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ブックマーク / history-land.com (5)

  • 真田家の官位について解説。左衛門佐や伊豆守の意味は?

    「さなださえもんのすけゆきむらが〜」といった官位をつけて真田幸村を紹介する事が少なからずありますが、こうした「さえもんのすけ」という官位には、一体どのような意味があるのかご存知ですか? 今回は、幸村の官位である従五位下左衛門佐をはじめ、真田昌幸の安房守や真田信之の伊豆守など、真田家の官位について見ていきたいと思います。 真田幸村の官位「従五位下左衛門佐」の意味とは? 真田幸村は1594年に、従五位下左衛門佐(じゅごいのげ さえもんのすけ)という官位を与えられているのですが、この官位には一体どういったものだったのでしょうか。 ここでは、「従五位下」と「左衛門佐」の2つに分けて考えてみたいと思います。 まずは左の「従五位下」(じゅごいのげ)ですが、これは律令制における日の位階の1つです。 上下の位は以下のようになっています。 ・正五位下 ・従五位上 ★従五位下←幸村の官位 ・正六位上 ・正六

    真田家の官位について解説。左衛門佐や伊豆守の意味は?
  • 豊臣秀吉の家紋の意味は?政府が使っている理由について!

    豊臣秀吉の家紋は「桐紋」と呼ばれるものです。 他にも、ひょうたんの馬標やの実家の木下家の家紋を使っていた時期もありましたが、秀吉の家紋と言えばやはり桐紋のことを思い浮かべる事が多いと思います。 この桐紋ですが、一体どのような意味があるのでしょうか。 また、桐紋は日政府や首相官邸にも使われている紋章としても有名ですが、なぜこうした所で秀吉の家紋が利用されているのかについても調べてみました。 豊臣秀吉の家紋「桐紋」の意味について 豊臣秀吉が用いていた家紋は「桐紋」と呼ばれるものですが、この紋章はもともと菊紋とともに天皇家のみが使っていたものでした。 なんだか凄く格式がありそうな家紋ですね! 一体どのような意味があるのでしょうか。 桐紋の「桐」とは、古代中国の神話に出てくる鳥・鳳凰が止まる木とされていて、昔から神聖なものとして扱われていたそうです。 こうした風習が日にも伝わり、日でも80

    豊臣秀吉の家紋の意味は?政府が使っている理由について!
  • 徳川家康の家紋「葵紋」の意味とその由来とは?

    水戸黄門の格さんと助さんが悪者を退治した時の決め台詞「この紋所が目に入らぬか」で知られるようになった葵の御紋。 悪党がこの葵紋を見ただけで抵抗を止めるほど、当時は非常に権威のある家紋でした。 徳川家康の家紋である葵紋は、家康が天下統一をした時に権威ある家紋になりましたが、この家紋は一体いつ頃から使用され、どのような意味や由来があるのかをご紹介していきます。 徳川家康の家紋「葵紋」の由来は加茂神社の新紋だった 徳川家康の家紋である「葵紋」は、フタバアオイと言われる植物を家紋としたもので、京都にある加茂神社の神紋が由来となっております。 この神社の神官である加茂氏と三河に住む武士団が非常に密接な関係である事がきっかけで、徳川家の前身である松平家も、葵紋を家紋に使用するようになりました。 また、三河武士団には、酒井氏や多氏など力を持った豪族達が松平家よりも先にこの家紋を使っており、この両氏のど

    徳川家康の家紋「葵紋」の意味とその由来とは?
  • 藤原道長の子孫は現代にもいる?藤原氏はその後どうなった?

    奈良時代、平安時代と婚姻関係によって天皇家とのつながりを強めて権力を握り、貴族のトップに君臨した藤原氏。平安時代半ばの藤原道長・頼通親子の時代にその栄華は頂点に達します。 ところが、学校の歴史の授業では藤原頼通以降、藤原氏の名前を聞くことがほとんどなくなり、「あれ?そういえば藤原氏ってどうなっちゃったの?」状態ですよね。 じつは藤原氏は現代までずっと続いており、子孫の方もご健在です。 今回は、道長以降の藤原氏についてご紹介したいと思います。 藤原道長の子孫について。藤原氏ってどうなったの? 道長の代で栄華を極めた藤原氏でしたが、その繁栄は長くは続きませんでした。 平安時代の一族内の政争を経て、摂政・関白は藤原氏の中でも「藤原北家(ほっけ)」と呼ばれる家が代々担うことが定着していきます。道長・頼通も藤原北家の嫡流でした。 藤原道長の外孫に当たる天皇は後一条・後朱雀・後冷泉天皇の3人。息子の頼

    藤原道長の子孫は現代にもいる?藤原氏はその後どうなった?
  • 摂政、関白、太閤、太政大臣、征夷大将軍の違いをわかりやすく解説!

    関白・藤原道長、太閤・豊臣秀吉といったように、有名な歴史上の人物は役職名と一緒に呼ばれることが多いですよね。 その一方で、役職の名前は知っていても、具体的にどのような仕事をしていて、他の役職とどう違うのかよくわからないことってありませんか? そこで今回は、摂政、関白、太閤、太政大臣、征夷大将軍といった役職ごとの違いについて、基からわかりやすく説明します。 調べ物や学校のテスト勉強などに役立ててくださいね! 摂政とは 摂政とは、その国の君主に代わって政治をする役職のことを言います。 日では天皇がまだ幼いときや女性の場合、病気で政治が行えないときに、天皇に代わって政治を行う役職を摂政と言います。摂政には皇族をはじめ、母方の祖父や叔父といった「外戚」(がいせき)と呼ばれる親戚にあたる人々が任命されました。 最初の例は、推古天皇の時に聖徳太子が摂政に就任した時で、平安時代になると藤原氏が摂政の

    摂政、関白、太閤、太政大臣、征夷大将軍の違いをわかりやすく解説!
    John_Kawanishi
    John_Kawanishi 2016/08/20
    「摂政とは其の国の君主に代わって政治をする役職のことを言います」「一番近い例では1921年11月25日から1926年12月25日まで裕仁親王(昭和天皇)が病気の大正天皇に代わって摂政を務めていた事もあります」
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