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読み返すと旧軍に関するshibusashiのブックマーク (6)

  • インパール作戦後の“地獄”指導者たちの「道徳的勇気の欠如」 | NHK | WEB特集

    太平洋戦争で日軍と戦ったイギリス軍のある司令官は、日軍の上層部の体質を次の様に喝破していた。 「日軍の指導者の根的な欠陥は、“肉体的勇気”とは異なる“道徳的勇気の欠如”である。彼らは自分たちが間違いを犯したこと、計画が失敗し、練り直しが必要であることを認める勇気がないのだ」(第14軍 ウィリアム・スリム司令官 ※タイトル画像の人物) 戦いの舞台となったのは、インパール作戦で知られるビルマ戦線(現在のミャンマー)。実は、太平洋戦争で“最も無謀”といわれたインパール作戦のあと、それをはるかに上回る命が失われていたのだ。 指導者たちのどのような体質が、さらなる“地獄”を作り出したのか。 77年の時を経て、私たちが直視すべき「道徳的勇気の欠如」、その実態をひもとく。 (NHKスペシャル「ビルマ絶望の戦場」取材班)

    インパール作戦後の“地獄”指導者たちの「道徳的勇気の欠如」 | NHK | WEB特集
    shibusashi
    shibusashi 2022/10/24
    『「自分たちが間違いを犯したこと、計画の練り直しが必要なことを認める勇気がない」ビルマで日本との戦いを指揮し、日本軍指導者の体質を“道徳的勇気の欠如”と指摘した』
  • 「ドイツやフランス軍による戦場での管理売春、従軍慰安婦、性奴隷」というTogetterの事実誤認 - 法華狼の日記

    momoetbeppo氏のまとめたTogetterが、はてなブックマークを集めていた。 ドイツやフランス軍による戦場での管理売春、従軍慰安婦、性奴隷 - Togetter しかし最初に資料らしきものを示しているツイートは、古くから日軍慰安所との類似が指摘されているドイツのみ。 以降のツイートの多くは、必ずしも資料を示していないし、従軍慰安婦問題の争点を踏まえられていない。 まずタイトルの時点で、日軍慰安所制度にかぎらず、あまり公娼制などの議論を踏まえていないことがわかってしまう。 この問題の文脈において「管理売春」という言葉は固有の語義があり、売春を公的に管理するという意味で使うべきではないのだ。 管理売春(かんりばいしゅん)とは - コトバンク 自己の占有・管理する場所または指定する場所に居住させ、売春させることを業とすること。売春防止法上の犯罪。 公娼(コウショウ)とは - コトバ

    「ドイツやフランス軍による戦場での管理売春、従軍慰安婦、性奴隷」というTogetterの事実誤認 - 法華狼の日記
  • 転機となった「裏切り」 野中広務さんの「政治と差別」

    2018年1月26日に92歳で亡くなった元官房長官の野中広務さんは、近年、政権中枢を担った保守政治家の中ではとびぬけて重たい人生経験の持ち主だった。 戦争末期に召集され、軍隊生活を送っただけではない。身をもって「被差別」を知り、もがき苦しんだ過去があった。 「差別体験」を赤裸々に語る 元共同通信記者、魚住昭さんは2004年、『野中広務 差別と権力』(講談社)を出版、野中さんの波乱に満ちた人生に切り込んだ。当時、しぶしぶ取材に応じた野中さんは「話をするのはいいけれど、雑誌に書かれるのは迷惑な話なんで、死んでからにしてください」と、良い顔をしなかった。 だが、政界引退後の09年に人材育成コンサルタント、辛淑玉さんと共著で出した『差別と日人』(角川書店)では、もう吹っ切れたのか、自らの「被差別体験」を赤裸々に語っている。 忘れようにも忘れられない「事件」が起きたのは25歳のころだ。野中さんは大

    転機となった「裏切り」 野中広務さんの「政治と差別」
  • 終戦後、ある日本軍人が”好敵手”に敬意「君達(味方)は一騎当千だった。必ず何か盗んでった」…これがリアル「大砲とスタンプ」 - INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

    当は終戦記念日に合わせて書きたかったのだけど、やや遅れ気味になった。 終戦を迎え、フィリピン戦線の帝国軍人たちが送られたとある収容所にて。 元砲兵隊の少尉が往時を回想する…。 その部隊には米軍が捨てていった自走砲が配備されていた。 (自走砲は軍事(装備)オンチの当方も知っている。砲があって、車がついているから、戦車に見た目はやや似ているのだが、砲塔が回らず、一方向だけを向いているのだ) だから、陣地を移動したり向きを変えるときには、当然走らせなければいけない。そして、それには当然ガソリンをう。 この移動と、そのためのエンジンの調整と、予備陣地への移動訓練のためわずかに燃料が支給された。 だが実際はこの燃料は、料集めに使われていた(略)当然それだけでも、機動力のあって人員の少ない部隊は、それのない部隊よりはるかに給与がよくなり…さらに受領した多量の塩との交換で、民間からの物資や人夫の調

    終戦後、ある日本軍人が”好敵手”に敬意「君達(味方)は一騎当千だった。必ず何か盗んでった」…これがリアル「大砲とスタンプ」 - INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-
  • 山本七平botまとめ/『”員数主義”に陥り易い日本人』~「不可能命令」とそれに対する「員数報告」で成り立つ”虚構”の世界~

    七平bot @yamamoto7hei 1】~前略~S中尉は暗い顔で言った。「戦争は員数じゃないんだが……」と。だがその言葉には諦めに似た響きがあった。S中尉の言った「員数」という言葉にはその原意とは違った、軍隊内でしか通用しない独特意味があった。一応これを「員数主義」と言っておこう。<『一下級将校の見た帝国陸軍』 2012-05-28 02:56:48 山七平bot @yamamoto7hei 2】このイズムは、もうどうにもならい宿痾、日軍の不治の病、一種のリュウマチズムとでもいうべきもので、戦後、収容所で、日軍壊滅の元凶は何かと問われれば、殆どすべての人が異口同音にあげたのがこの「員数主義」であった。 2012-05-28 03:26:31 山七平bot @yamamoto7hei 3】そしてこの病は、文字通りに「上は大営より下は一兵卒に至るまで」を、徹底的にむしばんでい

    山本七平botまとめ/『”員数主義”に陥り易い日本人』~「不可能命令」とそれに対する「員数報告」で成り立つ”虚構”の世界~
  • 日本人はなぜ戦争へと向かったのか 戦中編 果てしなき戦線拡大の悲劇 - こんなことしてません?

    どこまで勢力圏を拡大するか、戦いに終わりがあるのか? 中国戦線が泥沼化していく中で、切羽詰まった日は対米開戦を断行、海軍と陸軍の対立を引きずったまま戦線は拡大していく。 日には3つの政権があった、内閣総理大臣率いる政府。そして海軍と陸軍。 開戦直後からどう戦争を終結させるか、東条内閣は研究を始めた。しかし半年にわたって議論を続けたものの陸海軍の主張は一化されず、首脳が結論を先送りしたため、日の戦線はなし崩しに拡大していく。その結果、300万が犠牲となる。 勝ち目はないとわかっていた。なんのための戦争なのか基線がなかった。 ABCD包囲網の経済封鎖により、石油や鉱石などの原材料(戦略物資)の調達ができなくなった日は、南方の資源産出地を占領して国家存続のために必要な資源を獲得するのが太平洋戦争の最初の目的であった。 そして日軍は開戦から1ヶ月でその目的を果たし、1942年2月には

    日本人はなぜ戦争へと向かったのか 戦中編 果てしなき戦線拡大の悲劇 - こんなことしてません?
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