太平洋戦争の敗戦直後、太平洋中西部に浮かぶサンゴの島・オーシャン島で日本兵が行った住民虐殺について、元日本兵が書き残していた手記を本紙が入手した。これまで、虐殺事件の具体的経緯は不明な部分もあったが、上官の命令を受け自分が銃を撃つまでの一部始終を苦悩とともにつづっている。専門家は「太平洋地域で起きた紛れもない事実。ただ、この分野の研究者は少なく、一般的にはほとんど知られていない。大変貴重な資料だ」と語る。(山本哲正)
","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541 -->","naka6":"<!-- BFF486 PC記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 --><!-- /news/esi/ichikiji/c6/default.htm -->","naka6Sp":"<!-- BFF3053 SP記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 -->","adcreative72":"<!-- BFF920 広告枠)ADCREATIVE-72 こんな特集も -->\n<!-- Ad BGN -->\n<!-- dfptag PC誘導枠5行 ★ここから -->\n<div class=\"p_infeed_list_wrapper\" id=\"p_infeed_list1\">\n <div class=\"p_infeed_list\">\n <div class=\"
77年前の7月初旬、第2次大戦で日本軍はインド北東部を攻略する「インパール作戦」を中止した。物資が不足した日本兵の撤退路は餓死や病死が続出。道端に放置された遺体は高温多湿な環境で腐敗が早く、やがて白骨化した。「白骨街道」と呼ばれた死と隣り合わせの道を踏破した元陸軍伍長の松田善兵衞さん(100)=福井県敦賀市=は「わしもこんなんなるのかなと思った。でも、もう一度(敦賀市の)杉箸の地を踏まないと、と歩いた」と当時を振り返った。 ⇒【写真】インパール作戦を紹介する雑誌に掲載されている行軍する日本兵 1942年に敦賀連隊に入営し、中国に駐留した。その後、補充兵としてインパール作戦の主力を担った3師団のうちの一つ、通称「祭兵団(まつりへいだん)」(第15師団)の67連隊に転属。東南アジアに向かった。 同兵団は2千メートル級の山が連なるビルマ(現ミャンマー)のアラカン山脈を越えて、直接インパールを攻略
2017年夏放送されたNHKスペシャル「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」は大きな反響を呼んだ。その制作の際の取材をもとに2018年1月21日、BS1スペシャル「731部隊 人体実験はこうして拡大した/隊員たちの素顔」が放送される。そこで、731部隊研究第一人者・常石敬一神奈川大学名誉教授に、731部隊とは何だったのかを訊いた。(4回連続。本記事はその1回目) 「科学と戦争と人々――満州731部隊の歴史と素顔」講座で 731部隊とは、戦時中、細菌兵器を研究・開発する目的で旧満州に設置された関東軍防疫給水部本部の秘匿名称(通称)だ。部隊長は石井四郎陸軍軍医中将(1892-1959年)。731部隊の人体実験と、東大・京大・慶大の学の医学エリートがそれらの実験に深くかかわっていたことがNHKスペシャル「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」で明かされた。そのスタッフ紹介テロッ
大岡昇平の小説などでも知られる、フィリピンでの日米決戦。日本軍はフィリピンで何をしたのか。そして両国の友好の道筋と、今後の課題とは。アメリカ・フィリピン・日本の3カ国にわたる国家・社会関係史の専門家、一橋大学社会学部教授の中野聡氏が解説する。TBSラジオ荻上チキSession-22 2016年01月27日放送「天皇・皇后両陛下がフィリピン公式訪問。戦時中、日本軍は何をしたのか?」より抄録。(構成/住本麻子) ■ 荻上チキ・Session22とは TBSラジオほか各局で平日22時〜生放送の番組。様々な形でのリスナーの皆さんとコラボレーションしながら、ポジティブな提案につなげる「ポジ出し」の精神を大事に、テーマやニュースに合わせて「探究モード」、「バトルモード」、「わいわいモード」などなど柔軟に形式を変化させながら、番組を作って行きます。あなたもぜひこのセッションに参加してください。番組ホーム
「ヒトラー政権下でナチス・ドイツの市民として過ごしたけど、何か聞きたいことはある?」95歳の女性が質問に答える 第二次世界大戦をリアルタイムで知る世代も少なくなってきました。 ヒトラー率いるナチス政権下のドイツで、市民として当時を過ごしたという95歳の老齢の女性が、孫の力を借りて海外掲示板で質問を受け付けていました。 興味深いQ&Aをご覧ください。 95歳の祖母に、ナチスの市民として過ごしたのはどういうことだったのか、どんな状況だったのかを、掲示板を通して質問を受け付け、回答してもらったそうです。 女性は1920年に生まれ、戦時中(1939年〜1945年)はオーナーの妻とその兄弟がユダヤ人のハーフという会社に勤めていました。村で収容されなかったユダヤ人は彼らだけだったそうです。 会社が兵士の制服などを作っていたため、戦争にとても重要だったからとのことです。 当時の彼女の写真。 現在の彼女と
否定表現としての”大艦巨砲主義”日本海軍の戦艦大和が沈んでから、今年の4月7日で70年を迎えました。その節目とあってか、いくつかのメディアで大和を題材にした記事を見かけましたが、その一つにこんなのがありました。 世界最大の46センチ主砲が敵戦艦に火を噴くことはなく、この最後の艦隊出撃で、撃墜したとされる敵機はわずか3機だった。大艦巨砲主義の誇大妄想が生んだ不沈戦艦への“信仰”に対し、宗教家の山折哲雄さん(83)は「大和とは、いびつな時代のいびつな象徴だった」と指摘する。 出典:大和撃沈70年:最後の特攻、敵機撃墜たった3機(毎日新聞) 毎日新聞の記事では、宗教家の言葉を引く形で「大艦巨砲主義の誇大妄想」とそれが生んだ「浮沈戦艦への信仰」と、批判的・否定的なトーンで伝えています。NHKでも過去に歴史ドキュメンタリー番組「その時歴史が動いた」で『戦艦大和沈没 大艦巨砲主義の悲劇』を放映していま
先月に一時帰国した際、評判の映画『永遠の0』を観ました。また、小説も評判であるというのでこちらも読みました。どちらもプロの仕事であると思います。技術的に言えば、ストーリー・テリング(物語の展開)だけでなく、セッティングやキャラクターの造形、そして何よりも時空を超えた大勢のキャラクターが、物語の進行とともに「変化していく」効果が見事です。 キャラクターの「変化」というのは、「成長」したり「相互に和解」したり、あるいはキャラクターに「秘められていた謎」が明かされたりしてゆくという意味です。そうした効果を、時空を超えた複数のキャラクターを使って、しかも2000年代と第二次大戦期という2つの時間軸の中で実現している、そのテクニカルな達成はハイレベルだと思います。 更に言えば、老若男女の広範な層にまたがる読者あるいは観客は、多くのキャラクターの中から自分の感情を投影する対象を見出すことができるように
「侵略の定義は学界的にも国際的にも定まっていない。国と国との関係でどちらから見るかで違う」(4月23日、参院予算委)。安倍晋三首相のこの発言が、アジア各国だけでなく米国などでも波紋を広げています。戦前の日本による「植民地支配と侵略」について謝罪した村山富市首相「談話」(1995年)を否定するとともに、戦後の国際秩序にも挑戦するものと受けとめられているからです。しかし、安倍首相はいまだに発言を撤回していません。この発言をどうみるのか、考えてみます。(肩書は当時) 「侵略を否定する詭弁」 韓国紙も指摘 なぜいま、安倍首相は「侵略の定義」などを持ち出したのでしょうか。首相はこの発言の前日、「安倍内閣として、村山談話をそのまま継承しているわけではない」(4月22日、参院予算委)と答弁。「侵略の定義」発言も、村山談話についての質疑で飛び出したものです。 韓国の中央日報(4月24日付)は、この発言につ
Peace Philosophy Centre, based in Vancouver, Canada (est. 2007), provides a space for dialogue and facilitates learning for creating a peaceful and sustainable world. ピース・フィロソフィー・センター(カナダ・バンクーバー 2007年設立)は平和で持続可能な世界を創るための対話と学びの場を提供します。피스필로소피센터(캐나다·밴쿠버 2007년 설립)는 평화롭고 지속 가능한 세계를 만들기 위한 대화와 배움의 장소를 제공합니다. 欢迎来到和平哲学中心!我们来自加拿大温哥华,我们致力于促进对话及建立可持续发展的和平世界。欢迎您留下宝贵的评论。Follow Twitter: @PeacePhilosophy / "Like
NHKスペシャル取材班、『日本海軍400時間の証言 軍令部・参謀たちが語った敗戦』、新潮社 関連エントリ: http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20090809/p2 http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20100829/p1 http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20100906/p1 09年に放送されたNHKスペシャルの取材班が取材のいきさつや舞台裏、番組に盛り込めなかった発見や作り手サイドの思いなどについて書いた本。戸田一成氏が編集した『[証言録]海軍反省会』がPHPから出たことについては「まあそんなところか」と思ったが、NHKの出版部門ではなく新潮からこの本が出たというのはどういういきさつによるものだろうか。その手の事情に通じていないので……。まあ新潮が好みそうな題材とは言えるだろうし、スタッフの個人的な思いが前面に出
餓死(うえじに)した英霊たち 作者: 藤原彰出版社/メーカー: 青木書店発売日: 2001/05メディア: 単行本購入: 2人 クリック: 68回この商品を含むブログ (14件) を見る戦没者というと、敵軍の攻撃によって死んだ人というイメージがあるだろう。しかし第二次世界大戦において、日本の戦没者の半分は餓死や病死だったというのは意外と知られてない様だが、もっと知られてもいいのではないか。当然、そんな戦争は歴史的に珍しい。 ※補足。病死が多い戦争は多いという指摘はあったが、餓死者が多い戦争は珍しい この辺りの研究としては『餓死にした英霊たち』があるそうだが未読なので伝聞情報なのだが、日本政府によれば軍人軍属の戦没者は230万人で、著者の藤原彰氏によれば、餓死や病死は140万人前後と推定している。推定ではあるが、6割、少なくとも半分が戦闘による死亡ではなく、餓死や病死といえるのだ。 ※参考に
大きな枠組みとしてはこれといって目新しいところのない内容でしたね。マスメディアの戦争責任についてはすでに学問的な研究の蓄積もあるし、比較的最近も朝日新聞でかつての戦争報道を振り返る連載があったり(他紙で同様の企画が近年あったかどうかは把握していない)、NHKでも「戦争とラジオ」という2回シリーズを放送しているし。 やはり目玉は今回の取材で発見されたという録音資料でしょう。日本新聞協会が100人以上の元記者たちにインタビューして残したテープ。画面に映ったテープのラベルに書かれている日付は昭和50年とか54年とか61年だったりするので、戦後30〜40年頃に取材され、それから30年近く世にでないまま「行方不明」になっていたことになります。 また今村均や鈴木貞一、福留繁など陸海軍人たちの録音資料についてはその素性が(番組内では)明らかにされていなかったが、元記者たちのテープと同様どのような経緯で記
昨日12月5日から朝日新聞朝刊で「65年目の「遺言」」と題する連載が始まった。第1回は名古屋空襲で両足を失った女性への取材。 季節の変わり目や、雨が降る前、両足のつけ根に痛みが走り、生きながらに体を焼かれたあの日がよみがえる。 「死ぬまで戦争に追いかけられるのでしょうか」。岐阜県多治見市の老人介護施設で松野和子さん(83)は年数回、一睡もできずに朝を迎える。17歳9ヶ月の時、両足を切断してから65年を過ぎた。 (……) 6年前、老人介護施設に入った。認知症がすすみ、記憶が薄らいでいくのを自分でも感じる。それとともに、「長生きできただけでも幸いだ」と口をつくようになった。月2回面会にいく妹良子さんの思いは複雑だ。「認知症になって初めて自分を幸せと思える国なんて。国は戦災傷害者が死ぬのを待っている」 (……) 和子さんは言う。「昔の嫌なことはずいぶんと忘れた。でも、戦争が終わり、民主主義の国に
ビセンテ・アモリン監督(右)と伊原剛志=パウロ・ムソイ氏提供「汚れた心」=パウロ・ムソイ氏提供 第2次大戦直後のブラジルで、祖国日本の敗戦を信じなかった日本人移民と、負けた現実を受け止めた移民との間で、流血事件が起きた。ブラジルの日系社会がいまだにタブー視するこの出来事をテーマにした映画を、ブラジル人監督が制作中だ。日本でも成功させたいと、奥田瑛二や伊原剛志らを起用した。 ポルトガル語の題名は「汚れた心」。敗戦のニュースを「連合軍のプロパガンダ」として、日本は米国に勝ったと主張した「勝ち組」と呼ばれた人々が、敗戦を信じた「負け組」の人々を「心の汚れたやつら」と呼んだことから採った。 映画は、負け組の人々を殺していく写真家(伊原)と、こっそりと子どもたちに日本語を教える妻(常盤貴子)の夫婦が、時代にほんろうされながらも愛を貫く物語だ。2000年にブラジル人ジャーナリスト、フェルナンド・
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く