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ブックマーク / www.tapthepop.net (7)

  • キッズ・アー・オールライト〜 ロック史上最高の大騒音ライヴバンドThe Whoの軌跡

    『キッズ・アー・オールライト』(The Kids Are Alright/1979) 風車のように腕を回しながらギターを弾くピート・タウンゼント。 まるで津波のように汗を飛ばしながらドラムセットを叩きまくるキース・ムーン。 その横で驚異的なテクニックで黙々とプレイするジョン・エントウィッスル。 ソウルマンと聖歌隊の少年が同時に歌っているかのようなロジャー・ダルトリー。 愛に支配された偽善者、とんでもない狂人、ロマンティスト、踊れないタフ・ガイの4人──英国が生んだ偉大なるバンドThe Who。 1964年のデビューから数年間続いた「My Generation」を代表とするモッズバンド時代。 あるいは知的な文学性に貫かれた『Tommy』や『Quadrophenia』といったロック・オペラと映画作品。 モンタレー、ウッドストック、ワイト島、リーズなどで魅せてくれた史上最高の大音量ライヴバンドと

    キッズ・アー・オールライト〜 ロック史上最高の大騒音ライヴバンドThe Whoの軌跡
    u-chan
    u-chan 2019/09/07
    キース・ムーンの破天荒さは、プレイは元より、ドラムキット破壊の動画やエピソードを読まないとわからない。https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%83%B3
  • 矢沢永吉を支えたソングライターとしての西岡恭蔵①~「ライフ・イズ・ヴェイン」|TAP the SONG|TAP the POP

    矢沢永吉と出会ったきっかけについて、生前の西岡恭蔵は「ディレクターの方とか矢沢人とかが作詞をする人を捜してたんてすよね。で、その中にピックアップされて、今も続いている」と述べていた。 それはキャロルが解散して、矢沢永吉がソロになる直前のことであった。 初めて逢ったときの印象は、エネルギッシュな人だなぁと思いました。彼と別れてからもしばらくそのエネルギーが残って離れなかったというか、あんなにエネルギーのある人ってなかなかいないと思うんてすよね。オーラとかうものが当にあるのかどうかは、分かんないてすけど、なんかこう放つものてすかね、そういうものが強かったです。 矢沢にとってソロ・アルバムは大きな賭けであった。 日で初めて成功したロックンロール・バンドのキャロルを解散すると決めたとき、矢沢はバンドでは燃焼しきれなかったものを、1枚のアルバムに表現しようとしたのだ。 物事を決定したらすぐさま

    矢沢永吉を支えたソングライターとしての西岡恭蔵①~「ライフ・イズ・ヴェイン」|TAP the SONG|TAP the POP
    u-chan
    u-chan 2019/08/24
    全くミスマッチと思える組み合わせだけど、ハマってんだよね。面白いのは自分のソロ活動の詞とあまりテイストが変わらない(故にライブで永チャンの曲やって欲しいと言われてもキーが高くて歌えないと困ってたとか)。
  • 夭折のシンガーソングライター、ニック・ドレイクの謎に包まれた生涯(後編)~孤独と絶望の果てに

    190センチ以上もある長身に長い髪、清潔感あふれる白いシャツにダーク・スーツや黒いジャケットを身に着け、常にエレガントな雰囲気を漂わせていたニック・ドレイク。 憂いのある魅力的な声だけでなく、彼の奏でるギターにも定評があった。独自のチューニングで五の指から複雑に、そして繊細に、しかし力強く奏でられるギターについては、学生時代の友人を始め、レコーディングを共にしたミュージシャンの誰もが、その技術の高さと正確さを絶賛している。 そんな彼の様子が変わり始めたのは、1970年に2ndアルバム『ブライター・レイター』を発表してからだ。 1stアルバムの商業的失敗を払拭しようとニックが強い思いを持って臨んだこのアルバムを、プロデューサーのジョー・ボイドやアイランド・レコードは高く評価していた。しかしそれとは対照的に、ニックは全体のアレンジが少し華やか過ぎたとして、あまり満足していなかったという。 前

    夭折のシンガーソングライター、ニック・ドレイクの謎に包まれた生涯(後編)~孤独と絶望の果てに
    u-chan
    u-chan 2018/11/26
    最後のアルバム(3枚目)は傑作。彼のギターとボーカル、1曲目で僅かにピアノが入るだけ。全く無駄のない変則チューニングの素朴な音色のギターで時が流れていく。本当に惜しむらくは演奏の映像が無いこと。
  • 夭折のシンガーソングライター、ニック・ドレイクの謎に包まれた生涯(前編)~見出された才能

    1969年から1972年の3年間にたった3枚のオリジナルアルバムを遺して、26歳の若さで夭折したイギリスのシンガーソングライター、ニック・ドレイク。 その歌声は、少し憂いを帯びて儚げでありながら親密さも感じられ、聴く者の心をすぐさま虜にしてしまう魅力がある。 彼の音楽は近年になってますます再評価が高まっているが、その短いキャリアと生涯については謎が多い。そんな彼の人物像に迫ろうと、パトリック・ハンフリーズは2005年に「ニック・ドレイク~悲しみのバイオグラフィ」を著した。 パトリック・ハンフリーズは、ボブ・ディランやブルース・スプリングスティーンについての著書もある音楽ライターで、彼もニック・ドレイクの音楽に魅了された一人だ。 1974年に26歳で生涯を閉じたニック・ドレイクの一般的なイメージは、病に苛まれ、深い悲しみに縁取られていた。口数の少なかったニックは、インタビューでの証言や書き

    夭折のシンガーソングライター、ニック・ドレイクの謎に包まれた生涯(前編)~見出された才能
    u-chan
    u-chan 2018/11/26
    1枚目は習作。2枚目はいいんだけど、ジョー・ボイドのオーバープロデュース。ナイーブすぎるミュージシャンにショービジネスは向いてなかった典型例だった(続く)。
  • 幻の音楽番組となっていた『セブンスターショー』を作ったドラマの鬼才・久世光彦|Extra便|TAP the POP

    1976年2月15日から3月28日までの7週間 、日曜日の19時30分~21時までという当時のゴールデン・タイムを使って、『サンデースペシャル・セブンスターショー』と題した音楽番組がTBS系列でオンエアされた。 NHKの大河ドラマは絶大な人気があったが、その年の1月4日から加藤剛と吉永小百合が主演する『風と雲と虹と』をオンエアし、初回から30,1%という高視聴率で始まっていた。 そこにTBSがぶつけたのが90分、全7回の音楽スペシャル番組である。 企画とプロデュースを手がけた久世光彦はテレビドラマの世界で、斬新で型破りな作品を発表して鬼才と謳われていた人物だ。 TBSのドラマ班で演出家とプロデューサーを兼ねていた久世は、1971年から始めたTBSの水曜劇場『時間ですよ』が平均視聴率29,5%、最高36,2%という数字を上げて、1973年の第3期まで続く人気ヒット・シリーズに成長させていた。

    幻の音楽番組となっていた『セブンスターショー』を作ったドラマの鬼才・久世光彦|Extra便|TAP the POP
    u-chan
    u-chan 2018/11/26
    この番組、個人的にはジュリーとユーミン(+ムッシュ)の回だけでもソフト化できないものか。井上堯之バンドとキャラメル・ママがバックで秀逸なので。まぁ、世間的には拓郎の回なんだろうが。
  • イギリスでも無名だったクイーンを日本で売り出すことを決めて意欲を燃やしたプロデューサー・渡邊晋の慧眼

    Home Extra便 イギリスでも無名だったクイーンを日で売り出すことを決めて意欲を燃やしたプロデューサー・渡邊晋の慧眼 - TAP the POP クイーンが国のイギリスでデビューしたのは1973年7月だったが、シングル「炎のロックンロール」もアルバム『戦慄の王女』も、マーケットではほとんど反応がないままメディアからは酷評されてしまった。 しかしまだアルバムが発売になる直前の5月の段階で、その後の彼らの運命にも影響を与えたふたりの日人が、人たちの預かり知らないところで、日における売り出し方に思いをめぐらせ始めていた。 ことの発端となったのは拡大する日音楽マーケットに関して、渡辺プロダクションの創業者で社長だった渡邊晋と、副社長で夫人の美佐のもとへ、欧米のレコード会社や音楽出版社、アーティストのエージェントなどから様々な共同事業の提案が持ち込まれていたことだった。 渡辺プロ

    イギリスでも無名だったクイーンを日本で売り出すことを決めて意欲を燃やしたプロデューサー・渡邊晋の慧眼
    u-chan
    u-chan 2018/11/26
    クイーンの売り出しにナベプロが絡んでたなんて初めてしった。ナベプロ絶頂期だったからできたんだろう。
  • 大瀧詠一が初めて細野晴臣の部屋に入った瞬間、思わず発した言葉とは?

    細野晴臣と大瀧詠一がはじめて出会うのは1967年の春先のことだが、きっかけはもう一人の友人との出会いだった。 その前年の秋、立教大学のキャンパスにある待ち合わせ場所で、細野は指定されたベンチに座っていた。立教高校時代からの友人から、「経済学部におまえみたいに音楽にうるさいやつがいるんだ、紹介するよ」と言われていたからだ。 やがて友人に連れられてやってきた男は、ポツリと「中田です」と名乗った。それからお見合いのような形でボソボソと、探りあうような会話が始まった。 「いまどんなの気に入ってるの?」 「うーん、ポール・サイモンなんか、けっこう」 ――おっ、こいつはできるな。 「ちいさい秋みつけた」や「めだかの学校」「夏の思い出」などの作曲家、中田喜直の甥にあたる血筋に生まれた中田佳彦はギターが上手で、アソシエーションなどのソフト・ロック系にも詳しかった。 お互いの音楽への関心がわかって意気投合し

    大瀧詠一が初めて細野晴臣の部屋に入った瞬間、思わず発した言葉とは?
    u-chan
    u-chan 2014/11/04
    掘り下げきってると、知らない他人と話すときに、フックになるもので相手と感性の連続性があるかどうか必ずテストしてしまうもの。
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