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南京事件に関するcubed-lのブックマーク (148)

  • 念為 - Apeman’s diary

    Sigma 南京事件肯定論者こそ資料を見せても無駄、とか思ってただけに、否定論者にもこの手の人がいるんだなぁ、と、がっくり /幕府山他の捕虜虐殺と、南京市内の市民虐殺をごっちゃにしてる人、いないよね? 2009/06/11 (http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20090608/p1) 「いるんだなぁ」もなにも、いっぱいいるじゃないですか。ところで、幕府山は南京市内にあるということについては異論ありませんか? まさか「南京事件とは市民虐殺のこと」というオリジナル定義じゃないでしょうね、id:Sigma サン。

    念為 - Apeman’s diary
  • 問われることの重圧 - Close To The Wall

    「でも、30万はウソなんでしょ?」とか「30万人説を否定しただけ」という発言 - Close to the Wall 日側の行動は批判の外に (6/5追記) - Close to the Wall この二つの記事で私は南京事件でなぜ「30万人説」がことさらクローズアップされ、「多すぎる」といった反応が起こるのか、ということについて書きました。そこでは中国を象徴的に攻撃する手段として選ばれているのではないか、という考えを元にして、そういう発言を批判したわけですが、それだけで終わりにしていいということではないようです。 「南京大虐殺30万人説」の否定にこだわる理由 正直、この増田さん(AnonymousDiary増田)に対しては私の二つの記事をもう一度じっくり読んで頂ければ理解して貰えるはずだとも思うのですが、真面目、というかかなり正直に書かれていると思えたのもあって、私も真面目に答えてみ

    問われることの重圧 - Close To The Wall
    cubed-l
    cubed-l 2009/06/10
    「30万人なのか、違うのか」と二者択一を迫るのはニセ科学的論法
  • なかった説と30万人説は鏡像ではない - 誰かの妄想・はてなブログ版

    前回、「虐殺があったのは確かだろうけど、30万人ってのもないよね」という”中立”意見だっておかしいよ、と指摘しました。 なんでこういうおかしな思考が蔓延するかというと、 南京事件なかった説=ネトウヨの極論 南京事件犠牲者30万人説=サヨクの極論 と、これらが左右の鏡像であるかのように捉える傾向があるのでしょうね。(実際には、この構図が偽の構図であることを青狐さんが指摘済みです。((http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20090602/p1))) 以下は、南京事件の話題にふっと立ち寄って、うっかり”中立”意見を述べてしまったような人を除いた考察です。 ”中立”意見論者の中には、上記の両極論者を病的と捉えているかのような態度をとる人もいましたが*1、その認識は実態にそぐわないですね。 むしろ、両極論者を否定しておけば、自分は批評されない安全地帯にいることができるは

    なかった説と30万人説は鏡像ではない - 誰かの妄想・はてなブログ版
    cubed-l
    cubed-l 2009/06/09
    否定するならソースを出してから
  • 「30万人殺害されたとは言い切れない」と「30万人も殺されていない」の間の差 - Apeman’s diary

    南京事件否定派が成功しているのは「30万人が殺害された、とする根拠が十分じゃない」ということの論証である。しかしそこから直ちに「30万人も殺されていない」とするのは論理の飛躍である。「30万人も殺されていない」と主張するためには、それこそ安全区の人口を南京市の人口とすり替えるようなゴマカシ抜きで当時の人口移動について実証的な検証*1をし、「30万人も殺されたはずがない」ことを示す必要があろう。秦郁彦も(80年代には)こう言っていた。 奥野元国土庁長官は「中国政府にかけあって紀念館のかかげる三十万の数字を訂正させろ」と迫って外務省を困惑させたが、代わる数字の持ちあわせがあったのだろうか。へたな数字を持ち出して根拠をただされれば恥をかくだけで、終戦直後の泥ナワとは言え、生きのこり被害者の証言を積みあげた三十万に対抗できる数字をわが方から出すのは不可能と思う。 (「論争史から観た南京虐殺事件」、

    「30万人殺害されたとは言い切れない」と「30万人も殺されていない」の間の差 - Apeman’s diary
  • 南京事件否定論の背景と日本政府の不作為

    さすがに、人数を明記して「旅団命令で捕虜を殺した」と書いてある戦闘詳報の存在を前にしても否認し続ける人びとを相手にするのは疲れてきたが、ぼちぼち私なりのまとめをば。なにが南京事件否定論を育てる温床になっているのか? まず第一に、南京事件のスケールの大きさである。通常の日人が学校教育で学ぶのは、「南京で日軍が悪いことをやり、たくさんの中国人(教科書によっては「20万人ともいわれる」などの表現も加わる)が殺された」という程度のことでしかなかろう。なにしろわが日政府の公式見解も「旧日軍による南京入城後、非戦闘員の殺害または略奪行為などがあったことは否定できない」と素っ気ないのだから。 4万人とか10万以上とか、まして20万、30万人が亡くなるというのはおよそ非日常的なことであり、人間はそうした事柄を簡単にイメージできるようには進化してこなかった。では南京事件のスケールとはどのようなものな

    cubed-l
    cubed-l 2009/06/08
    最近の否定論者の言説に対するものかと思ったら3年ほど前のものだった。否定論が進歩してないことがよく分かる
  • 公言することに意味がある - 過ぎ去ろうとしない過去

    http://d.hatena.ne.jp/apesnotmonkeys/20090602/p1 http://d.hatena.ne.jp/apesnotmonkeys/20090607/p1 オタクのコード*1においては、「kanonへのコミットメントを表明するためにことさら他人の尊厳を足蹴」にすることは政治的に正しいわけです。「三次元よりも二次元」と言うことが政治的に正しいのと同様に。よって、「70年前死んだ中国人のことを気で思うことは出来ない。よっぽどkanonの方が実感がある」と公言することは、要はオレはオタクとして高い等級に位置するから崇め奉ってくださいという表明であって、わざわざ公言する必要がなかったことなどではなくて、むしろ公言せずにはいられなかったということになります。 心性のレベルでいえば、↓と一緒です。 http://b.hatena.ne.jp/entry/htt

    公言することに意味がある - 過ぎ去ろうとしない過去
  • なぜわれわれは南京にこだわるのか――自己倫理の賭金としての南京―― - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地

    「こっそり南京アンケート - 「で、みちアキはどうするの?」」を読んで思ったことなど。 南京大虐殺があった/なかった、みたいな、自己の生活と直接的にかかわりのない*1問題について、真剣に論じる人たちというのは何か、ということをみちアキ氏が問うていたので、自分なりに考えてみると、すなわちそのような問題は、われわれにとって自らの倫理のあり方における賭金としてあるがゆえに真剣に論じられるのだという印象を抱いた。 南京大虐殺があった/なかったを問われるとき、それを「どうでもいい」と回避せず「あった」と主張する人は、そこをフックとする問題意識を抱いている。それは史実性をめぐる正確さやレスポンスビリティ、民族主義やレイシズム、あるいは愛国主義や自由主義史観、「歴史家論争」など多様な分野に広がっていく問いとしてある。そして究極的には「人間とは/自分とはいかなる倫理において生きるべきか」をむき出しにしてし

    なぜわれわれは南京にこだわるのか――自己倫理の賭金としての南京―― - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地
  • なかった説と30万人説を並列に語る人々 - 誰かの妄想・はてなブログ版

    今回の騒動の特徴 今回の元はこの話。 【中国ブログ】南京大虐殺の際、中国軍は何処で何をしていた? http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0522&f=national_0522_003.shtml これに例によって否定論者がいついて大騒ぎ。 今回の騒動の特徴としては、大きく2つ。 1.「南京事件*1はなかった・捏造!」とガチな否定論を述べたのごく少数の特にイタイ人たちだけだった、と言う点。 2.「虐殺があったのは確かだろうけど、30万人ってのもないよね」という”中立”意見が多数現れた点。 ”中立”意見の分析 さらに「2」を細分すると、 2−1.(南京事件の存在自体を否定し切れなくなって)「俺は中国の言っている30万人説を否定しているのであって、存在そのものは否定していない」というガチの否定論者からの転向型。 2−2A.(中国は日を敵

    なかった説と30万人説を並列に語る人々 - 誰かの妄想・はてなブログ版
    cubed-l
    cubed-l 2009/06/08
    南京事件に限らず学問に対する態度を疑うね
  • 誰が中国人に「日本人の許し方」を教えるの? - すべての夢のたび。

    「こっそり南京アンケート」ですが、いちばん最初のid:tukinohaさん(はじめまして)のコメントが面白かったので取り上げてみます。コメント欄が妙に盛り上がってますし、長くなるのでこっちに書きます。 投票したわけじゃありませんが「あった派」のtukinohaです。はじめまして。 >「気持ちとしてはなかったのなら良かったのになぁとは思います。自分の住んでる国が昔やったらしいよくないことの話だし、死んだ人の数なんて少ない方がいいに決まってる」 この辺についての認識が決定的にずれていると思うのですが、過去にさかのぼって日が正しくないと、今の日が正しいと思えないわけですか? 人だって国だって、間違えることはあるでしょう。そのときは謝って、失敗に学んでやり直せばいいだけの話。そして「あのときは間違えたけど、今は俺が正しい」と言えばいい。「正しさ」を主張するために必要なのは無謬性ではなく、存在の

    誰が中国人に「日本人の許し方」を教えるの? - すべての夢のたび。
    cubed-l
    cubed-l 2009/06/06
    個の視点から一歩も出てきてないな
  • 南京事件を認めると謝罪と賠償が求められ国益を損なう、と見えない恐怖に脅えている人について - Transnational History

    今回の南京事件に関する一連のエントリーでの、とあるblogのコメ欄に 「南京事件があったことを日が認めると中国からなんらかの賠償と謝罪が求められるから認められない。」 といった被害妄想の強い否定派の人をみかけた。こういった明らかな事実誤認に基づいた否定派というのは、こちらが「日政府は被害者の具体的な人数については諸説有るとしているが、南京事件がおこったことは公式に認めているし、日中両国間の国交正常化以降に中国政府が謝罪や賠償を求めたことはありませんが。」と教えても、次に必ず(セット)と言っていいほど、 「国益を損なうことになるから認められない。」「あなたは少し勉強不足ではないでしょうか?」 と、おもいっきしこちらがズッコケるようなレスを返してくる。しかも、きちんと事実関係を把握できていないのは自分の側であるにも関わらずなぜか自信満々に・・・。こういった事実関係より感情を優先するタイプと

    南京事件を認めると謝罪と賠償が求められ国益を損なう、と見えない恐怖に脅えている人について - Transnational History
    cubed-l
    cubed-l 2009/06/05
    どこからそんな話が出てきたんだろうね
  • 「800人だろうが5000人だろうが同じこと。事実は事実。」 - Apeman’s diary

    数々の映像からも、あの日、軍による虐殺があったのは確かなこと。 800人だろうが5000人だろうが同じこと。事実は事実。そこから目をそむけるな! (http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20090207/p1#c1244128284) これ、ネタじゃないんだよね? だったらそれは南京事件否定論者および妖怪「どっちもどっち」に言ってよ。4万人だろうが30万人だろうが同じことだ、と。このエントリで紹介してんのは全部『週刊新潮』の記事なんだよ。で、「天安門事件はなかった」と主張しているのは南京事件否定論のロジックなんだよ。

    「800人だろうが5000人だろうが同じこと。事実は事実。」 - Apeman’s diary
  • 中華人民共和国政府は反人権的だ。だから、南京事件が焦点化される。 - bat99のブログ

    アジア太平洋戦争での日が犯した戦争犯罪で、もっとも有名なのが南京事件(南京大虐殺)だろう。私自身は戦争犯罪よりはそれに対する戦犯裁判に関心があることと、ネット上でもかなりの資料や考察の蓄積があることから積極的には関わってこなかった。さらに殊更南京事件には興味がないと言いつつ言及する人たちの動機に不審があるのも関わろうと思えない理由の一つだ。 実際、前に書いたように実質的には中国政府に対する反感や蔑視感情を南京事件への疑問と称して表明しているとしか思えないコメントも良く見かける。 id:CloseToTheWallさんが端的に表現されているように 彼らは疑っている、というよりは中国の言うことだからウソ、誇張が混じっているのは当然だろうという、彼らのうちでは至極「常識的」な判断をほとんど脊髄反射のように行っているに過ぎないのではないかと思うからだ。 「でも、30万はウソなんでしょ?」とか「3

    中華人民共和国政府は反人権的だ。だから、南京事件が焦点化される。 - bat99のブログ
  • 「でも、30万はウソなんでしょ?」とか「30万人説を否定しただけ」という発言 - Close To The Wall

    今年は論争ネタに参加するのを控えようと思っていたけれど、ちょっと釣られてみる。 とはいっても南京事件については大抵うんざりする程同じことの繰り返しでしかなくて、一年半前に書いた記事に付け加えることはあまりない。*1 けれども、今回の件を見ていて、確信的な否定論、修正主義者や、どっちもどっちと言いたがる自称中立とは別の、もう一つのボリュームゾーンを形成しているとおぼしき、「でも、30万はウソなんでしょ?」とか「30万人説を否定しただけ」と言いたがる人々が目についた。 たとえばD_Amonさんの記事には、こういう感じに案外と反感を買っている。 関連記事は他にもいろいろあっていちいち具体例は挙げないけれど、様々な記事やブクマなどを見ていて、その手の人の多さはApemanさんも 求む「為にする議論が目的の人につける薬」 - Apes! Not Monkeys! はてな別館 で、「疑いたがる人の多さ

    「でも、30万はウソなんでしょ?」とか「30万人説を否定しただけ」という発言 - Close To The Wall
    cubed-l
    cubed-l 2009/06/03
    (追)はてブコメントも誤認識だらけだ/俺も自身の発言の根拠を確認してこよう
  • 南京事件否定論はなぜ相手にされないのか(初心者むけ)

    http://d.hatena.ne.jp/D_Amon/20090528/p1 http://d.hatena.ne.jp/a-kubota/20090530/1243663042 に便乗してみる。 分かりやすく今までのことを要約すると、 はてサのid:D_Amon氏、「南京事件否定論を真に受けるのは無知だ!きちんと歴史を勉強しろ!」と自分で歴史学の初歩とやらのエントリーを書いてそこらじゅうに爆撃する。(正直いやがらせかと思う) ↓ 自称中立のid:a-kubota氏、「中立の俺が肯定派も否定派も分かりやすく説明してやるぜ!」とかいいつつwikipediaを信用して(笑)肯定論と否定論の要約をする ↓ はてサ諸氏、「歴史学の結果である肯定論とトンデモでしかない否定論をいっしょくたに扱うとはなにごと!ムキー!!」 ってのが今の状態。 それで中立のid:a-kubota氏が否定派と肯定派の両

    南京事件否定論はなぜ相手にされないのか(初心者むけ)
  • 南京事件の閾値、そんなものが不要な理由 - motidukisigeru’s diary

    南京事件を否定してしまうのは入門知識すら身につけてない証 - 模型とかキャラ弁とか歴史とか こちらのコメント欄で、たいがい長い議論をしてしまったので、移動。 いまさらながら・・・ - Apes! Not Monkeys! はてな別館 こちらのコメント欄も参照しつつ さて、id:shivashantiさんは「南京事件の定義」を求めています。 「どの事実が否定されたら南京事件が否定されるのか」に答えることができなければ、どれだけ「あった理由」を並べても南京事件とは何かを語ったことにはならない。 真の南京事件否定論者 - 売り切れました 肯定派、否定派が存在することに対して、南京事件の内容が定義されなければ、肯定/否定はできないわけだから、対等な議論をするには「何が南京事件であるか」の定義が必要である、という話です。 また、その定義の一貫として、「大量の犠牲者」が含まれるのか否かというのを何度も

    南京事件の閾値、そんなものが不要な理由 - motidukisigeru’s diary
  • こっそり南京アンケート - すべての夢のたび。

    会社に行く途中で思いついて、電車を待つ間にiPhoneからアンケートを設定、それが8時15分ぐらいですね。回答数300件、16時過ぎに終了しました。さて以下が結果です。 南京事件はどうでしょう。あった 111なかった 95どうでもいい 94 「あった」が1/3よりやや多く、「なかった」「どうでもいい」が1/3よりやや少ない、と、そんな割合になりました。ご感想はいかがでしょうか。割合としては20代の「どうでもいい」が他の年代より少しだけ多く、男女差はほぼないようです。 「どうでもいい」はぼくです。あったなかったが、いますぐなにか直接にぼくの生活に関わってくるわけじゃないですしね。でも、気持ちとしてはなかったのなら良かったのになぁとは思います。自分の住んでる国が昔やったらしいよくないことの話だし、死んだ人の数なんて少ない方がいいに決まってる。 そういうぼくからすると「あった」の人たちの主張は、

    cubed-l
    cubed-l 2009/06/03
    アクションとリアクションが逆
  • 南京事件「どっちもどっちなので保留」派は日本側史料を読むといいよ。 - クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート)

    軍の史料だけでも「南京事件」の存在は確認できます。 焼却された史料も多く、また、そもそも加害者側の史料だけで事件の全貌や規模を推量するのは無理があるわけですが、どういう性質の事件が起こったかは確認できます。 南京事件に関して「どっちもどっち」派の方が多くおられる背景には、以下に紹介するような史料が(あまり)知られていない、ということがあります。 その原因は、まずは日政府の怠慢。それから、否定派の文献ではほとんど紹介されないこと。 おかげで、 あった派=「中国(&連合国)史料派 なかった派=「日史料派」 みたいな二項対立が信じられているように思うのですが、それ、偽りの構図ですから。 まあ以下の史料を読んでみてください。数量化はできませんが、ともかく侵略側が酷いことをした、という事実だけは確認できるでしょうから。 加えて重要な事実は、日軍兵士(正確には、徴兵され兵士となった日人)は

    南京事件「どっちもどっちなので保留」派は日本側史料を読むといいよ。 - クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート)
  • なぜ南京事件に限って - good2nd

    いつも思うんだけど、否定論というまるで話にならないトンデモが真面目な議論の一つと思われてしまうんでしょうね。まあ従軍慰安婦問題とかも近いかもしれませんが。 やはりトンデモを笑うだけの知識が共有されていないからなんですかねぇ。直感的に「それは変だろ」と思うのも、やっぱりある程度の知識を元にした想像力が働かないと難しいでしょうから。なんというか、否定論の「なかった」とか「捏造」とかいう結論以上に、その過程でチョイチョイ出てくる嘘やゴマカシが微妙に人口に膾炙してしまってるような気がするなあ。「南京の人口は20万人」とか「特殊な兵器を使わずにそれだけ大量に殺すのは無理」とか「便衣兵狩りは合法」とかとか。よく知らないと「そうかも」って思うかもね。何も知らない人がストレートに「バカじゃね?」と思えるようなゴマカシって、実は南京事件否定論にはあんまりない気がする。多少は知らないとわからないような。そうい

    なぜ南京事件に限って - good2nd
  • 求む「為にする議論が目的の人につける薬」 - Apeman’s diary

    昨日の続きです。 こういうサイトを運営しているといろいろと「質問」をコメントされる方がおられるわけですが、そういう人が「新たに興味をもったばかりで、手がかりをもとめてたまたまここにたどり着いた」のか、それともあわよくば揚げ足でもとってやろうと目論んでやってきたのか、というのはだいたいわかるもんです。たまに微妙で「どっちなんだろ?」と首を傾げるケースがないではありませんが、まあ多くの場合誠実さないし不誠実さは書きっぷりに現われるものです。 で、後者であると判断できるような人が「犠牲者は何人くらいだと思いますか?」とか「あなたの考える南京事件とはどのようなものですか」などと質問してきてもまともに答える気になれないのはなぜか。これでも否定論の論法は一通り知っているつもりですから、揚げ足をとられることを真剣に気にしているわけではありません。その後の展開が目に見えているからバカらしくてやる気になれな

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  • 歴史学事典の中の南京事件 - 眠る梅、もしくは淡い崖。

    とあるコメント欄でのやり取り。 Apeman >正直、はてなダイアラーとwikipediaの編集合戦のない詳細なページとでは、wikipediaの方が権威があると思うので 権威主義者なら歴史学事典の類いでも鵜呑みにしておけばいいのに。 a-kubota >>Apemanさん だって歴史学事典高いし。立ち読みするにも分厚い。wikipediaはタダで比較的手軽なのが大きいですね。今回の記事もその手軽さがなければ書いてなかったでしょう。 もちろんwikipedia歴史学事典より信用ならないという意見は当然なのですが、じゃあ歴史学事典を元に編集すれば多くの人が幸せになれると思いますよ。マジで。 なぜ熱意のある人が紙の事典の電子化をしようとしないのか当に不思議です。私にはあなた方ほどの熱意がない以上、あなた方にそれを期待するものです。 梅崖 >もちろんwikipedia歴史学事典より信用なら

    歴史学事典の中の南京事件 - 眠る梅、もしくは淡い崖。