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ブックマーク / mazmot.hatenablog.com (5)

  • 数学教育の意味と、残念なその現状について - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    学校で数学を学ぶのは、何のためなのだろうか。家庭教師として生徒と数学を始めるとき、だいたいは最初のうちにここを生徒に確認する。「何のために数学やるの?」。多くの生徒が「将来困るから」みたいなことを答えるので、「学校で習う数学を使うことなんてほとんどないよ。足し算、掛け算、引き算は、別ね。割り算は微妙かな。あとはふつう、使わない。連立方程式使って買い物する人は見たことないし、速さのグラフを書かなくても電車やバスに乗れる。確率の計算ができなくても天気予報はわかるし、図形の証明ができなくても日曜大工ぐらいできる。数学やらなくても、大人になって困ることなんか、ふつうはないよ。もちろん、数学が役に立つ仕事もある。家庭教師なんて仕事は、数学をわかってないとできない。君は将来、家庭教師になるの?」ぐらいのことは言って、その曖昧さをぶち壊しておく。 もちろん、数学を学んだことは役に立つ。だが、その役に立ち

    数学教育の意味と、残念なその現状について - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて
  • 学校の始業時間はもっと遅くてもいい - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    オリンピック(やめときゃいいのに)とかに関連してサマータイム導入が提案されていること(余計なことだ)について、 anond.hatelabo.jp サマータイムは教育にこそ大きな影響を及ぼす という話が増田(通称:アノニマスダイアリー、あ、逆だわ)にあった。私から見ればあまりにもあたりまえのことなのでスルーしていたのだが、どうもその因果関係があんまりピンとこない人もいるみたいなので、ここは不登校とも因縁が浅くない人間としてちょっと触れておかねばならないかなと思った。 まず、不登校と呼ばれるものの原因はいろいろあるのだけれど、特に中高生の場合、その少なくない部分を「朝起きられない」「無理に起きると気分が悪くなる」「頭痛がひどい」「吐き気がする」といった身体症状が占めている。このことは案外と当事者以外には見落とされているようだ。不登校の原因としてよく注目されるのはいじめや教師からのハラスメント

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    Xenos
    Xenos 2018/10/19
  • 日記 ─ または、糖尿病患者との7分間 - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    週末に遠出をするので、昨日、車屋にオイル交換と点検をお願いに行った。近所のブックオフで時間を潰し、約束の時間を気にしながらガレージの前まで来たときに、声をかけられた──ような気がした。 ずいぶんとゆっくり歩いている人がいるなあとは思っていた。私はどちらかといえばセカセカ歩く方なので、相対的に周囲の人はゆっくりに見える。だから気にもしていなかったのだが、顔を上げると、明らかにこちらに話しかけている。「なにか?」と尋ねると、すまなそうに、「肩につかまらせてくれませんか?」と。 どうやら身体が不自由らしい。一歩を大きく踏み出せず、摺足のようにして歩いている。あれでは確かに支えが欲しくなるだろう。「これでいいですか」と、あまり頼りがいのない肩を、その男性に差し出した。 「リハビリですか?」と尋ねたのは、私より少し年上らしいその年代の男性には、比較的、脳梗塞で片側麻痺みたいな人が多いからだ。若い頃の

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    Xenos 2018/10/19
  • 獣道の楽しみとアホらしさ ─ または大学中退者の末路について - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    秋の「キャニオニング」は楽しいだろうな 先日、が息子を「キャニオニング」に連れて行きたいと言ってきた。場所を聞いてみると、むかし、山岳部の連中と一緒に行った美しい沢である。「沢登りに行くのか」と思ったら、どうもそうでもない。所要時間から考えて、沢のなかのいちばん爽快な場所だけを訪れて帰ってくるようだ。「あ、これは楽しいだろうな」と思った。 山登りの中でも、「沢登り」というのは、かなりマニアックなジャンルだ。確実に濡れるし、多くの場合服が臭くなるほど汚れるし、だいたいが危険だ。そして、かなりの確率でヤブ漕ぎを覚悟しなければならない。もともと登山道ではないところを登るわけだから、最後は踏み跡とも獣道ともつかないルートを勘と地図を頼りに登っていく。少なくとも私が登山をしていた数十年前の時代にはそうだった。愛好家の間でだけ話の通じる世界であり、一般登山客からは「アホなことを」と思われていたにちが

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    Xenos 2018/10/19
  • アタマが良くなるクスリはないのだけれど… - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    学校のテスト、特に中学校や高校の試験は、点取りゲームに過ぎない。それ以上でもそれ以下でもない。それが掛け値のない現実。だから、テストのための勉強というのはつまりはゲームでハイスコアをとるためのトレーニング。だから、それがその人の知性に対して何らかのプラスになることは、ふつう、たいしてない。もちろん、つまらないネットゲームでもフリックが早くなるとかタッピングが正確になるとかいったメリットが生じる場合はある。あるいは、戦国時代の武将の名前にやたら詳しくなったり、もともと地名である巡洋艦の名前を知って地理に強くなるなどの副次的効果がある場合もある。けれど、ゲームはどこまでいってもゲームであり、ハイスコアを叩きだしたからえらいというのはゲーマーの間だけで通じる歓びでしかない。つまり、質的な意味は、そこにはない。 もちろん、テストというものは、そういう目的で行われるものではない。目的は、学力の測定

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    Xenos 2018/10/19
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