経済大国・日本のもう一つの顔は、異常な物価の値上がりと物不足。秋になって突如、トイレットペーパーが店先から消え、関西で始まった行列買いは瞬くうちに全国へ広がった。値段は急上昇、春先には110円程度だったものが一時、380円になった。通産省の緊急輸送作戦もあって品物は出回るようになったが、値段は戻らなかった。
経済大国・日本のもう一つの顔は、異常な物価の値上がりと物不足。秋になって突如、トイレットペーパーが店先から消え、関西で始まった行列買いは瞬くうちに全国へ広がった。値段は急上昇、春先には110円程度だったものが一時、380円になった。通産省の緊急輸送作戦もあって品物は出回るようになったが、値段は戻らなかった。
掲載している映像は、古いフィルムから起こしたものであり、 傷・ムラなどで見づらい箇所があることをご了承下さい。 音声はありません。 撮影されている場所や時代背景などの情報は、書籍や証言その他による取材に基づいていますが、新たにお気づきの点がありましたら、 中国放送(アドレス:webmaster@rcc.net)までご連絡下さい。 大正15年(1925年)9月15日 撮影:藤井重一氏 中区大手町など 1:05 可部町在住の撮影者が家族と共に広島市を訪れた際に撮影。初めのカットは元安橋を歩く家族。元安橋は同年に竣工したばかりで、参考資料によると「親柱の上には橋詰めの球が、その間には照明灯が載せられ、広島県立商品陳列所(1933年に産業奨励館と改称)付近のモダンな光景を一層高めていた」。その後映像は、産業奨励館の横から相生通りに出て、日清戦勝記念碑へ歩き、ピクニックをする親子の姿を収めている。
このブログは今年の4月に開設したばかりだったので終戦の週にこの映像を思い出し、改めて記事として紹介してみることにしたのだ。 2015年8月10日に記事を公開してからシェアやRTにより大きな反響を呼び、さらに映像の中に1948年11月公開の映画「四十三丁目の奇蹟」のポスターが貼られていることを発見した人から1948年秋の映像ではないか?という指摘が寄せられた。 その後、クルマやスクーターなどに詳しい人からも1948年説を裏付ける情報をもらったので、元記事のタイトルや内容は変更せずに文末に新しく判明した事実を追記するカタチをとった。1946年と思って書いたので終戦直後というタイトルにしたが後に1948年と年代特定されたので終戦から3年後ということになる。 私も新橋の撮影ポイントに行ってカメラ位置を検証したり音楽PVで使われていた映像の元素材を何度も見たりしていたが、いくつかの疑問があった。 【
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