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人生に関するHamukoroのブックマーク (175)

  • 子供を産むと女は

    子供を産むと女は、現役引退してしまう。 キャリアを引退してマミートラックへ。 女を引退。 若さを引退。 自分を引退。 そして子供に手がかからなくなった頃に、再び素人に毛の生えたような趣味に勤しみ始める。 私はそんな人生が歩みたいのかな。 わからない。 わからない。

    子供を産むと女は
  • 絵が描けるという呪縛

    うまく描けるわけでも、魅力的に描けるわけでもない。 話題の二次創作ものを描けば、ピクシブのデイリーランキングには入る。 ツイッターのRTが100以上になる。 話題のものを描かない場合は、地域ランキング50位内に入る。 (ランキングやRT数が絵の魅力を表しているわけではないし、ランキングに入っていないから駄目というわけではない。だけど、分かりやすいひとつの指針であることは間違いないだろう) その程度の、絵を描くことができるが、魅力的な絵を描くことができない画力しか持っていない。 神絵師になれないインターネットお絵かきマンが自分だ。 なまじ創作できてしまう、というのはすごくすごくすごく面倒くさい。 描けないから、出来てないからやめる、というのができない。 例えば、作曲家を目指すど!と意気込み、DTMを起動してみたが、自分が作りたい音がドなのかソなのか、レなのか分からない。ならと適当に良いフレー

    絵が描けるという呪縛
    Hamukoro
    Hamukoro 2017/10/18
    一つのことにそこまで集中できるってすごい
  • 遺産で6000万入った貧乏婆さんの末路(追記の追記有り)

    俺の母親なんだが、6年ほど前に俺の祖父(母から見て父親)から遺産で6000万ほど入った 遺産相続した時、俺の母親の年齢は62歳。警備員で月に10日ほど働いて数万稼いで、生活保護もらって何とか生きてる状態。 そこにいきなり大金が転がり込んだ。 それでどうしたか? まず家を買った。 これでまず1100万ほど消えて残り4900万。 俺が貸してた200万を返還させた。一生帰ってこないと思っていたが、これはラッキーだった。 残り4700万。 中古の車を買った。100万くらい。 残り4600万。 住んでた家を引き払って買った家に引っ越した。 退去の修繕と引っ越しと家具家電で300万ほど使う。 残り4300万。 それでも62歳で貯金4000万超ってありがたい状況やん?家具家電新品だから10年は壊れんし、家も無借金でリフォーム済だ。 生活保護期間は国民年金払ってるカウントされるらしく、6万くらいは年金出る

    遺産で6000万入った貧乏婆さんの末路(追記の追記有り)
  • https://anond.hatelabo.jp/20171012122905

  • 休日こわい

    20代後半男。 趣味もない。友達もいない。する事も無い。目標もない。 この歳になり、人の目も気にならなくなったが自分に対する自分の目がどんどん厳しくなる。 家にいても落ち込むだけなので、何かしなければと思いイオンに行くが、欲しいものもなく家族連れや若いカップルに囲まれて、になって帰る。 そなまま気付けば夜になり、ネットサーフィンをして1日が終わる。こんな生活が5年ほど続いている。 そんな俺が一念発起しSNS街コンなどにも手を出したが、一言で言ってクソつまらなかった。 ああいう場所で素直に楽しめる奴は根的に人種が違うんだろうと思う。 仮に彼女が出来たとしても、心のモヤモヤが消える事は無いと思う。俺が抱えているのは、根的な何かなのだ。 それが欠損なのか、悔恨なのか、焦燥なのかは分からないが、感覚としては罪悪感が一番近い。 では何に対してか? 俺は今まで何もしてこなかった過去の自分を心底

    休日こわい
    Hamukoro
    Hamukoro 2017/10/09
    相当消耗してそうなので、増田にブコメに挙げられているようなアグレッシブな趣味に手を出してみるだけの意思エネルギーがあるかどうか…
  • スクールカースト上位やリア充でなくてもよい、幸福な人生になる人は少年少女時代に「ある特徴」を持つ

    by sergio souza 「80歳の時に健康であるかどうかは50代の時の人間関係で決まる」ということが過去の研究から導き出されていますが、10代の少年少女の時代をどうすごすかも、後の人生に大きな影響を与えることが研究で示されました。この研究によると、25歳の時に自尊心が高く、社会不安やうつのレベルが低い人は、10代の時に人気者グループの中で浅く広い人間関係を築くのではなく、より近しい友人を持っていたそうです。 Close Friendship Strength and Broader Peer Group Desirability as Differential Predictors of Adult Mental Health - Narr - 2017 - Child Development - Wiley Online Library http://onlinelibrary.

    スクールカースト上位やリア充でなくてもよい、幸福な人生になる人は少年少女時代に「ある特徴」を持つ
  • バカだと思っていた友達が天才だった

    高校生の頃に3年間同じクラスだった友達がいる。 ちょっと抜けてるというかドン臭い子、けど明るい子だった。 いじめは受けていなかったけど、いじわるはされていた。 下校の時にを隠されたりしていた。 彼女は気にせず裸足で家に帰っていたが。 (しばらく裸足で登校していた) いわゆる、物の天然だったのだろう。 ぶりっ子してる性悪は、それが鼻につくようだった。 だけどいじめではなかった。 なぜって、当の人が、何もこたえる様子がなかったから。 私は、そんな彼女に世話を焼いたり、焼き切れずに放置したりしていた。 仲は良い方だったと思う。 高校を卒業して、私は地元の国立大学へ、彼女は東京の誰も知らない私大へ行った。 はじめこそ連絡を撮り合ったりしていたが、距離が離れてしまったら交流もなくなった。 一度、成人式で会ったきりで、それからは音沙汰がなかった。 彼女は晴れの舞台だというのに、しまむらで買ったよ

    バカだと思っていた友達が天才だった
  • 天国の友人よ、久々に切れちまったぜ。屋上へ行こうぜ - 立て直せ、人生。

    人が当に死ぬのは、その人のことが話題にすら上がらなくなることなのだとぼくは思う。彼が死んだという知らせを聞いたのは、ぼくが大学4年生の頃だったと思う。 ある日珍しく母から電話が入って、こうぼくに告げた。 「ゼンくん、亡くなったってほんと?」 久々に聞いた名前に、懐かしさを覚えると同時に、えも言われぬ後悔の念が押し寄せてきた。 ゼンは、変わりものだった。ゼンとの最初の記憶は、「うちでゲームやろうぜ」と声をかけられたことだ。ぼくが小学2年の夏休み、団地に引っ越してまもなくだ。ゼンは驚くほどのっぽの細身で、まるでウマみたいだとぼくは思った。 ゲーム?スーファミ?とぼくがたずねると、ゼンはマッキントッシュって知らないのか?とニヤリと笑ってぼくをみた。時は1995年、世間はWindows95が発売間近と盛り上がっていた。 ゼンの家のリビングの片隅には、どこかおしゃれな雰囲気を漂わせる白いコンピュー

  • 夢見るSEじゃいられない

    稿の題名を当初、『夢見る美少女じゃいられない』としたがITpro編集部に却下されかねないと思って改めた。どういう訳か美少女の話が続いていくが、語り手はプログラマからSEになり、プロジェクトマネジャーを務めて経営者になったベテランであり、主題はプロフェッショナリズムなので、SEの仕事に関心がある方はぜひ読み進んで頂きたい。 「終わったら反省会をしませんか」。中堅システムインテグレータで開発部門を統括している役員からこんなメールが送られてきた。役員もこちらも8月20日の日曜日、ある人の講演を聞きに行く予定があり、終了後に会う約束をした。 役員は一つ年下の56歳だが、原稿書きの経験しかない当方とは異なり、一貫して情報システム関連の実務をこなし、今では経営の一翼を担う。見た目は温厚そうだが、さらりと次のように語る。「先が見えるのでプロジェクトで失敗したことはありません」。何かを経験したら振り返り

    夢見るSEじゃいられない
    Hamukoro
    Hamukoro 2017/09/09
     「空っぽだった彼女が居場所を見つけてしまった。誰かに必要とされる喜びを覚えてしまった」
  • 20年引きこもっていた友人の社会復帰への決意が悲壮すぎて言葉を失った。 - Everything you've ever Dreamed

    この記事の続きです。20年間引きこもりしている友人に会って思わず絶句した。 - Everything you've ever Dreamed 就職先で心身を壊して1997年の夏から20年間引きこもっている友人Fが社会復帰するらしい。僕は、たまたま美容室でFの母と一緒になった母からその話を聞いたのだが、嬉しさより不安の方が大きかった。なぜなら、数ヶ月前にスーパーで会ったFは20年前の世界からやってきた時間旅行者みたいに、僕がすっかり忘れていた中学高校時代の友人や出来事の話をしていたからだ。仕事。家族。病気。人にはそれぞれの戦いがある。生真面目なFにとってのそれは20年前のことを忘れないでいることだったのだろう。僕にはそう見えた。そんなFが社会に復帰するというのだ。不安を覚えないといったら嘘になってしまう。Fとはずっと同じ学校だったけど、一度もクラスメイトになったことはない。そんな僕ら二人の共

    20年引きこもっていた友人の社会復帰への決意が悲壮すぎて言葉を失った。 - Everything you've ever Dreamed
  • どうしようもなく劣等生だった自分を、ブックオフが受け入れてくれた思い出

    中学生時代までは自分はそこまで馬鹿ではないだろうと漠然と思っていた。 その幻想は高校入学とともに砕け去った。高校の授業は中学のそれと比較して、自分にはあまりにも難解すぎたのである。数列・・・なにそれおいしいの? 教師の教え方が悪いのかと思い周りの人に尋ねると、みんなして普通に理解できていた。単に僕が馬鹿だったのである。そうして徐々に授業は頑張って取り組むものから、聞き流すものへとなった。立派な劣等生の誕生である。 劣等生、ブックオフで漫画ライトノベルと自己啓発に狂う 普通なら高校生というと部活や友人との遊びに明け暮れるのかもしれないけど、自分はなんとなく高校に馴染めなかった事もあって授業が終わると直帰していた。 とはいえ家に直帰しても何もすることがないので、様々な駅に降りては暇を潰していた。定期券は素晴らしい。どこに降りようがタダなのだ。 ある時、ふと黄色いあのブックオフの看板に吸い込ま

    どうしようもなく劣等生だった自分を、ブックオフが受け入れてくれた思い出
    Hamukoro
    Hamukoro 2017/09/05
    ブックオフがいちめんの夏目漱石だったら転落人生だっただろう。やっぱ成功体験って大事なんやな。
  • 最終学歴で何を買うのか

    高校三年生の甥っ子が「進路めんどい」とうだうだしていた。「大学受験はかったるい」「専門学校でいっか」「とにかくどこでもいいから行け行け担任も親もうるさくて」。 なんでも聞いてくれるというお墨付きをいただいた私は傾聴に努めるけれど、心はふんわりと自分の中へと潜り込む。 自分の高校時代を思い返してみると確かに、あの頃は何をしたいかなんてさっぱりわからなかった。 姉(甥っ子の母)が優秀だったので何一つ問題なく高学歴ルートに入るのをなんとなく劣等感にまみれた目で見ていた。 周囲の目を気にしながらも、あの時なりにつくった理由(将来の夢?)を足かせに大学受験をしたことを覚えている。 妹は私よりずいぶんとハッキリとした夢を描いて一年後専門学校へ進学した。 弟は目的がなかったことと経済的余裕がないことを理由に高校卒業後働いた。 だから、大学と専門学校という最終学歴を持つこと、そして最終学歴を高校とすること

    最終学歴で何を買うのか
  • 緑色の金魚、97歳「仙人」が繁殖成功 決意から40年:朝日新聞デジタル

    埼玉県坂戸市小沼で「金魚仙人」と呼ばれている金魚養殖家・川原やどる(うかんむりに居)さん(97)が今春、品種改良で緑色の金魚の繁殖に成功した。約40年前、金魚を飼い始めて間もなく決意してから、様々な品種同士の交配と失敗を繰り返してきた。「ついにやった。生きているうちにできて良かった」と感慨深げだ。 長崎県生まれの川原さんは、元陸軍砲兵でシベリア抑留の経験もある。帰国後、仕事で親族を頼り坂戸へ来た。機械工場で働くかたわら、「娯楽がない土地だったから」と趣味で金魚を飼い始め、定年退社後、格的に品種改良と販売に乗り出した。「他にないから」と、緑色に挑むことにした。 当初は、親のどちらかに似た色柄ばかりでうまくいかず、試行錯誤と苦労の連続だったという。やがて、黄色が鮮やかな「ミューズ」、ひれが長く優雅な「オーロラ」などのヒット作を生み出した。 青色と黄色を交配させれば緑…

    緑色の金魚、97歳「仙人」が繁殖成功 決意から40年:朝日新聞デジタル
  • 「100ドルをもらうか?コードを教わるか?」ホームレスがアプリ開発に成功した秘話

    By Ingmar Zahorsky アメリカにおけるホームレスの人口は2012年時点で約63万人で、シリコンバレーには「ジャングル」と呼ばれるアメリカ最大のホームレスキャンプまであるほどホームレスアメリカの社会問題になっています。Leo Grandさんもホームレスの1人でしたが、ある男性の助けによってアプリを開発、そして発売にまで至り、その開発秘話が公開されています。 Homeless Coder's Trees for Cars App - Business Insider http://www.businessinsider.com/homeless-coders-trees-for-cars-app-2013-12 Homeless Coder - Business Insider http://www.businessinsider.com/homeless-coder-201

    「100ドルをもらうか?コードを教わるか?」ホームレスがアプリ開発に成功した秘話
  • 父の新しい趣味

    昨年、父が定年退職した。 父は40年以上ずっと運送会社で働いていた。趣味も車で、休みの日は必ずドライヴ。テレビも見ない、も読まない、ネットもやらない。昔はよく料理をしてたけど、今はぜんぜんしてない。 学生時代は映画監督になりたかったらしい。だからだろうか、私が小さいころはよくカメラを持ち歩いていろんなものを撮影しまくっていた。8ミリ? ハンディカム? くわしいことはわからない。とにかくビデオカメラで何でも撮ってた。旅行、運動会、七五三etc でもいつしかそれもやめてしまった。それからは車一筋。ドライヴだけが人生って感じだった。 私は父が心配だった。そんなんじゃボケちゃうよ。それにいくら車が好きだからって、もうなるべく運転は控えて欲しい。年なんだから。 父はひとりで暮らしている。母は私が2才の時に癌で亡くなった。それからずっと父娘で暮らしてきたが、私は3年前に26で結婚して家を出た。 私は

    父の新しい趣味
  • 大学3年生今期取れた単位は0クズは生まれながらにクズなのか(追)

    もう一人ではどうしようもない吐き出させて下さい。 現在大学3年生。今期の取得単位が0になる事がほぼ決まってる 変わりたくて、努力してきたけど変われなかった。もう俺はだめかもしれない。 3年生の途中から学校に行けなくなった。 勉強に対するモチベーションも、周りの自分よりも優秀なクラスメイトに付いていく努力も 2年も続かなかった。 長くなるし特定されたくないから詳細は省くけど、高校も中退している。 今の大学は、2か月の引き籠り生活の後、クズな自分を変えようと 自己啓発を読み漁り、ネットの大海をさまよい、猛勉強の末何とか合格した大学だった。 合格を報告した際の、母の「自分に似なくて良かった(母は自分が大卒じゃない事を気にしていた)、自慢の息子だ」と 涙ぐみながらの言葉が忘れられない。 一流大学の学歴を得て、俺は変われたという自信と社会への繋がりを取り戻せるはずだった。 大学での学生生活は、想像

    大学3年生今期取れた単位は0クズは生まれながらにクズなのか(追)
    Hamukoro
    Hamukoro 2017/07/23
    学生時代が毎日夏休みだったと気づくのは社会人になってから。人生明日は常に真冬で、過ぎ去った過去は常に夏休みみたいなもんだよ。
  • 元カノが出所したので会ってきた

    2x年前につきあってた元カノ。一つ年下で吹奏楽部だった。 とてもかわいくて一目惚れ。わざと放課後の屋上パート練習中の前を通っては無理に雑談しながら電話番号交換して告白した。 勉強もしっかりやるまじめな子で、テストのたびに成績上位に張り出されたりもして 自分じゃないのにうれしくて知人に自慢したりしてた(今思えば痛い奴だったな)。 しかし、色々あって高校卒業ちょっと前にケンカ別れしてしまった。 それから月日が経ってx年前の同窓会で、元カノと同じ中学だった奴から、 「え、事件のことしらないの?いま服役中だよ?」と言われた。いやほんとびっくり。 おとなしくて…かわいくて…まじめで…粗暴なことなんて絶対にしないし、執行猶予がつかない事件を起こすなんて、と、延々そんな想いがアタマを巡っていた。 自分も相当おかしかったんだと思う。翌日に彼女の実家に電話してしまった。 母親が出て、なんと自分を覚えていてく

    元カノが出所したので会ってきた
  • 日曜日に

    へ 驚くべきことが起きました! 娘から デートに誘われたのです 7月2日、日曜に 横浜アリーナでライブがあり 娘は当は 友達と行くつもりだったそうですが 友達がどうしても行けなくなったので 代わりに僕を誘ったとのこと でもまだ決まりではありません 月末の金曜までに 誰か他の人が見つかれば そっちと行くそうです 要するに僕は 最後の手段 ギリギリの 補欠要員です 僕は平静を装って どちらでもかまわないよ それじゃあ一応 日曜は空けておくよ と言いました しかし内心は 冷静なはずがありません まさか娘が 僕をライブに誘うなんて! そんなことは 一生無いと思ってました 娘が小5の時に 君が死んで しばらくは父娘で 仲良くやってたつもりでしたが やはり君がいなくなってから 家の中は 彩度や明度が落ち 音楽テレビの声も シャカシャカと味けが無くなり 二人ではどうにもならなかった カラ元気は

    日曜日に
  • 高校生なのだが

    入学して三カ月が経とうとしている。 「学生の業は勉強。勉強をしないものはくたばれ」 とか思っていたけれど、人生一度きり。 もっと学生生活をエンジョイした方がいいのかな? はてなーの方々は増田より年上の方がほとんどだと思うので、意見をくださると嬉しいです。

    高校生なのだが
  • 認知症になっても、母のきっぷは変わらず

    母と私の住む家は、1975年に亡父が建てたものだ。築40年超。 建築基準法は1981年に大改正されて、それ以降の新築の建造物は厳しい耐震基準をクリアしなくてはならなくなった。我が家はそれ以前の“古い”建物である。 とはいえ、建物自体はかなりしっかりとしている。建築の頃は盛んに、「第二次関東大震災が来る」と言われていたこともあって、父が建築を任せた地元の工務店にうるさいぐらいに「がっちり作れ」と要求し、毎週のように工事現場を見回ったからだ。 2015年7月、肩脱臼をきっかけに母の生活の拠点を、2階の自室から、1階の応接室に降ろした。その夏を過ごす中で、認知症老人が築40年の古い家で生活することの問題点が見えてきた。 古い家は断熱性が悪い 最初に発覚した問題は、断熱が悪いということだった。 介護用ベッドを置いた応接間は、夏は暑く、冬は寒い。夏はエアコンを効かせていても汗をかきそうだし、冬になる

    認知症になっても、母のきっぷは変わらず
    Hamukoro
    Hamukoro 2017/06/24
     「とにかくお母さんは、ひと夏を思い入れのある自分の家で快適に過ごせたのでしょ。それはかけがえのないことで、意味があることだったんだよ」