今回は、私たちの身の回りのお金の不思議に関して考えます。大学の授業でいえば「金融論」ということになります。■お金という「共同幻想」まずは、ここにある一万円札。これは、ただの紙切れのはずなのに、なぜ私たちはお金と思っているのだろうか?学生A 私たちが「お金」だと思っているからです。その通りだね。私たちがお金だと思っているから、お金はお金である。論理的には大変おかしな構造ですが、これが貨幣という
新聞・テレビにあふれる悲劇や美談だけでは大震災の真実は語れない。真の復興のためには、目を背けたくなる醜悪な人間の性にも目を向けなければならない。福島県内およびその近くでの出来事もその一つだ。 心底、嫌悪と怒りがこみ上げる話である。被災地選出の国会議員が、やりきれない悔しさを込めて語った。 「福島近郊にある高速道路のサービスエリアで、地元の銘菓や食品類が大量に捨てられている。おそらく、県外の住民が福島で地元の人からもらったお土産を捨てているのだろう。訪ねてくれた御礼に被災者たちが用意したものだったはず。風評被害というには、あまりにも悲しすぎる」 福島県内の高速を回ると、残念なことにそれが事実であることは簡単にわかった。磐越自動車道・阿武隈高原SA(サービスエリア)の女性清掃職員が証言する。 「確かに、よくお菓子が捨てられています。福島のおまんじゅうだとか、封を切らないお菓子の箱だとか。もった
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く