桜を見る会の問題ではっきりしたのは、主義主張以前の当たり前の政治の作法が安倍政治では崩れ去っているということだ。 権力の座にいるならば、その権力行使は抑制的でなければならない。自分の支援者や妻の関係者を優遇するようなことは一番避けなければいけない。しかし、「李下(りか)に冠を正さず」という自制が全くない。官僚機構も含めてまわりが全く止めようとせず、迎合し、忖度(そんたく)し、唯々諾々と従っている。 自民党内で長老が苦言を呈したり、若手が反旗を翻したりすることもない。権力者がどんな不正をしてもとがめられることがないのは国家の危機ではないか。 国民を見下している 安倍晋三首相は桜を見る会のような疑惑だけではなく、憲法を含めた政策課題についても質問にまともに答えようとしない。流行語になった「ご飯論法」のようなごまかし、はぐらかししかしない。国民を見下していると言われてもしかたない。 何があっても