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考察に関するcubed-lのブックマーク (42)

  • 空気読みで成り立つ国では無用の論理弁証能力 - 狐の王国

    ときおり、絶望的な気分になることがある。この世の人間というのは、実はそれほど頭が良くないのではないかと思うときだ。 実生活でも使えるディベートテクニック - タケルンバ卿日記 こんな記事が話題にあがっていた。別に俺はディベートやってたわけでもないけど、ここにあるような話し方、考え方は普通のこととして受け入れているものだ。 いや、別にタケルンバさんの記事が悪いと言ってるわけじゃない。無自覚にやってることを自覚的にやるためにも、こういう記事は非常に有用だと思う。 ただ、これを見てまた少し、俺は絶望的な気分になった。 「中華はイヤだ」と主張し、昨晩の料理写真を出したとしても、それだけじゃ何のことかわかりません。これまた「で?」という話。何でそういう主張につながるのか。何故そういう写真が出てきたのか。周りは意味がわかりません。主張と証明の間がリンクしないのです。唐突過ぎて意味が通じないのです。 …

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    cubed-l
    cubed-l 2008/10/16
    オフゲーと比較した場合、他者という不確定要素を邪魔に感じることがあるね
  • 萌えの定義 - 萌え理論ブログ

    前書き 「萌え」という語が実際に使われる場面はそれほど多くない。それは例えば今の2ちゃんねるで、「厨房逝ってよし!」というレスをさほど見ないのと同じだろう。いわば古典化している。しかし、古典的な語だからこそ、分析する意義もあるのだ。 「萌え」という語が現実に使われるときの用法はもちろん多岐に渡るが、その全てをカバーして記述しようとすると、かえって焦点がぼやけた把握になってしまう。シンプルなモデルで考え、「萌え」という概念はそれ以前とどこが違うのか、明確にするのがここでの目的だ。 「愛」と「萌え」との違い――時間と空間―― 「好き」 個体への「愛」 属性への「萌え」 まず、「萌え」が「好き」と、単純にイコールで言い換えられるのであれば、そもそも分析に値しない。実際、そのような意味でも使われているが、ここではどう違うかを明確にするために、近代的な「愛」と対比させる。 「愛」 「Aさんの属性aも

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  • 【埋】慣習が生み出す情報連鎖 - 2ちゃんねる型スレッド管理のしくみ

    日曜コラムです、こんばんは。 少し前から 「2ちゃんねる閉鎖騒動」 というのが続いています。 これは2ちゃんねるのドメインが差し押さえの対象になっているという 情報が元になっているのですが、実際のところはよくわかりません。 管理人であるひろゆき氏は「まだ閉鎖する気はないですー」というコメントを 残しながら、一方でVIP板の名無しが 「閉鎖まであと○日と○時間」 というデフォルト名になっていたりして、その数字が指し示すXデーは 1/23(火) 20:00だったりします。これが管理人さんのよくある遊び心なのか、 それとも当に意味のある数字なのかはわかりません。 いずれにせよ、2ちゃんねるはその性質からして、少なくない数の 「2ちゃんねるを憎む人」を作ってしまったことも確かです。 今回の閉鎖騒動がどうなるかはわかりませんが、もし何事もなかった としても、そうした人々が増え続ける限り、これからも

    【埋】慣習が生み出す情報連鎖 - 2ちゃんねる型スレッド管理のしくみ
    cubed-l
    cubed-l 2007/01/22
    んー
  • 「2ちゃんねらー」ってのは誰なのか - 九尾のネコ鞭

    まぁ、潰れる潰れると評判の2ちゃんねるですが、2ちゃんねるは就業時間の合間の心のオアシスなので、潰れないで欲しいものですなぁ。さて。 2ちゃんねる型「正義感」のいやらしさ http://www.kotono8.com/2007/01/13justice.html これ読んで、「2ちゃんねらー」の定義についてちょいと考えてみた。 結論からいうと、「2ちゃんねらー」ってのは誰でもないんだと思う。 松永さんによる「2ちゃんねらー」の定義は 「2ちゃんねらー」と言ってもいろいろな人たちがいるのは当然である。たまたま検索結果で2ちゃんねるのページを閲覧した人も、毎日毎時間書き込んでいるvipperも、どちらも「2ちゃんねる利用者」であることには違いがない。 このページでは仮に「2ちゃんねるコミュニティに帰属意識がある人」と定義してみたい。つまり、2ちゃんねるが批判されると腹が立つ人である。 と言った

    「2ちゃんねらー」ってのは誰なのか - 九尾のネコ鞭
  • 2ちゃんねるの致命的欠陥――ひろゆきは2ちゃんねらーに責任転嫁すべきだ[絵文録ことのは]2007/01/15

    ドメイン差し押さえがあろうとなかろうと、2ちゃんねるは(いかなる形であれ)続くと思われるが、2ちゃんねるの最大の致命的欠陥を修正しないと、問題はさらに大きくなる一方だろうと思う。 それは2ちゃんねるには「誰も責任を取らないシステム」が存在しているという意味である。だが、その「誰も責任を取らないシステム」が続く限り、2ちゃんねるはいずれ立ち行かなくなるだろう。 簡単に言えば、「ひろゆきは、2ちゃんねらーに責任を負わせればいい」ということである――とこれだけを読むと意味がわからないだろうから、長々と説明する。 ■2ちゃんねるは誰も責任を取らないシステムである 小難しいのは嫌いなので :kyoumoeの日記(ミス・ユニバース豪州代表) 短くまとめる :kyoumoeの日記(ミス・ユニバース豪州代表) 今、2ちゃんねらーが為すべきこと。 それはひろゆきに責任を取らせることでも、外圧に立ち向かうこと

  • 萌えにもロングテールの物語性がある - 萌え理論ブログ

    萌えとロングテール 萌え理論Blog - キャラを通じて作品群をインテグラルに見る読者性=萌え(前回) ムイミムイミムイミミーちゃんよ!! - ロリコンファル メタ的な快楽的差異だけがあるのだ、無意味万歳って話ですよね…(^^; 作品に物語としての意味を見出すべきだという論説に「メタ的差異の無意味万歳」 という意見を出すのは…、う〜ん、噛み合ってないような……。 「物語派」と「キャラ萌え」と「属性萌え」の対立 - 絵文録ことのは 世界全体=物語派←→世界の一部である人物=キャラ萌え 人物の全体=キャラ萌え←→人物の一部の特徴=属性萌え こう書いてみると極めて当たり前のことでしかないのだが、視野の広さ、見ている範囲の違いは歴然としているといえよう。 それがですね、萌えは無意味だとか視野が狭い、といった常識的な思考をひっくり返したのが、前のエントリなわけですよ。でも前回ちょっと硬めに書いたら、

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  • 「物語派」と「キャラ萌え」と「属性萌え」の対立 [絵文録ことのは]2006/12/13

    これはもうだいぶ以前からなのだが、小説やマンガなどの作品に接するとき、物語世界全体を総体的に楽しむ見方と、そうではなく、ある特定の登場人物(キャラクター)に思い入れる人たちがいて、この二つの立場の人たちはかなり相容れない場合が多かった(このブログ的に言うなら、それこそ「物語文化圏」と「キャラ文化圏」の衝突である)。 さらに、特定の「登場人物」ではなく、「属性萌え」とでもいうべき現象が起こっていることは、東浩紀氏が提唱した話である。 「物語」総体として受け入れるか、「キャラクター」に思い入れを込めるか、それとも特定の「属性」さえ有していればそれでいいのか。この3つの見方について、改めて思うところを書いてみる。

  • 「死ぬ死ぬ詐欺」とか「2ちゃんねらー」とかアレコレ - 黒く濁った泥水を啜る蜥蜴

    最近id:mushimoriさんのエントリー「「2ちゃんねらー=ネット右翼」に関する覚え書き――「死ぬ死ぬ詐欺」言説に寄せて」 にあれこれコメントしていたのですが(自分のブログを更新せずに何やってるのかと(特に白い人に)怒られそう)、議論に関わった手前、この問題(「死ね死ね詐欺」)について自分のところで改めて考えながらまとめてみようかと思います。 あいかわらず話題についていくのが遅い。 募金に対する私の考え まず私は、募金というものに対してあまり意味を見いだしていません。募金はそれによってわずかな人数の命が一時的に救われるというだけで(それ自体はとても大切なことだけど)、募金を必要とする人間を生み出す構造そのものを変えることには至りません。 たった百円ほど募金するだけで自分の持つ社会に対しての問題意識などを満足させてしまうことや、根的な問題から目をそらし対症療法ばかりに目を向けさせる可能

    「死ぬ死ぬ詐欺」とか「2ちゃんねらー」とかアレコレ - 黒く濁った泥水を啜る蜥蜴
  • sharanのいんふぃにてぃ~・だいあり~ : ギャルゲー批評を考える

    2006年03月27日 ギャルゲー批評を考える 小説という形式上、単線的であることを逃れられない。必ず収束することが(未完であっても)約束されている。一方で、データという形式のギャルゲーは単線的な形を取る必要性がない。そこには複数の選択肢と結末が与えられている。もっとも、そこには「世界観(作品を制作する際の前提に置かれる最大設定)」という名の便利な主軸がある(そして残りの設定は世界観へと回収されていく)。プレイヤーはまさに作品に踏み込んだ瞬間にそこに統一された「世界観」を確認しようとする。作品はそれ自体として完結しており閉鎖的である。そこにはひとつの「作品」=「世界」しか存在しない。その「作品」=「世界」をコーティングするものとして一貫して存在すると我々が錯視する「世界観」ももちろん一つである(多くのギャルゲー批評においては通常、「世界観」が統一されていることが良しとされ、様々な矛盾や

    sharanのいんふぃにてぃ~・だいあり~ : ギャルゲー批評を考える
    cubed-l
    cubed-l 2006/10/18
    最後の部分に違和感。各論で何も問題ないと思うが/俺は音声が邪魔なので最初から切ってる
  • 【埋】Wisdom of Crowds は「衆愚政治」? いやいや、「天才の良いトコ取り」です。

    Wisdom of Crowds は「衆愚政治」? いやいや、「天才の良いトコ取り」です。 2006/07/09 梅田さんのがまた出るそうです。 といっても5年前に出た「シリコンバレーは私をどう変えたか」の文庫化で、 5年前との情勢の違いを若干加筆したものというお話ですが、 ■「シリコンバレー精神」(ちくま文庫、8月10日発売) http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20060709/p1 買ってね買ってね。アインも買うよね。 梅田さんの主張を指して 「未来を読む」 みたいな言い方をされる煽り方が マスコミ各所で散見されることもあって、最先端を行くギークな方からは 「梅田さんは意外とワカってない」的な批判が出てくることも多いのですが、 梅田さんが首尾一貫して取ってきたポジションを考えれば、そこにそれほど 矛盾はありません。梅田さんは常に、 「判ってない人に

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  • Divorce Lawyer Middleton

    Divorce Lawyer Middleon Sterling Law Offices, S.C. 8383 Greenway Blvd #600 Middleton, WI 53562 (608) 208-6017 What Are The Advantages To Agreeing On A Child Support Amount In A Separation Agreement No matter how much you try to make the marriage work, sometimes, the only way to save yourself is to get away from it. Whether you like it or not, leaving may be the only option left. Sometimes it's bet

    cubed-l
    cubed-l 2006/04/25
    1人称視点は世界の切り取りであって限定ではないと思う。
  • アニメを見る、僕のどうにもならない立脚点 - 森の路はずれ(避難所)

    「かしまし」が今週の放送分で最終回を迎えます。僕はなんだかんだで全部のお話を見てきましたが、ほとんど面白いと思ってはいません。キャラクターデザインがきれいなのと、作画が安定しているのと、音楽が好きという理由だけで見ているようなものです。見聞きしている、そういった感じです。サントラは4/26発売(予約注文済)。 僕はこの作品をどうしても楽しめない、落ち着かないんですよ。物語に女の子たちしか登場しないので、目の置き場がないんです。目のやり場に困るのではなく、僕の立脚点がないんですね。男性の主人公がいない物語や世界というものに対し、男性でしかいられない僕はどうにも距離感がつかめない。そこに鑑賞すべき何かがあるとしても、それをつかむべき僕の存在が希薄だといえばいいでしょうか。 もちろんはずむは、第1話で男の子であった頃が描かれてはいます。でもそれはほとんど回想のようなもの、作品の設定(アピール)と

    アニメを見る、僕のどうにもならない立脚点 - 森の路はずれ(避難所)
  • 音楽配信メモ クリエイターは「批評されること」そのものを問題にしているのではない

    cubed-l
    cubed-l 2006/03/28
    なんでもシステムのせいにすればいいってもんじゃないと思うけどな。単なる好悪含めてオープンな方がいい
  • 「どうして人を殺してはいけないのですか?」 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    「死」の心身二元性 「死」とは、概念です。この概念は「人間」のみに可能です。動物は「殺す」ことはありません。「死」の概念がないので、「他者を潰そう」ということはあっても、そこに「死」への目的性はありません。 (「人間」の)「死」という概念は、「この私」という個人の尊重によって、生まれています。「この私」というとき、「死」は最高の「強度」をもち、逆に「集団の中の一人」のとき、いわば身体を形成する1細胞という集団の新陳代謝の1個体のように「死」の「強度」は低下します。 だから「殺す」=「他者を死へ至らしめる」ということは、「他者」とは「この私」の反転としての「このあなた」であり、個人の尊重された存在であり、「殺す」という概念には、すでに始めに「禁止」が内在されているのです。 このように「死」、「殺す」という言説を考えるとき、「人間としの人」と「動物としての人」の二面性、「心身二元性」を見る必要

    「どうして人を殺してはいけないのですか?」 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • 何の為のブログ? - ぶろしき

    ◆404 Blog Not Found:カエルの子を変えるには ◆http://d.hatena.ne.jp/partygirl/20060304 話は全然い違う。でも何とかもっと別な軸で語りたい。 とはいえ、それを理解し墨守するのが、司法関係者という「プロ」だけでは、法治国家とはとても言えまい。実際、今回の事件に際して「市民の暴力」を行政(特に地方行政)はむしろ後押しし、立法は無視しているのを司法が辛うじてい止めているというのが私の印象である。 これはちっとも変な話ではない。もう何度か引用してる『圏外からのひとこと』の世間、社会、権力、そしてネットから。 日では「社会」と「世間」がつるんで意地悪をしてくる、だから息苦しさが大変なものになって、救いがないわけです。 flapjackさんはイギリスの「世間」的なものとして、こういう例を上げていますが、そういう「世間」から見放された人でも

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  • 「で、みちアキはどうするの?」 - なぜ自殺してもよいのか?

    もしぼくが自殺するとしても誰にも言わずにこっそりやるだろうなぁ、と思っていたんですが、じゃあ、kissheeさんだけには事前に連絡するようにしようかな。 くもりの水曜日 : 自殺について kissheeさんからトラックバックをいただいていました。なんかコメント欄が盛り上がってるようですので、興味がある方はご覧になるとよいかと思います(ぼくはありません)。 で、まずひとつ訂正。TBいただいたエントリでは「ぼくは自殺肯定派」と書いていましたけれど、じっさいのところそんな“派”がほんとに存在するのかどうか判りません。ということで、自殺を肯定する人、ぐらいにしておいてください。 他者との関係性。むずかしいですね。ぼくが「生きることは選択だ」と言ったのはそんな大袈裟な話ではなく、もっとプリミティブな意味です。自殺はいけない、いやしてもよい、などと言う前に、まず、自殺は可能です。これは間違いないです。

    「で、みちアキはどうするの?」 - なぜ自殺してもよいのか?
    cubed-l
    cubed-l 2006/03/08
    同意
  • 琥珀色の戯言 - バーチャルな「勝ち組」に捧ぐ

    http://blog.livedoor.jp/springflavor122/archives/50165246.html いろんなところで叩かれているみたいなのですが、僕がこの文章を読んで感じたのは、「なんてこの人は、こんなに自分のことを『勝ち組』だと思い込めるのだろう?」ということで、それ以上でもそれ以下でもありませんでした。いや、こういうのが若さなのかな、と言ってしまえばそれまでなんですが。 で、彼女が実際にやっていることといえば、マスコミ業界に擦り寄っていくことと、起業サークルを宣伝していることだったりするわけで。なんかわかりやすい『勝ち組』だね。 ちょっと脱線しますが、僕は常々ネットで「愛国心」とかを煽っている人たちに対して違和感を感じているのです。それはなぜかというと「じゃあ、そういう君たちは戦場に行く覚悟があるの?」という一点に尽きるのですよ。国としての「日」が「北朝鮮

    琥珀色の戯言 - バーチャルな「勝ち組」に捧ぐ
    cubed-l
    cubed-l 2006/03/03
    所詮ネットワーク上の人格に過ぎないのかな
  • ドリコムブログサービス終了

  • 過ぎ去ろうとしない過去 - 歴史的事件の唯一無二性と『ホテル・ルワンダ』

    「『ホテル・ルワンダ』なんか何の役にも立たない!」議論に関して。 経過は、 http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20060225 http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20060225 論点は大きく分けて二つある。一つはもちろん差別の問題で、町山氏に噛み付いた人間が愚劣なレイシストであることは議論するまでも無く明らかなことだ。 もうひとつの論点は多少厄介である。「町山氏が『ホテル・ルワンダ』のパンフレットで関東大震災の朝鮮人虐殺問題を扱ったこと」すなわち、ある事件が普遍的な事例であることを主張するために別の事件を比較可能な事例として持ち出すことの問題であるが、これに対して多数の批判が寄せられているのである。 ある事件を普遍的なものとして扱うことは他方、その事件を相対化することである

    過ぎ去ろうとしない過去 - 歴史的事件の唯一無二性と『ホテル・ルワンダ』