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◇「デマ」の事実、継承されず 関東大震災から88年後の今月1日、横浜市南区の宝生寺に、喪服を着た男女50人が集まった。セミしぐれが響き、むせかえるような残暑の中、参列者が線香を手向けたのは朝鮮人犠牲者の慰霊碑。地震が発生した午前11時58分をはさみ、佐伯真魚(まお)住職(40)の読経は30分間続いた。 関東大震災の後、日本人によって朝鮮人が虐殺されたことはよく知られている。「朝鮮人が襲ってくる」「井戸に毒を入れた」といった根拠のない流言が飛び交い、悲劇を拡大させた。横浜も虐殺の現場だった。同寺の法要は、震災の翌1924(大正13)年から毎年開かれている。 当時、在日朝鮮人の同胞団体を主宰していた李誠七氏(故人)が、朝鮮人の供養をしてくれる寺を探したがことごとく断られ、宝生寺だけが引き受けたという。現在は在日本大韓民国民団(民団)が開催している。南区でも虐殺が記録されているだけに、佐伯住職は
この「フツの十戒」は、ルワンダ国内で生活するフツ族にとっては疑うことの許されない「教義」となり、とりわけ不満の捌け口を求めていた無職の若者の間では熱狂的に受け入れられた。「小さな家」の幹部は、これらの若者を集めてフツ族至上主義を掲げる武装集団「インテラハムウェ」を作り上げ、ツチ族に対する情け容赦のない襲撃を繰り返させた。 手に手にマチェーティ(鉈)やマス(釘を打ち込んだ棍棒)を持ったインテラハムウェの若者は、政府によって許可された暴力行為を精力的に実行し、彼らの手で惨殺されるツチ族の死者数はルワンダ全土で増加の一途をたどっていった。 歴史群像2006年12月号P190より。 ハビャリマナ大統領死亡の報せがルワンダ国内を駆け抜けると、暫定大統領のテオドレ・シンディクブワボとフツ族強硬派は「大統領殺害は間違いなくツチ族の仕業だ」と断定し、ラジオ放送などを通じて武装した若者に「報復」を行うよう呼
近日中に風刺画の続きをてがけますが一息のあとのまた一息に日本語記事クリッピング↓ 関東大震災の時の朝鮮人虐殺事件に対する解釈が、映画『ホテル・ルワンダ』との関係で、論争になっているのを id:gachapinfan さん、id:travieso さんのところで知る。この映画も見ていなければ、論争のきっかけになった映画評論や複数いる論争参加者の記事もきちんと読んでいず、なんだかややこしいことになっている論争に参加する気はないが、このきっかけをとらえて、この事件に関して以前から気になっていた証言を、ある本から引用紹介することにしたい。コメントも論争の展開を追わずにひとりよがりに適当につけます。さて問題の本は、 比嘉春潮『沖縄の歳月 自伝的回想から』(中公新書、1969) 著者の比嘉春潮は1883年沖縄生まれ。没落士族出身の知識階層に属し、小学校校長、新聞記者、県庁の役人を勤めながら、一方で社会
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