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研究と哲学に関するkamei_rioのブックマーク (3)

  • 妖怪博士と呼ばれた哲学者 彼が妖怪の撲滅に命を懸けた理由とは?(菊地 章太)

    明治時代の哲学者にして宗教家、東洋大学の創設者でもある井上円了(えんりょう)は、「妖怪学」の創始者でもありました。哲学者はなぜ全国を旅して妖怪事象を収集し、世間の迷信を一網打尽にすることを己の使命としたのでしょうか。井上円了『妖怪学とは何か』(講談社学術文庫)の編者を務めた菊地章太氏が、その謎に迫ります! 哲学者がなぜ妖怪を? 妖怪は学問の対象になるか。 明治の世に井上円了はその実現へ向けて邁進した。 円了は越後の真宗の寺に生まれた。生家の寺を捨て、東京で哲学を教える学校を創った。僧侶となる道を放棄した身だが、かえってそれだからこそか、文明開化の時代に即応した仏教のありかたを模索した。そのうえに、妖怪学という学問を確立すべく、全国を歩きまわって妖怪の伝承を収集して等身におよぶ著述をなした。 哲学をおのが尊とした人が、なぜ妖怪を研究対象としたのか。──それは決して余技でもなく道楽でもない。

    妖怪博士と呼ばれた哲学者 彼が妖怪の撲滅に命を懸けた理由とは?(菊地 章太)
    kamei_rio
    kamei_rio 2023/06/12
    "哲学の普及をみずからの使命とした円了にとって、まず立ち向かうべきは、世間にはびこる無知蒙昧なる妖怪の迷信を打破し、不合理な現象を合理的に解明していくことだった。"
  • 哲学が人類を「幸福にしない」これだけの理由

    連載をしばらくお休みにしていましたが、今月から再開です。これを機に、テーマは狭い意味の哲学に限らず、もっと広げていいのではないか、とくに社会、あるいは世間がいかに哲学を「嫌うか」というテーマを追及しようと思い立ったのです。 これは、ずっと昔(1995年)に『哲学の教科書』(講談社学術文庫)に書いて以来の私のテーマです。世間は一応哲学を「崇めるふり」をしながら、じつのところちっとも尊敬していないこと、いや、無視するならまだしも、実生活とぶつかり始めるや否や「ひねりつぶそう」と全力を傾けることです。 息子や娘が「哲学をしたい」と言い出すと… 日ごろ「哲学はやはり生活に必要ですなあ」とか「もっと哲学を取り入れなくっちゃ」と余裕をもって語っている男女(とくにインテリ)でも、いざ息子や娘が「哲学をしたい」と言い出すや、血相を変えて、「そんなことで生活ができるのか!」とか「お願いだから、もっとまともな

    哲学が人類を「幸福にしない」これだけの理由
    kamei_rio
    kamei_rio 2016/07/04
    "哲学など何の役にも立たないのですから、それに血税を使うのはもったいない" 哲学者が言うと重みがある
  • 巷にばら撒かれる「ニセ哲学」に警戒せよ

    「哲学」とは何のためにあるのか? 「哲学」は何の役に立つのか? こういう問いに対して、私は一貫して「何のためにあるのでもない、何の役にも立たない」と言ってきました。 哲学は、ソクラテスが提唱したように「よく生きる」ためでもなく、多くの哲学者が漠然と信じているように「真理を求める」ためでもないのです。そのほか、「救われる」ためでもなく「人間として向上する」ためでもない。では、と風向きを変えて「それ自体として楽しい」ためと答えれば、嘘になるでしょう。哲学をすることは、通常の意味で、ちっとも楽しくありませんから。 哲学をしないと「死んでしまう」人たち このあたりで、デカルトとかカントとかフッサールとかヴィトゲンシュタインといった「純系の」哲学者を振り返ってみますと、彼らにとって哲学は何のためにあるのか、すなわち、彼らはなぜ哲学をするのか、と問いかけると、もっともらしい答えがすべて嘘であることがは

    巷にばら撒かれる「ニセ哲学」に警戒せよ
    kamei_rio
    kamei_rio 2015/03/28
    "では、ホンモノの哲学とは何か?" を "天才哲学者たちが問い続けてきた根源的テーマに関わり続けることです。" と言われましても
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