民間人の登場人物が戦火に巻き込まれ、容赦なく死んでいく−。一九七九年に始まったテレビアニメ「機動戦士ガンダム」は戦争の描写にリアリズムを持ち込んだ。社会現象になった作品の生みの親は、原作や総監督などの富野由悠季(よしゆき)(78)とキャラクターデザインの安彦(やすひこ)良和(72)。終戦七十五年の節目、ガンダム世代に深い影響を与える二人のクリエーターが「戦争」を語った。 (聞き手・原田晋也)
日本アニメ界の巨人スタジオジブリは、「となりのトトロ」など明るい内容の名作で知られるが、同社が30年前に発表した、第2次世界大戦時を舞台にした「火垂るの墓」は、今も強く心に響くメッセージを持っている。 野坂昭如氏による1967年の同名小説を原作とし、今月5日に死去した伝説的なアニメーション監督でスタジオジブリの共同創設者、高畑勲氏が製作したアニメ映画は、第2次世界大戦末期の日本で必死に生き延びようとする、孤児の兄妹の物語だ。 映画の冒頭から結末は予告されている。独りぼっちの少年、清太は三宮駅で餓死する。所持品から清掃員が見つけたのは、ドロップ缶に入った少量の灰と骨のかけらだった。何の変哲もない缶は近くの野原に投げ捨てられ、空に向かった清太の魂は4歳の妹、節子の魂と再開する。
JR三ノ宮駅高架に残る機銃掃射の跡。2015年11月撮影。 看板も説明書きもないので、多くの人は気付かずに戦時中の痕跡の前を往来していますが、今もひっそりと残っています。 #火垂るの墓 https://t.co/1EL2wToScc
革命は起こせると思っていた ──激動の経歴です。 逮捕歴のある学生運動家は、当時ゴマンといた。普通の就職活動はできず、サブカルチャーの世界に逃げた人も少なくはない。自分もそんな珍しくない1人だった。 革命は起こせると思っていた。資本主義に対し、世界的な規模で若者が異を唱えている。僕らも少数派ではない、と。しかし母校を封鎖したところで何も変わらなかった。退学処分を受け、失意の中で何か稼ぐ手段を探していたら、アニメスタジオの「養成所員募集」の広告が目に入った。中学・高校時代には漫画家を目指していたから、高校時代に描いた大学ノート2冊分の漫画を持参して、採用試験を受けたら通っちゃった。1970年の秋だった。 ──夢を追ってではなく、食いつなぐためにですか。 漫画家としてやっていくのは際立った才能がいるから難しい。でもアニメーターなら何十人も集まって1作品を作る。これなら自分でも食いぶちぐらい稼げ
『この世界の片隅に』って映画があって、戦時中の日常生活が詳しく描かれているらしい。それがわりと評判が高いという話を聞いて、ヘーって思った。ちょっと前だったら観て怒り出す人もわりといたんじゃないかなって感じがした。 私が子供の頃には平和教育?みたいなのがあったんだけど、とにかく戦時中というのは悲惨で最悪だったみたいなのを教えられた。今の私はオッさんだから雰囲気を読むけど、子供というものはバカである。「先生ー戦争中にも調子コイて腹踊りしながら鉄砲で撃たれて死んだ奴とかいるんですかー」みたいな質問してすごい怒られたりした。戦争中にも調子コイて腹踊りしながら鉄砲で撃たれて死んだ奴がいたのかどうか、それは分からないけど、子供だったらそういうことに興味を持つのは当然だと思う。しかしそういった素朴な質問すら許されないといったような重々しさが平和教育にはあった。 大人になってから色々なものを読んだり人に話
津原泰水(やすみ) @tsuharayasumi 『この世界の片隅に』が情報量情報量と騒がれているのを、曼荼羅めいた構造に気付かなかった俺は馬鹿、との心地好い劣等感交じりに眺めてきた。「細部にいちいち資料の裏付けがある」という意味らしいと分かってきて、落胆した。そういう観方をしてしまったら想像力で埋められた部分は悉く瑕疵となる。 2016-12-08 07:19:56 津原泰水(やすみ) @tsuharayasumi この人は何を云っているのだ? 焦土に身内と似た背恰好を見掛け、あの黒焦げは別人だった、こっちに生きていた、と希望をいだくのが「失認」? 諦めなかった人たちだけが再会を果たし、それでも残り時間は僅かな事が多かった地獄で。何にでも手持ちのレッテルを貼り付ければいいってもんじゃない。 twitter.com/pentaxxx/statu… 2016-12-08 14:01:58
ゴボウ都市伝説とは、日本軍が捕虜にゴボウを食べさせたところ、食文化の違いから虐待と受け止められ、戦犯裁判で有罪になったという逸話のこと。『はだしのゲン』などにも出てくる。 しかしApeman氏が10年ほど前から都市伝説として情報を集めて、少なくともゴボウひとつを根拠として判決がくだされたわけではないこと、細部が不明確なまま流布されていることを明らかにした。 「ごぼうを捕虜に食べさせて有罪になったB級戦犯」は都市伝説? - Apeman’s diary 元捕虜たちがごぼうを木の根と誤解し、虐待の一例として訴えたという事実それ自体は確かにあったようである。だが、判決でもそれが虐待として認定されたのかどうかは不明であるし、なによりごぼうの一件は数ある訴因の一つに過ぎない。絞首刑になった収容所の職員(収容所長は死刑にはならなかった)は捕虜を殴打したこと、体力の限界を超える労働を強制したこと、劣悪な
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