先月の終わりごろ、思わず「えっ?!」と声が出てしまう投稿を目の当たりにした。 詐欺の罪などで懲役9年の有罪判決を受けた「頂き女子」こと渡邊真衣被告(現在控訴中)の支援者を名乗る女性と、事件被害者との間で交わされた奇妙なメッセージのやりとりの一部始終である。
先月の終わりごろ、思わず「えっ?!」と声が出てしまう投稿を目の当たりにした。 詐欺の罪などで懲役9年の有罪判決を受けた「頂き女子」こと渡邊真衣被告(現在控訴中)の支援者を名乗る女性と、事件被害者との間で交わされた奇妙なメッセージのやりとりの一部始終である。
( https://twitter.com/terrakei07/status/1785946853135323614 より引用 ) 先日の記事「なぜ世の中で『ぴえん』するのは女性ばかりなのか?」に寄せられたシェアコメントを引用した上掲ポストが大きな反響を呼んでいた。 先日の記事では「なぜ女性ばかりが『ぴえん』して男性はしないのか」についてそのメカニズムを詳しく解説したのだが、しかしそれとは裏腹にたとえ女性であっても完全に「女性だけ」しかいない環境だと、それほど「ぴえん」しなくなるのである。冗談で言っているわけではない。本当にそうなのだ。女性も「周囲に完全には女しかいない」という条件下におかれた場合には「ぴえん」を封印するのである。 いったいなぜなのか? +++++
SNS上では「差別反対」の意見が盛り上がっている。 性別や国籍や人種や外見など、その人にとって生来の偏向不能の要素に対する偏見や侮蔑を投げかけることについて、論をまたず絶対に許すべきではないとされている。 ……しかし、そんな「差別反対」のタームに熱心に賛意を示している人でさえ、どういうわけかこと九州地方(あるいは九州地方の男性)に対する差別意識については、反対するどころか平然と露わにすることが多いようだ。これはペケッターランドの七不思議のひとつに数えられている。 つい先日もこのような言説が大きな波紋を呼んでいた。
その日は現場仕事が忙しく、SNSのタイムラインをろくに眺めている時間がなかったせいでリアルタイムでは気づかなかったのだが、先日のペケッターランドでとある大騒動があったようだ。 SNS上にアップされた、とあるドライブレコーダー映像がその発端となっていた。その映像には、逆走していた自転車の女性があわや衝突しそうになった自動車の運転手に怒声を浴びせたり、なにやら写真撮影や通話をする様子の一部始終が動画に収められていた。 これがネット上で瞬く間に拡散して2024年でも最強クラスの大炎上騒動となり、動画に映っていた「ママチャリ女性」に非難の声が殺到した。炎上したその日のうちに名前や住所はおろか、子どもが通っている保育園や配偶者の勤務先までネット上で「特定」されてしまったらしく、聖地巡礼を称して付近のエリアに「凸」する者までもが現れる異様な事態に発展していた。 道路交通法を違反した走行(逆走)を行った
月初にリリースした記事「男女対立の究極的な原因とはなにか?」は公開直後から大きな反響があり、これに寄せられた意見や感想を集めた記事も、これまた大きな反響がありました。 時代のアップデートに取り残されていないと対外的にアピールして「ええかっこしい」がしたいリーダークラスの中高年層(ヨシヨシ爺さん)が、後先考えずに「女性活躍推進」を断行しているせいで、現場からは不公平感、もっといえば怒りや憎しみのマグマが集まってきています。 先日の記事では、主として男性側からの意見を多く紹介しましたが、対岸にいる女性からの声も届いていないわけではありませんでした。両論併記ということで、今日は有形無形の優遇や配慮を受けている「女性サイド」の意見をご紹介したいと思います。 「上の世代が(ええかっこしいをしたいがために)断行する女性活躍推進」ですが、いちおうはそれでメリットを受けている側である女性から必ずしも歓迎さ
4月12日に行われた東京大学学部入学式における、東京大学総長・藤井輝夫氏による式辞が大きな波紋を呼んでいる。 というのも、政治・経済、そして学問分野の女子比率が少ないことを挙げながら「女性の進学や理系受験をさまたげるような障壁(構造的差別)」があると述べたからである。
全SNS民の涙を誘う、そんな投稿があった。 ( https://twitter.com/DaqhneOsmanthus/status/1778612996207763889 より引用 ) ビジネスコミュニケーションアプリ「Teams」のチャット欄で「❤」を使用した40代男性男性がセクハラの嫌疑をかけられ、人事部から調査を受ける羽目になってしまったというものだ。 ちなみに近頃の40~50代くらいの人が、チャットツールなどで若い人に警戒心を持たれなうよう善かれと思い「!」をつかったり「❤」をつかったりするのはそこまで珍しくはない。時事や流行に敏感な人ならなおさらだろう。もしかしたら皆さんの働く会社にもそういう人がいるかもしれない。 若者は文字ベースのコミュニケーションで文末に「。(句点)」が使われていると冷たいとか怒っているような印象を受け委縮してしまうことがあるのも事実だ。そうした事実をニュ
「老害にならないよう、肝に銘じなければ」 「周囲から老害だと思われないようにしなければ」 ——中高年層では、老害化を回避しようとする意識が高まりつつある。 ( https://twitter.com/honnoinosisi555/status/1768761683227631809 より引用 ) 学ぶことをやめ、謙虚さをなくし、他者への思いやりを失えば、すなわち老害になってしまう―—といった具合の、「老害」にならぬよう自戒するべしとする言説に共感が広がっている。 しかしながら、私は正直こうした意見にはあまり賛同できない。 年老いた者が老害になってはいけないとは思わないからだ。 いや、年老いた者は、むしろ胸を張ってどんどん「老害」になるべきだ。 +++++ なぜ「老害」になることを恐れるべきではないのか。避けるべきではないのか。その理由は明確だ。すなわち
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