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歴史と報道に関するmorobitokozouのブックマーク (7)

  • 「首相動静」何のために|NHK NEWS WEB

    加計学園の獣医学部新設をめぐり、3年前、安倍総理大臣は加計理事長と面会したのか。 即座に否定した安倍総理大臣が、根拠の1つとしたのが報道各社の「首相動静」だ。「首相動静などで調べるしかないが、それを見るかぎりお目にかかっていない」と。しかし、首相動静は当に根拠となるのか。そもそも、総理のすべての動きを捉えたものなのか。 今回は、私たち総理番記者が「首相動静」をどのように取材し、書いているか明らかにしよう。そして、いつから、なぜ始まったのか、その起源をたどってみた。 (政治部総理番 佐久間慶介) 「首相動静」の記事をご存じだろうか。新聞社によって名前は違うが、全国紙などの片隅に毎日、小さく掲載されている。NHKでもウェブサイト上に「総理、きのう何してた?」というコーナーで日々更新している。 総理の行った場所、面会者を記録したもので、「何時何分、誰それと面会」などと記載されている。 総理の日

    「首相動静」何のために|NHK NEWS WEB
  • 21世紀のオウム報道から消えたもの

    7月6日の朝、麻原彰晃こと松智津夫以下7名の「オウム真理教」関連の死刑囚が処刑された。 私は、W杯観戦シフトで昼夜逆転した生活を送っていたため、このニュースに気づいたのは昼過ぎだった。 で、すぐにテレビをつけたのだが、5分ほど画面を眺めたところで受像機のスイッチを切った。 理由は、いまさらのように驚いてみせている画面の中の人たちに同調できなかったからだ。 こういう書き方は誤解を招く。言い直そう。 私は、当日のテレビ番組に出演していた人たちが、ほんとうは驚いてもいないのに、善人ぶって大げさに驚いたふりをしていたとか、そういうことを言おうとしているのではない。 ありていにいえば、テレビの番組が提供しているオウム事件の概要説明に納得できなかったということだ。 だから、これ以上自分を不快な気持ちにさせないために視聴を断念した。それだけの話だ。 私は、誰かを責めているのではない。 むしろ自分を責め

    21世紀のオウム報道から消えたもの
  • 「山口メンバー」報道から振り返る、芸能人呼称の歴史 逮捕・書類送検で各社対応は? - 弁護士ドットコムニュース

    「山口メンバー」報道から振り返る、芸能人呼称の歴史 逮捕・書類送検で各社対応は? - 弁護士ドットコムニュース
  • 見出しはただ一言「HIROSHIMA」 米記者が1946年に書いた恐怖 - BBCニュース

    ジャーナリズムの歴史でも特に優れていると名高い雑誌記事の発表から、8月末で70年が過ぎた。記事の見出しはただひと言、「HIROSHIMA」。ジョン・ハーシー氏が書いた3万語にもなる記事は、核兵器による恐怖の全容を戦後の世の中に伝え、大きな衝撃をもたらした。BBCのRadio4編成責任者だったキャロライン・ラファエル氏が、その経緯を振り返る。 私の手元に、1946年8月31日発行の米誌ニューヨーカーがある。表紙のイラストは実に無難で、陽気で無邪気な夏の公園の風景が楽しく描かれている。背表紙ではニューヨークの球団、ジャイアンツとヤンキースの監督が、たばこは「チェスターフィールドで決まり」だと宣伝している。 ニューヨークのタウン情報と映画欄、ダイヤモンドや毛皮、車やクルーズのきらびやかな広告に続いて、編集部からの簡単なお知らせが載っている。そこには、この号全体をたったひとつの記事に充てると書かれ

    見出しはただ一言「HIROSHIMA」 米記者が1946年に書いた恐怖 - BBCニュース
  • らばQ : 世界を震撼させた20世紀の衝撃写真

    世界を震撼させた20世紀の衝撃写真 世界を変えてしまうという写真が世の中にはあります。 新聞や雑誌のトップを飾り、人々の脳裏に焼きついて離れません。 ここに集められたのは主に20世紀を中心とした、人の心を動かした有名な写真の数々で、何度か目にしたものも多いとは思います。 それぞれの写真が世界にどんな影響をもたらしたのか、そして写真の背景や、その後の人物たちはどうなったのかに焦点を当てて紹介しています。 ベトコンゲリラの処刑(1968年) この写真は写真家エディ・アダムス(Eddie Adams)によって撮影され、ピューリッツァー賞を受賞した一枚。サイゴン警察が捕虜として捕らえたベトコン(南ベトナム解放民族戦線)の兵士グエン・ヴァン・レム(阮文歛)を、グエン・ゴク・ロアンが路上で射殺するところである。ベトナム戦争アメリカの介入について世論に大きな影響を与えた。 グエン・ヴァン・レムのことを

    らばQ : 世界を震撼させた20世紀の衝撃写真
  • ファン・ティー・キムフック - Wikipedia

    ファン・ティー・キムフック(ベトナム語:Phan Thị Kim Phúc、音訳漢字:潘氏金福、1963年4月6日 - )は、ベトナム系カナダ人。1972年ベトナム戦争の際にフィン・コン・ウトが撮影したピューリッツァー賞獲得の写真に写ったことで知られる。 国際的な反戦運動家で、キム財団を創設し、カナダ・ヨーク大学名誉法学博士、ユネスコの親善大使を務めている。 財団の名前がキム財団 (Kim Foundation) であることなどから、キム・フックやキムさんと呼称されることも多いが、姓はファン(Phan、潘)。キムフック(Kim Phúc、金福)は名である。 経歴[編集] 画像外部リンク ベトナム戦争期[編集] キムフックはベトナム戦争当時、タイニン省(西寧省)チャンバンで暮らしていた。 1972年6月8日、チャンバンにおいて南ベトナム軍と北ベトナム軍が交戦、南ベトナム軍の空軍機がナパーム弾

  • 情報の改竄・隠蔽・捏造を繰り返す政治がもたらす悲劇【再掲】|大本営発表|辻田真佐憲

    公文書の改竄(かいざん)、捏造(ねつぞう)を行ってきた現政権。かつて、日軍の最高司令部「大営」も、太平洋戦争下に嘘と誇張で塗り固めた公式発表を繰り返してきました。当時の軍部は現在に置き換えると政権。政治の中心でなぜ、情報の改竄、捏造、隠蔽が起きるのか? そしてそれがどういった結末を迎えるのか? 2016年に発売された辻田真佐憲さんの『大営発表~改竄・隠蔽・捏造の太平洋戦争~』は、正確な情報公開を軽視する政治の悲劇、悲惨さを教えてくれます。今こそ読むべき一冊。あらためて「はじめに」をご紹介します。 大営発表の悲劇を繰り返さないために 大営発表は、日メディア史の最暗部である。太平洋戦争の時代、大営がデタラメな発表を行い、メディアがそれを無批判に垂れ流し、国民がそれに踊らされた。今日でも大営発表は、「あてにならない当局の発表」の比喩として頻繁に用いられている。 とはいえ、「大

    情報の改竄・隠蔽・捏造を繰り返す政治がもたらす悲劇【再掲】|大本営発表|辻田真佐憲
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