証言 橋下政治8年:3 大阪府知事3年目の2010年。橋下徹氏は1月に「大阪都構想」への意欲を口にし、4月には地域政党「大阪維新の会」が発足した。11年に大阪府知事選と大阪市長選のダブル選挙を仕掛け、橋下氏は大阪市長に当選。職員労組との対決姿勢を強めていく。 《「市役所の職員が政治活動をしている。我々が勝った場合、一族郎党がどうなるか覚悟を決めておけ。戦の掟(おきて)だ」(10年12月12日夜、大阪維新の会が大阪市鶴見区で開いたタウンミーティングで)》 翌年春の統一地方選を前に、橋下氏は、都構想の反対勢力と見立てた大阪市の職員に、宣戦布告した。 当時の平松邦夫市長の前は、助役経験者の市長が6代続いた。市長選では市役所が一枚岩となり、庁舎がある地名から「中之島選対」と呼ばれた。その中心を市職員の労組が支えてきた構図が、ヤミ年金・退職金、カラ残業などの温床となった。そのことは平松氏の前の関淳一