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災害と歴史に関するshibusashiのブックマーク (10)

  • 霞提越水が洪水と思えないのは現代的常識のため

    長浜市の高時川が氾濫した航空写真の件で「あれは遊水地だから洪水じゃない」と言ってる人が多いのだが、あれも洪水です。 https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/kentaoki/status/1555648450955735040 洪水っていうのは普通水が流れない場所に水が流れてる事をいうので、河川敷の河原が水没しているのも洪水なのだ。 だから元記事の「河川敷も水没」っていう記述に文句言うのもおかしいのである。 川と人間の活動地が堤防で仕切られているという常識は最近のものそもそも河川=堤防の向こう側=人間の営み無しの地というのは今は常識になっているが、この常識は精々50~100年程度の歴史しかない。 人類文明は有史以来水と戦ってきたが、それは必ずしも堤防で川を閉じ込めるという意味ではなかった。氾濫が頻発する箇所は氾濫するに任せておき、水が少ない季節

    霞提越水が洪水と思えないのは現代的常識のため
  • ポンペイ遺跡で考古学者の通訳ガイドをすると一番多い質問「亡くなった人の服が焼けていないのはなぜ?」に対する考古学者の答えが興味深かった

    ヴィズマーラ恵子🇮🇹 @vismoglie ✍️ニューズウィーク日版WorldVoice【イタリア事情斜め読み】ブロガー・コラムニスト 🎙文化放送【おはよう寺ちゃん】コメンテーター JAPANESETEASTORE.com 日茶舗代表取締役MATCHA STORE® 🏎スーパーカー並行輸出コンサル会社経営🇯🇵⇄🇮🇹 逐次通訳・翻訳 newsweekjapan.jp/worldvoice/vis… ヴィズマーラ恵子🇮🇹 @vismoglie ポンペイ遺跡考古学者の通訳ガイドをする時「亡くなった人の服が焼けてないのはなぜですか?」という質問が一番多かった。400度の熱風を吸い込めば人は即死する。骨の中にコラーゲンが残っていたので人々を襲った高温は400度未満だと判明。コラーゲンは500度以上でゼリー状のゼラチンに変化するからね 2020-12-28 06:25:04

    ポンペイ遺跡で考古学者の通訳ガイドをすると一番多い質問「亡くなった人の服が焼けていないのはなぜ?」に対する考古学者の答えが興味深かった
  • 西暦535年に何が起きたのか 1 | 鳥です - 楽天ブログ

    2013.12.08 西暦535年に何が起きたのか 1 (4) カテゴリ:西暦535年の大噴火 今回から久々火山がらみの、長ったらしいお話しをしようかと思います。 相当長い話になるのは確実なので、途中プラモや雑談その他のブログが多々入り、途中中断することもあるかな(苦笑)。というか、無事完結させられるのか、ちょっと自信ありません(汗)。 さて、西暦535年というと、何が思い浮かぶでしょうか? 10年以上前ですが、私と同じ歴史好きの友人の1人に尋ねたところ、「仏教伝来だっけ?」と、惜しい答えが返ってきました(日への仏教伝来は、538(宣化3)年説と552(欽明13)年説の2つがあります。今のところ538年説が有力です)。 歴史に興味のない知人は、「応仁の乱?」という、時代を900年ほど超越する発言をしてくれました(応仁の乱は、1467(応仁元)~1477(文明9)年です)。間違えるにしても

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  • 人類史上「最悪の年」だといわれる西暦536年には何が起こったのか?

    by tazzanderson 人類の歴史の中で「生きる時代として最悪の年」としては、ヨーロッパ人口の3分の1~3分の2が死亡したとされる黒死病が大流行した1347年、ホロコーストのあった1941年~1945年の間、そしてインフルエンザが大流行し1億人の死者を出した1918年などが候補として考えられます。しかし、ハーバード大学の研究者は、多くの人が考え至らなかったであろう「西暦536年」を「最悪の年」として挙げています。536年に何が起こったのかが、最新の研究で詳しく示されました。 Alpine ice-core evidence for the transformation of the European monetary system, AD 640–670 | Antiquity | Cambridge Core https://www.cambridge.org/core/jour

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  • “巨大地震”神奈川に危険な予兆…最大で“震度7”も - 政治・社会 - ZAKZAK

    元日の午後からやや強い地震に見舞われるなど、年が明けても列島の地下は不気味に動いている。前回の東日大震災といわれる大地震が発生した9世紀は全国各地で強い地震が相次いだため、一連の活動はしばらく続きそうだ。そんななか、「3・11」後、発生リスクが急上昇したとみられる「ある断層」に専門家が注目している。場所は神奈川県で、過去にも最大震度7で首都圏に壊滅的な被害をもたらしただけに警戒心を強めているのだ。  のどかな寝正月に水を差された。1日午後2時28分ごろ伊豆諸島の鳥島近海を震源とする地震では、東京23区や宮城県岩沼市など東北から関東地方にかけての広い範囲で震度4を観測。規模はマグニチュード(M)7・0と大きかったが、370キロ(推定)という震源の深さに救われ、大きな被害はなかった。  いったい、日列島周辺ではいつまで活発な動きが続くのか。1000年に一度といわれる東日大震災は、“前回”

  • asahi.com(朝日新聞社):南海トラフの大津波、2400年前から繰り返し発生 - 社会

    印刷 関連トピックス地震  東南海地震が発生してきた南海トラフ沿いで、大津波を伴う地震が2400年前から18世紀まで16回、100〜200年間隔で発生していた痕跡を、大阪市立大や産業技術総合研究所などのグループが見つけた。12日から静岡市で開かれる日地震学会で発表する。古文書がない時代の地震を知り、将来を予測する手がかりになりそうだ。  研究グループは、三重県尾鷲市の大池にたまった地層を掘り、過去の地震で津波が運んだ砂などを調べた。年代測定の結果、2400年前から18世紀ごろの地層で津波の痕跡が16層見つかった。  うち7層は、歴史の記録に残る684年の白鳳地震から1707年の宝永地震に対応、それ以前の記録がない時代に8回の大津波があったことがわかった。残る1層は、記録では明確でないが、地震が起きた可能性が指摘されていた12〜13世紀ごろの津波の痕跡とみられる。 関連リンク震源域の連動で

    shibusashi
    shibusashi 2011/12/25
    『東南海地震が発生してきた南海トラフ沿いで、大津波を伴う地震が2400年前から18世紀まで16回、100~200年間隔で発生していた痕跡』
  • 「騙された」とか歌って喜んでる斉藤和義と信者はこれ読めよマジで

    戦争責任者の問題伊丹万作  最近、自由映画人連盟の人たちが映画界の戦争責任者を指摘し、その追放を主張しており、主唱者の中には私の名前もまじつているということを聞いた。それがいつどのような形で発表されたのか、くわしいことはまだ聞いていないが、それを見た人たちが私のところに来て、あれはほんとうに君の意見かときくようになつた。 そこでこの機会に、この問題に対する私のほんとうの意見を述べて立場を明らかにしておきたいと思うのであるが、実のところ、私にとつて、近ごろこの問題ほどわかりにくい問題はない。考えれば考えるほどわからなくなる。そこで、わからないというのはどうわからないのか、それを述べて意見のかわりにしたいと思う。 さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから

    shibusashi
    shibusashi 2011/04/15
    名文。『批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだね』『彼らの跳梁を許した自分たち』国民の安全を蔑ろにする隠蔽体質の組織やシステムをどう改善(解体?)するかを議論しないと
  • 有事の決断 ―阪神淡路大震災と自衛隊part2  - リアリズムと防衛を学ぶ

    前回の続きです。震災の直後、半分以下の職員しか集まらなかった自治体が混乱する一方で、自衛隊は早朝から災害派遣に備えて準備にとりかかっていました。主要な人員が速やかに参集し、非常勤務態勢に移ったのは午前6時台のことです。有事の組織に相応しい即応を示したといってよいでしょう。… 【この記事は新ブログへ移転しました】

    有事の決断 ―阪神淡路大震災と自衛隊part2  - リアリズムと防衛を学ぶ
  • livedoor ニュース - 水害多発!忘れ去られた「危険地名」。

    水害多発!忘れ去られた「危険地名」。 2006年07月23日06時06分 / 提供:PJ 【PJ 2006年07月23日】− 鉄砲水、崖崩れ、堤防の決壊…列島に横たわる大雨の影響から、各地で多くの被害が出ている。亡くなった方や被災者には申し訳ないが、その土地の危険度を事前にご存知なかったのだろうか。自治体、消防署、警察署では防災訓練に怠りはなかったのだろうか。私たちの祖先は得がたい経験から、住まいに適した土地を熟知し、危険度の高い土地には「危険地名」を残していった。それが昨今、科学技術への盲信からか全く生かされていないのはまことに残念でならない。  例えば今回の集中豪雨で被害を受けた土地は、熊県「水俣」市であり、鹿児島県「湧水」町であった。古来、「股」「枝」「岐」は河川が合流、または枝分かれする地帯を指し、「湧水」は正しくそのママの地名である。20年前の夏、茨城勝田市「枝川」付近(現ひ

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