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考察と生死に関するcubed-lのブックマーク (2)

  • 「どうして人を殺してはいけないのですか?」 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    「死」の心身二元性 「死」とは、概念です。この概念は「人間」のみに可能です。動物は「殺す」ことはありません。「死」の概念がないので、「他者を潰そう」ということはあっても、そこに「死」への目的性はありません。 (「人間」の)「死」という概念は、「この私」という個人の尊重によって、生まれています。「この私」というとき、「死」は最高の「強度」をもち、逆に「集団の中の一人」のとき、いわば身体を形成する1細胞という集団の新陳代謝の1個体のように「死」の「強度」は低下します。 だから「殺す」=「他者を死へ至らしめる」ということは、「他者」とは「この私」の反転としての「このあなた」であり、個人の尊重された存在であり、「殺す」という概念には、すでに始めに「禁止」が内在されているのです。 このように「死」、「殺す」という言説を考えるとき、「人間としの人」と「動物としての人」の二面性、「心身二元性」を見る必要

    「どうして人を殺してはいけないのですか?」 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • 「で、みちアキはどうするの?」 - なぜ自殺してもよいのか?

    もしぼくが自殺するとしても誰にも言わずにこっそりやるだろうなぁ、と思っていたんですが、じゃあ、kissheeさんだけには事前に連絡するようにしようかな。 くもりの水曜日 : 自殺について kissheeさんからトラックバックをいただいていました。なんかコメント欄が盛り上がってるようですので、興味がある方はご覧になるとよいかと思います(ぼくはありません)。 で、まずひとつ訂正。TBいただいたエントリでは「ぼくは自殺肯定派」と書いていましたけれど、じっさいのところそんな“派”がほんとに存在するのかどうか判りません。ということで、自殺を肯定する人、ぐらいにしておいてください。 他者との関係性。むずかしいですね。ぼくが「生きることは選択だ」と言ったのはそんな大袈裟な話ではなく、もっとプリミティブな意味です。自殺はいけない、いやしてもよい、などと言う前に、まず、自殺は可能です。これは間違いないです。

    「で、みちアキはどうするの?」 - なぜ自殺してもよいのか?
    cubed-l
    cubed-l 2006/03/08
    同意
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