに快適なものになっていった。 ――そんな、ある未来の話のこと。 ●「うわぁあぁぁぁあわあぁぁああ!

  • やるおで学ぶ西洋近現代哲学入門:ハムスター速報 2ろぐ

    哲学で博士号取る予定の俺が、どんな質問にも哲学的に答える http://urasoku.blog106.fc2.com/blog-entry-185.html 哲学で博士号取る予定の俺が、どんな質問にも哲学的に答える 第二部 http://urasoku.blog106.fc2.com/blog-entry-225.html 1 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2008/03/21(金) 02:20:23.61 ID:sIt3qGIe0       ____      /      \    / ─    ─ \   /   (●)  (●)   \ やる夫は何故生まれて来たんだお   |      (__人__)    |     \     ` ⌒´     /       ____      /      \    / ─    ─ \   /   (●)  (●

  • 「で、みちアキはどうするの?」 - 「わたしはなぜ〈わたし〉なのか?」という問いについて

    注:このエントリに用がある人はそれほどいません。タイトルでピンと来ない人は読まないように。 タイトルに引いた「わたしはなぜ〈わたし〉なのか?」という問いは、だいたいこのような意味です。わたしはなぜ、「この」〈わたし〉なのか? なぜ、A氏やBさんやC君ではなく、〈わたし〉だったのか? なぜ、他の誰でもない「この人間」に〈わたし〉が宿ることになったのか? なぜ〈わたし〉はこの人間の中から世界を眺めているのだろうか? なにか必然的な理由があったのか? というような話は永井均的独我論というか、永井さんのにはよく出てきますね。自分も、以前は、このことはすごくふしぎだったのですが、ずっと考えているうちに問いが解消してしまいました。ふしぎではなくなってしまったということです。たいていの人が「なぜ人を殺してはいけないのか?」を疑問に思わないのと同じように、「わたしはなぜ〈わたし〉なのか?」は今のみちアキ

    「で、みちアキはどうするの?」 - 「わたしはなぜ〈わたし〉なのか?」という問いについて
  • 空中キャンプ-自殺なんかしたらだめに決まっているじゃないか

    世の中には、議論することそのものが、無意味でむなしい問題がある。それはたとえば、人には自殺をする権利があるのか、また、人を殺すのはなぜわるいのか、などであり、わたしはこうした議論を真剣におこなっている者を見るたびに、憂な気持ちになるのだった。いやだなあ、とおもう。問いそのものがむなしい。こういった問いを発することが、なにやら重要で、真摯である、とでもいいたげな態度がいやなのだ。なぜ、かかるつまらない問いを、まじめに引き受けるのだろう。「そんな、ばかな質問に、誰が答えてやるものか。このくされ鮹」と一喝した後、飄然とうどんをえばいいのにとおもっていた。 春日武彦著、「17歳という病」(文春新書)には、実に納得させられた。上記の疑問が、一気に溶解したためである。なんか、すっきりしたよ。やはりこれは、質問そのものが、くだらないのである。そういった疑問を持つこと自体、不遜で、幼稚なのだ。春日がい

    cubed-l
    cubed-l 2006/07/21
    価値観。問いには意味があるし考え、学ばせるほうがいい。「ダメなものはダメ」なんて回答こそ何の役にも立たない
  • オレと松永さんは真っ向からぶつかっていたんだ、と気付いてみる - 煩悩是道場

    雑感自分のウエブログのタイトルは「煩悩是道場」と言います。これは煩悩という事を消し去ろう、という考えではなく、むしろ煩悩を肯定し、向き合う事で煩悩をこそ自己研鑽の道場である、という思想に立脚した思想なのですが、これが実は松永さんの思想と真っ向からぶつかっていたのだ、という事に気付いた、というお話。気付いたきっかけこのエントリを書く動機になったのは二つの記事を読んだからです。論に入る前に簡単に二つの記事に対して現時点での感想を交えて書いておきたい、と思います。 一つめ。私が松永さんに感じた違和感、それは「当事者性を感じない」という後ろめたさの欠如にあります。当時教団に在籍して、もしかしたら自分がやっていたかもしれない犯罪に対し、あまりに無自覚ではないか、と。そうした点についてもうちょっとインタビューで松永さんの考えを聞きたかったのですが、残念ながらそのような内容は読み取る事は出来ませんでし

  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    絵の超初心者ド下手くそ人間が、20日間絵を描いて感じたこと わたしは、「文の人」だ。絵を描くのは大の苦手。 そんなわたしが、ひょんなことから絵を描き始めた。 そうしたらおもしろくなって約20日間、なにがしかを描きつづけている。 未知の領域での挑戦は、発見が多い。 また、ここまで絵を描けない人間の挑戦は、あまりネッ…

    はてなブログ | 無料ブログを作成しよう
  • 哲学の初歩:事実から当為は導出できない

    何故人を殺してはならないか、への答えらしきもの(id:ululun さん) これなんですがね、「何故、人を殺してはならないか、何故自殺してはならないか」を倫理を入れずに答えよという命題に無理がある。哲学の初歩的な知識として、「事実を積み重ねても当為命題は導かれない」というものがあります。つまり、いくら事例を集めても、「**が正しい」という結論は得られない、ということ。 id:ululun さんの結論は人は誰かを殺してもならないし、自殺をしてもならない。何故なら殺した人以上の存在を産み出す事は出来ないから。なのだけれど、「殺した人以上の存在を生み出すことができない」ことと、「だから人を殺してはいけない」という主張の間には飛躍があることに気付いてほしい。「どんどん世界から価値あるものを減らしていって、何がいけないの? 別にいいじゃん」という主張を倫理的に否定していればこそ、そのような結論が導か

    cubed-l
    cubed-l 2006/03/10
    「倫理は倫理によってしか説明できず」これに尽きる
  • コラム:日本人の宗教嫌い

    This guide is the safest way to do a domain switch, you get all you need to change a blocked domain. What is a user flow and a user journey? There’s a macro view of a customer experience that we can analyze and partially control.

    コラム:日本人の宗教嫌い
  • 人はなぜ人を殺してはならないのか。: 活言玉のホンネ

    日常の思ったこと、サッカー、らーめん、オナゴ、イナゴ、哲学。裏活をブログにしてみた。めんどいからね。 でももっとライトに、もっと日記っぽくサブイ日常も書いていくつもり。 もう何年か前に、哲学者や著名人がTVの「自由研究相談」みたいなコーナーで学生にこの質問をされ、誰一人まともに答えられなかったというニュースが出回りましたね。 当時から、僕はずっとこのことを考えています。 そして、実は自分の中での答えは3年ぐらい前から変わってない。 その答えをあまり信じたくなくて、僕の中で眠らせていたのであまり公言はしてない。 ちょっと、それを書いてみようかなと。 このニュースを耳にしたとき、正直ドキっとした。 自分でも明確な答えを即答できなかったから。 人を殺したいと思ったことなんて今まで.1秒たりともない。 無いのに、明確な答えが出てこない。 僕だって、いつか子供を持ちたい。 どうあがいても、僕の血をひ

    cubed-l
    cubed-l 2005/11/05
    理由はないな。殺さない方が楽に生きられると思われるだけ。絶対的な価値観じゃないから戦争という殺人も可
  • 1