ナショナル ジオグラフィックの書籍『世界をまどわせた地図』で紹介する国、島、都市、山脈、川、大陸、種族などは、どれもまったくの絵空事だ。しかし、かつては実在すると信じられていたものである。なぜだろう? それらが地図に描かれていたからだ。 神話や伝承として語り継がれていたものもあれば、探検家の間違いや誤解から生まれたものもある。なかには、名誉のため、あるいは金銭を集めるための完全な「でっち上げ」すらある。その代表例として、ここでは「ポヤイス国」の物語を紹介する。史上最悪の詐欺師グレガー・マグレガーによる嘘の国だ。 世界一の大ぼらふき、グレガー・マグレガー 1822年頃のヨーロッパは不景気の中にあり、コロンビアやチリ、ペルーなどの南米の国々はチャンスを期待する投資家たちの人気を得つつあった。それらの国の国債は利回りがよく、見逃せないもうけ話だったのだ。そんな時代に、モスキート・コースト国のジョ
ギュンター・グラスの洞察のすごさは、 「硬直化した反戦教育はむしろ極右の正当化の土台をつくってしまう」 「老人は(反抗的な)子ではなく孫の世代をターゲットに復古思想を伝授する」 「その最初のとっかかりは潜在的なミリオタだ」 という… https://t.co/ZmIIGb1yoK
CIA職員「ああ、フーコーやラカンを読んで敵を研究した古き良き左翼の時代に帰りたいよ…いまや我々はスティーブン・バノンの脳が腐りそうなトンデモ本を読んで傾向と対策を講じなきゃならんのだからな…」 https://t.co/RdDFEDfmbB
2009年08月15日14:30 カテゴリ書評/画評/品評Love それを選んでしまわぬために - 書評 - それでも、日本人は「戦争」を選んだ 朝日出版社鈴木様より献本御礼。 それでも、日本人は「戦争」を選んだ 加藤陽子 これは、すごい。 はじめて「腑に落ちる」日本近代史を読ませていただいた。 なぜ、それでも日本人が、いや二十世紀人たちが戦争を選んだのかを、やっと納得することができた。 そして、わかった。 どうしたら戦争を選ばずにすむのかが。 本書「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」は、歴史学者である著者が、中高年ではなく中高生とともに、日清戦争から太平洋戦争に至る戦争の世紀を一緒に学んだ記録。 それでも、日本人は「戦争」を選んだ 加藤陽子 目次より 序章 日本近現代史を考える 1章 日清戦争 - 「侵略・被侵略」では見えてこないもの 2章 日露戦争 - 朝鮮か満州か、それが問題
アドルフ・ヒトラーの著書「わが闘争」。ドイツの首都ベルリンの図書館で(2015年12月7日撮影、資料写真)。(c)AFP/TOBIAS SCHWARZ 【1月4日 AFP】ナチス・ドイツ(Nazi)の指導者アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)の著書「わが闘争(Mein Kampf)」を第2次世界大戦(World War II)後初めてドイツ国内で再出版したミュンヘン(Munich)の現代史研究所(IfZ)は3日、同著が予想外のベストセラーとなったと発表した。 ヒトラーの反ユダヤ思想などが記された同著は、2015年末で著作権の保護期間が切れたことを受け、昨年1月に注釈付きで再版されていた。同研究所によると、これまでに約8万5000部が売れたという。 再版により極右のイデオロギーが広まるのではないかとの懸念が上がっていたが、同研究所はこれを否定。その代わりに、今日の欧米社会で再び台頭
我々の時間についての遠近感は、時としてとんでもなく歪むが、それに気付く機会があまりない。 だから、何か一つの事項について年表をつくると、背筋が伸びるかのように、縮んでいた時間感覚を修正できる。 自分の経験だと、自分が生まれる前の、近現代あたりが、かなりアバウトにいっしょくたにされていることが多い。サルトルの『嘔吐』がベストセラーになるのはもっとずっと後のように思っていたが、実際は1946年である。 これは周りに質問してみるといい。世代によっては「70年代あたり」に「サルトルがブームだった」となってたりするので、自分と違う世代の人と質問し合うとおもしろい。 ベストセラーの悪口をいうにしても、ファクトを整理しといた方がいいと思って作った私物くさいリストであるが、いろいろツッコミどころや「発見」のしどころがあると思うので公開してみる。 現在に近づくほど、これまた私見だが、ベストセラーと
田舎の工場で発売前のCDを盗んでいた労働者、mp3を発明したオタク技術者、業界を牛耳る大手レコード会社のCEO……。 CDが売れない時代を作った張本人たちの強欲と悪知恵、才能と友情を描いた話題作『誰が音楽をタダにした? 巨大産業をぶっ潰した男たち』(早川書房)より、イントロダクションを特別公開! この音楽はどこから来たんだ? 僕は海賊版の世代だ。 1997年に大学に入った時、mp3なんて聞いたこともなかった。 初めての学期末に、2ギガバイトのハードドライブに海賊版の曲を何百と詰め込んだ。卒業する頃には、20ギガバイトのドライブ6台がぜんぶ満杯になった。 2005年にニューヨークに引っ越した頃には、1500ギガバイトの音楽を集めていた。アルバムにするとおよそ1万5000枚だ。再生待ちに1時間はかかったし、アーティストのアルファベット順に曲を並べ替えたら、ABBAからZZトップまで聞き終わるの
私は、大塚ひかりさんには恩を受けている。大塚さんの仕事の中に、ひとりで全訳をした『源氏物語』(ちくま文庫)があるのだが、その本のおかげで私は初めて『源氏物語』の全巻を読み通すことができたのだ。 それより前には、いろんな作家の現代語訳で挑戦したのに、ついにすべてを読み通すことができなかった。谷崎潤一郎訳では、全10巻のうち第1巻(「若紫」まで)しか読めなかったし、その後、円地文子訳でも、瀬戸内寂聴訳でも読もうとしたのだが、半分くらいまでで挫折してしまっていたのだ。『源氏物語』を通読するのは私には無理なのかと思ったくらいだ。 ところが、年を取って図々しくなっている私は、よくわかっているような顔をして『源氏物語』について、解説するようにしゃべったりしていた。あの物語の中のヒロインたち何人かを題材にして大いにパロディ化してみた『読み違え源氏物語』(文藝春秋)という短編集まで出しているのである。ある
このほど東大の神経科へ入院したおかげでいくらか病気がよくなってからの二週間ほどたいがい後楽園へ通った。 科長の内村裕之先生は往年の大投手であり今日でも野球ジャーナリズムの第一人者であるから、廻診の折、もう君、そろそろ、後楽園へ野球でも見物に行きたまえ、その方が気晴らしになる、とアッサリ先方から意外の外出を許された時は、僕も嬉しかったが、実は内々不安でもあった。実を申すと、まだ歩行がさのみ充分とは申されない。自動車、電車の往来がひどく気にかゝる。内村先生は一週一回の廻診であるから、僕の体力を外見から判断されてアッサリ野球見物をすすめて下さったわけだが、担当の千谷外来長は毎日回診して外見以上のことを熟知していられるから、僕がさっそく科長の言葉をタテにとり、じゃア後楽園へ行ってきます、と云うと、イケマセン、とも申すわけに参らず、ちょッと、悲しそうな顔をなさって、長く見てちゃア、いけませんよ、すこ
フェイスブックの今日は何の日的な書き込みで、「57年前の今日(1959/03/15)、フィリピン、ルバング島の小野田寛郎少尉と小塚金七一等兵が日比合同捜査隊に発砲する」というのを目にした。 横井庄一さん、小野田寛郎さんの帰還はテレビで大々的に中継されていたから鮮明に覚えている。でも、小野田さんと一緒に潜伏していた日本兵が複数いて、仲間は戦後だいぶ経ってから銃撃戦の中で死んで、小野田さんだけが戻って来たことは、記憶としては残っているけれど、詳細については知らないことが多いと気づいた。 そこで、実際はどういう経緯だったのか、調べてみることにした。 時系列でまとめると、 1945年2月28日 米軍がルバング島に上陸。装備もまともになかった日本軍はあっという間に壊滅状態で、一部兵士が山の中に逃げ込んで潜伏。生き残った数十名が投降。小野田寛郎少尉は島田庄一伍長、赤津勇一一等兵、小塚金七一等兵と一緒に
河村北溟の『断食絶食実験譚』は、断食した人々に取材をしたルポルタージュである。とはいえ所詮は明治時代のいい加減な雑本だ。知人や友人の体験談が内容の大部分を占める。河村北溟は漢学を収めた人だから、登場するのは漢学塾の人々ばかりになってしまう。 その中で大山利之を筆頭に黒田清安、俵田六郎、海老原周助ら青年五名の断食旅行が紹介されている。無一文で麹町三番町から出発し、江ノ島、鎌倉、横浜を巡り帰ってくるという旅程で、その目的は鍛錬だ。 大山利之は鹿児島出身の士族、士官学校に入ろうとしたが、身長が低いということで不合格となった。そこで忽ち目的を変えて、国事探偵になることを決める。海外で探偵活動をする際、食料にありつけないまま大陸を踏破することもあるだろう。あらかじめ訓練をしておく必要がある。そこで企画されたのがこの旅行である。他の参加者は国事探偵を志望していたわけではないが、面白そうだということで旅
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