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議論とコミュニケーションに関するcubed-lのブックマーク (24)

  • 「スルーできない奴は人間力低い」仮説 - 女教師ブログ

    性を盗むのはなにが悪いんでしょうね、どうすれば理性を保てるでしょう、と、わたし(性を盗まれた者)に聞くことの意味をかんがえてくれ - フランチェス子の日記フランチェス子には申し訳ないんだが、彼女の記事の主題とは直接関係ない。 フランチェス子の記事に「感情的だ」「理性的でない」「冷静さを欠いている」「極論だ」といったようなコメントが(ブックマークを含め)多数ついている。当のフランチェス子は、それらに対し「冷静ですけど何か?」と対応している。 一般的なカジュアルなコミュニケーションであれば、「冷静かどうか」が論点だとすれば、☆:「あなたは冷静ではありません」★:「いえ、私は冷静ですよ」☆:「そうですか」で終了である。 だが、実際この手のレトリックにおける「冷静」「理性」というのは、疑似論点に過ぎないのである。この文脈では、「もっと冷静になるべき」という発言は、「まず一度冷静になって、それから、

  • http://twitter.com/kanose/status/4015972407

    http://twitter.com/kanose/status/4015972407
  • 今だからこそ再確認したい、議論のしかた (1/3) - ITmedia NEWS

    ケータイと子どもに関するトラブルを、色々と調べている。詐欺やみだらな行為などの被害にあうことは大きな問題ではあるが、地味ながら必ず遭遇する問題として、ネットやメールのやりとり上で起こる小さなケンカというのがある。ネットは人の悪意を拡大するなどと言われることもあるが、おそらく問題は、意思の疎通が十分ではないことに起因するのではないかと思われる。 ちゃんと話をすればどうということもないことを、不自由な表現手法と不慣れな文章記述という枠の中でコミュニケーションを行なおうとすれば、お互いに足りない部分は推測で補完するしかない。その推測が善意に満ちていればいいが、相手の顔や態度が見えないと、悪意の方にフラグが倒れがちになる。 ネットやメールの文面で相手に失礼がないように、というのはマナーやモラルの問題だが、意思の疎通や議論の方法論といったことは、そういうくくりでは語れない問題であろう。そういえば議論

    今だからこそ再確認したい、議論のしかた (1/3) - ITmedia NEWS
  • kikulog

    kikulog 記事一覧 カテゴリー別記事一覧201410 2014/10/22 江勝氏の死去 201409 2014/09/12 生協の「書評対決」の書評 201407 2014/07/04 「いちから聞きたい放射線のほんとう」サポートページ 201406 2014/06/04 「いちから聞きたい放射線のほんとう」訂正箇所 201404 2014/04/23 朝日新聞に書評が出るようです [kikulog 647] 2014/04/09 理研CDBの騒動について [kikulog 646] 2014/04/07 博士論文中での剽窃について [kikulog 645] 201403 2014/03/17 「いちから聞きたい・・」のあとがき [kikulog 644] 2014/03/03 論文: Structural flexibility of intrinsically disord

  • 一瞬だけ「仮想ゲーム」論法。 - hituziのブログじゃがー

    天皇を あがめてみせるのは ひきょーだ。だって、天皇制っていうのは ドレイ制度じゃないか。天皇制の主体は、いったい どこにあるのだ。 - hituziのブログじゃがー コメント欄より。 あと大事なのは、あなたの政治的営為が功を奏し、あなた自身が多数派に属するようになった時、 (あなたがいうところの)少数派をどう遇するか、ということです。 皇室制度の廃止に反対する少数派をあなたがどう遇するか、 どう斬り捨て、どう踏みにじるか、それが重要です。 まさか想像したことがないなんてことはありませんよね。 まだ議論の途中ですが、あまりに印象的だったので、記事にしておきます。うえのコメントに、わたしは つぎのように かえしました。 「皇室制度の廃止に反対する少数派」などというのは、こうやって表現してみれば、いかにも「弱者」のような存在にみえますが、わたしは皇室が人間を 抑圧する制度であると認識しているの

    一瞬だけ「仮想ゲーム」論法。 - hituziのブログじゃがー
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…

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  • 「東工大授業の顛末」について、書いておくべきと思ったので書きます。 - 地を這う難破船

    迷ったし柄でもないけれど、書くことにします。ひとつの、むろんきわめて主観的な「証言」として。お断りしておくと、長いです。 ⇒次は、トラメガを持って東工大に行きますーーポストモダニズムを体で感じて、人類に希望をもった話(重要な追記あり) - (元)登校拒否系 ⇒hirokiazuma.com 私も足を運んでいました。 話には前段があって、私の事情の経緯説明から。 私は東浩紀の10年来の読者で、東工大の授業の速記録についても前年度のそれから、速記者に黙して感謝しつつ目を通していた。とりわけ年度のそれは速記録の時点で滅法面白く、南京大虐殺をめぐる発言が波紋を呼ぶ以前から私はずっと読んでおり、授業に足を運んで直接それを聞きたいと思いつつも、場所時間の都合で多く物理的な事情から無理であったし、もうそういう柄でもないかと勝手に自分を納得させていた。昔は関心ある著述家の大学での授業は、モグリに寛大なこ

    「東工大授業の顛末」について、書いておくべきと思ったので書きます。 - 地を這う難破船
  • 丁寧に説明しないお前らが悪い(笑) - 土曜の夜、牛と吼える。青瓢箪。

    議論をしていて不思議に思うのは「丁寧に説明されて当たり前」と妙に上から目線で絡んでくる人間がいることである。 ある物事にYesなりNoなりとにかく意見があるのは結構だがその「ある物事」に対して必要な知識をまったく欠落したまま、必要な前提を自分で調べる努力をまったくしないまま、あれこれ文句(議論ともいえるほど論拠ををもたない)をいうだけいって、挙句に「ちゃんと素人にもわかりやすいように説明しろ」というのはお前なに甘えてんの?と思う。(この辺のスタンスはApemanさん的だなとは思う。彼もそのスタンスにおいては批判はあるけれども)必要な前提条件についてきちんと精査しないまま議論しようというほうがおこがましいとは思わないのかね? もちろんそうではなく単に「わからないから教えてほしい」的なものまでこんな風に扱うことはない。それならそういえばいい。議論を求めるのならばそれなりの態度がある。そんなのは

    丁寧に説明しないお前らが悪い(笑) - 土曜の夜、牛と吼える。青瓢箪。
  • 「なにネタにマジレスしてんの」とか言って勝った気になっているようでは、単に自分のダメさ加減を世間に知らしめているだけだから

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  • 話し合いをダメにする論証パタン13個(有意義な論争のための議論ハック) - 女教師ブログ

    ↓こちらに続編あります↓ 論争に絶対負けない議論ハック(心構え編) - 女教師ブログ ====== 常々「ダメな論証方法」に関する話が好きで、自分でも色々考えたりしていたのだけれど、先日、ウィキペディアでまさにそれがリスト化されているページを見つけ、とても嬉しくなってしまった。誤謬 - WikipediaList of fallacies - Wikipedia, the free encyclopediaというわけで、以下は、wikiのページから13個の「間違った論証方法」を抜粋・再構成して、勝手に自分で例を考えてみたものです。こういうのを俗に、人の海パンで水泳をする、と言うんですね。 論理ルールの違反1. 後件肯定: 「PならばQだ」という論理を改変し、逆に「Qだ」から出発して「Pだ」を導く 例「瀧沢の彼女・奈々子は『もし浮気したら、別れるから!』と言っていた。最近、彼らは別れたらしい

  • ネット上で誰かと「理解しあおう」としても無駄な理由 - Vomit Comet

    ネットで誰かと議論しお互いに「理解しあおう」とする試みは、基的に時間の無駄といって良いと思う。だから、「スルー力」が一番求められているというのは、当にその通りなのだな、と。 まず、ネット上のやりとりでは、「言葉しか使えない」というどうしようもない困難さがつきまとう。リアルな対面状況におけるコミュニケーションでは、言葉以外にも、身振り手振り・表情・声のトーンといった、無意識的・非言語的情報(文脈に関する情報)や、情報発信者の信念・欲求・意図など(「情報に関する情報=メタ情報」)が豊富だ。しかし、言葉のみに基づくやりとりを強要されるネット上でのコミュニケーションでは、そうはいかない。 人間が無意識で処理できる情報量は膨大(一秒当たり数兆ビット)であるのに対して、意識で処理できる情報量は極めて少なく(一秒あたり十数ビット)、人間の「心」はまず何よりも無意識的・自動的なプロセスに支えられて認知

    ネット上で誰かと「理解しあおう」としても無駄な理由 - Vomit Comet
  • 「そんなつもりじゃなかった」ら議論や批判は免れられる(べき)か - 誰がログ

    以下のエントリを読んでいたらニセ科学批判活動についても他人事ではない様な気がしてきたのでちょっと考察してみます。 2008-03-06 考察の前にちょっと前置き。上記エントリと同ブログ内での関連エントリ、他ブログでの言及エントリやはてブコメントを読んでみるとどうも話題の中心はいわゆる「はてブのネガコメ(を付けるブックマーカー)」のようなのですが、このエントリでは特にははてブに特化した考察は出てきません。あと、相変わらずだらだら長いです。 考えてみたい主張 何回か読んでみたのですが、どの一文が結論というか核の主張なのか僕には選び出すことができませんでした。とりあえず、気になったのは次のような表現。 こういうふうに「議論を広げるため」とか「そのほうが面白くなるから」という理由で、「自分が実際にそう思っていないこと」をブックマークコメントに書くのは、「お門違い」というか、基的に「失礼」なのでは

    「そんなつもりじゃなかった」ら議論や批判は免れられる(べき)か - 誰がログ
  • suVeneのあれ: お前は敵か味方か

    2008年01月10日 お前は敵か味方か 炎上、というか、人が集まってきて熱中しやすい話題というのが幾つかある。 その内容は、政治、宗教、差別といった社会的に大きな問題から、好きな歌手や、応援している球団、のような、まさに「自転車置き場」に代表されるような身近な問題までさまざまだ。 で、今日はそれらの中のひとつの話という訳でなく、それらの議論をしているときにかなりの割合で発見できることができるタイプについて書いてみる。どういうタイプかといえば、タイトルどおり、「お前は敵か味方か!?」という視点を固持しようとするタイプの人のことである。(自分だけ固持するどころか、相手にもそれを望むタイプ) 以前、私は mixi のとあるコミュの「分煙について」みたいなトピックで、取り交わされる議論を見ながら、自分の意見を何個か投げたことがある。その際、自分が喫煙者か非喫煙者かを特に明記せずに、質問をしたりし

    cubed-l
    cubed-l 2008/01/11
    何を基準に評価するか
  • 「単なる」「私的な」「個人的見解」と修飾語を連ねても、批判は免れない - good2nd

    id:buyobuyo さんのとこでの id:E-You さんのコメント。題とは違う話なんですけど。 私とあなたの意見が合わないからといって、批判される筋合いはありません。 だって、あくまで私的な意見だもの。 もしそれがあなたを傷つけたのなら謝るけど、批判? いったい何様ですか? 批判は意見が合わないからこそするものです。 意見が合わなければ、それだけで批判するのに十分な理由になります。 私的だろうと何だろうと、あらゆる意見は批判に晒されるべきです。 しかし、短絡的な批判は時として誹謗や嘲笑になりさがるので、慎重さが必要とされるのは言うまでもありません。 「意見の相違に基づく批判」は、傷ついた傷つかないという「気分」の問題に劣るものではありません。 批判は、その内容が重要なのであって、批判すること自体には何の資格も必要ないはずです。 嫌ならスルーすればいいと思うよ(僕みたいに) あらゆる

    「単なる」「私的な」「個人的見解」と修飾語を連ねても、批判は免れない - good2nd
  • 揉めたり、議論したりしてる人が女性だと - watapocoの日記

    なんか不思議な解釈する男がはてなにはいるみたいね。女の私からするともう「ええっ?」ってくらいの。yukiさんとarisiaさんの時にも変なこと言ってる人がいたな*1。ちなみにリアル*2でこういう「ええっ?」を感じたことはほとんどない。たまーに、当にたまーにおっさんと話しててあるけど*3。はてなではしょっちゅう、つーことは、はてな男子にはおっさんかおっさん的感性の人が少なからずいるってことでしょうね。リアル男子をこれからも大事にしていこうと思った夜でした。

  • みんなの予想を超えて@はてな - 誤読して小馬鹿にするのもハラスメントです

    小倉先生は弁護士だからああなのかな。自分に不利になることは死んでも言わないとかそういうのが身に染み付いてるみたいな?繰り返しでしかないんだけど、悪質な匿名コメンテイターをどうにかしたいという点ではみんな同意してるのだから、「何の対策もしないで被害者は泣き寝入りしてればいいなんて能天気ですね」みたいな返しは全面的におかしい。有効で現実的な対策があればいいのだけれど、なかなか絶妙な方法って無いですよね*1というのがネットに慣れ親しんだ人の一般的な認識だと思います。だから通常はそれならばこういうのはどうですかみたいなことを先生はやるべきなのであって、泣き寝入りの話はもうお腹いっぱいというかウンザリです笑。これ以上繰り返すようだとウンザリを通り越して気持ち悪いですよ。もっとも先生は匿名と実名という線引きからして普通の感覚とは違っていて、その小島から飛び立ってくれないことには人々の共感を得ることはな

    みんなの予想を超えて@はてな - 誤読して小馬鹿にするのもハラスメントです
  • 批判されることに対する態度について - novtan別館

    例えば、僕がここで仕事について愚痴を書いたとすると、その目的はなんだろうか。直接の人間関係がなく、ある程度内容を知らない人たちに愚痴を聞いてもらいたい?それなら全世界に発信するほどのことではないし、もう少し相応しい場があるだろう*1。であれば、きっと、愚痴の内容について、こちら側に(100%ではないけれども)正当性があることを確認したい、確認することで溜飲を下げたい、という意図があるはずだ。そういう意図がある以上、正しさの判定を求めているわけだから、その正しいと考えていることについての批判も当然発生するわけだ。ぽつりと、独り言をこぼす。でもその独り言には「誰か聞いてよ」っていう気持ちが込められて無いだろうか。そんなことはない?ならば日記帳に書けばよいのだし。 あるいは、自分の専門家的主張を専門家的な態度で表明する。批判は堂々と受けて立つ。専門家なのだから。しばし、壮大なバトルになることだろ

    批判されることに対する態度について - novtan別館
  • 議論の初歩テクニック:立証責任は相手に持たせる

    無断リンク禁止の否定根拠にWebの理念を出すべきではない(木俣ロバート久さん) もう少し話を一般化しておいた方がいいかな。じつはこれって、議論術の有名なテクニックなのです。 立証責任は、相手に持たせるべし。 つまり、議論になったとき、常に自分が質問する側に立つことを心がけなさい、と。しばらくは相手がいいたいことを言い尽くすよう誘導し、それから攻撃を仕掛けていく。たいていの議論に双方納得の結論は要らない。自分の希望が実現されればよい。そう割り切れば、多くの場合、自説を主張する意義は薄いと気付く。 木俣さんの示した例に即していえば、相手が「リンクの自由」説に納得しなくたって、相手がリンクを禁止する理由さえ潰せば、こちらは文句をいわせずリンクできてしまう。自分が「リンクの自由」説の立証責任を負う必要はありません。 Information Old:抑圧の責任を引き受ける:当事者スルー考 New:ム

  • なぜ石原を支持しちゃうオバサンがいるのか(もしくは左派に関する考察) - kmizusawaの日記

    田中秀征「ミーハーの好き嫌いっていうのはうんと当たる」 - 一人でお茶をを読んで考えたこと。というより以前から思っていたこと(以前にも似たようなこと書いたかも)。左派(右派にもいるが)のダメなところのひとつは、自分と同じ考えを持たない人たち、自分と違う価値観にしたがっている人たちの「センス」を馬鹿にしまくる(自覚はないのかもしれないが)ことだと思う。「石原を支持するやつはダメだ」ってなことをすぐに言っちゃう。時には石原人を批判するより楽しげにそう言っちゃう。「石原的なものはなぜ危ないのか」と説いてるはずが(説いてないわけじゃないんだが)「石原の危険性がわからないやつは云々」になってしまう。主義主張とか考え方、物事の進め方のまずさ、その立場にある者としてどうかの指摘をしていたはずが往々にして、「そういう主張をする」人の人格とか人としてのセンスがどうこうという話になってしまう。石原個人に対し

    cubed-l
    cubed-l 2007/04/04
    自戒をこめて
  • suVeneのあれ: ネット上の言論において価値観の「押し付け」というのは無理

    2007年02月28日 ネット上の言論において価値観の「押し付け」というのは無理 という立場を俺は取っている。 ただし、いくつか例外がある。それは、特定のコミュニティ内の立場やルールにおいて、権力者の発言に従わない場合不利益な結果がもたらされる事が自明である場合や、現実の生活におけるしがらみと紐付いている場合、明らかに法に触れる行為をしている場合などだ。 ここでは例外について細かく説明するのもアレなので、タイトルの話は、一般的(というと語弊があるか?)なブログのコメント・トラックバックを含む意見交換や、HNを含む匿名発言を許す掲示板などでの意見交換、かつネット上での交流しかない場合という話に限定しておこう。 んで、「押し付け」ってのは、ある個人(集団)が他の個人(集団)に対して、抗うことが不可避な状態で相手に同意を求めることだとしておく。責任の「押し付け」は、ここでは除外し、あくまで思想・