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社会と文化人類学に関するja_bra_af_cuのブックマーク (29)

  • 同性婚とインセストから現代の結婚に求められるものを考える

    同性婚の法制化を求める声が大きくなっている。それに対して反発が広がり、「そもそも結婚は生殖(あるいは出産)のためにあるのであり、出産しないカップルに結婚による法的利益を提供する必要はない」とか「同性婚を許容するなら兄弟姉妹の結婚も許されるべきではないか」といった議論も飛び出した。後者に関しては特に、牽強付会と言っても構わないと思われるが、なぜそのような錯誤が生じるのかも含めて、もう一度「婚姻」と「再生産(子どもをつくること)」の関係を考え直してもいいかもしれない。稿で述べる論点をまとめるなら、以下のようになる。この三つに違和感を感じない方は、最終節だけ読んでいただいても構わないと思う。そうでない方は、少し長くなるが全文にお付き合いいただければ幸いである。 (1)婚姻は生殖のためにあるのではないし、人類のインセスト・タブーは生物学的(優生学的)根拠に基づくものではない (2)日文化のイン

    同性婚とインセストから現代の結婚に求められるものを考える
  • 『ダイエット幻想』3刷にあたって ー承認欲求を否定しながら、刺激する社会をいかに生きるか | 磯野真穂ブログ

    ダイエット幻想』3刷にあたって ー承認欲求を否定しながら、刺激する社会をいかに生きるか 2023 1/15 1月12日に『ダイエット幻想』重版のご連絡をいただきました。それに際し、書発刊時に私がnoteに書いた文章を転載します。3年前に記した『ダイエット幻想』での挑戦は多少なりとも成功をおさめたのかもしれません。 承認欲求を否定しながら、刺激する社会をいかに生きるかー「ダイエット幻想」に込めた挑戦 (2019年10月11日) 今年の6月22日、私は『ダイエット幻想』の終章を書き終わり、5日後の6月27日に『急に具合が悪くなる』の最終便を宮野さんに託しました。 私はこの二つのを同時並行で書いていました。 でも、だからこそ、宮野さんへの最後の書簡は、『ダイエット幻想』を書き終えた状態で、書簡にだけ全力を投じられる状態で書きたかった。 『急に具合が悪くなる』は私にとって、これまでに経験した

    『ダイエット幻想』3刷にあたって ー承認欲求を否定しながら、刺激する社会をいかに生きるか | 磯野真穂ブログ
  • 人権、環境、道具箱|高梨ひばり|note

    世に倣い、私もこの1年を振り返ってみる。 4月、人事異動の季節。新たに異動してきた方に、こう紹介された。 「こちら<かなりや>の高梨さん。この人ねえ、すごい道具箱持ってるんだよ!」 今年の私の「うれしかった大賞」は、この言葉に決定である。 当は私のものではなくシェルター<かなりや>の備品だが、道具箱が私の「バディ」であることをわかってもらえたのが、とてもうれしかった。 私の愛する道具箱。 キミがそばに居ると、大抵の困難は乗り越えられる気がするんだ。 中には各種カッターやドライバー、巻尺はもちろん、六角レンチセット、ラジオペンチにネジザウルス、モンキー、万能はさみ、針金、バインダー、紙やすり、結束バンド、水道パッキン、ダボ、洗濯機設置に使う水栓ニップルがゴチャっと入っている。 箱には入っていないが、電動ドライバーセットとスチームクリーナー、脚立も立派な「チーム道具箱」の一員である。そしてそ

    人権、環境、道具箱|高梨ひばり|note
  • 人類学者デヴィッド・グレーバーさんを悼む 人間の本性、対立超えると信じた 批評家・片岡大右さん寄稿|好書好日

    「負債論」で一石 「当に自由な社会」求めて 世界的に著名な英国在住の米国知識人、デヴィッド・グレーバーが59歳で急逝した。王道を歩む人類学者として、この分野の拠点ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの教授職にあった彼は、より公正な世界を訴える2011年のウォール街占拠への関与によって、国際的に知られた活動家でもあった。 グレーバーは学問と政治を峻別(しゅんべつ)し、「私をアナキスト人類学者と呼ばないでください」と絶えず求めていたけれど、とはいえ二つの領域はまったく無縁だったのではない。 人類学とは彼にとって、「人間とはなにか、人間社会とはなにか、またはどのようなものでありうるのか」(『負債論』、邦訳16年)を探究する学問だった。マダガスカルのような他なる文化地域に赴いたのも、人間一般の性をより広く深く理解するためにほかならない。 そんな彼が関わったからこそ、ウォール街占拠では、「私た

    人類学者デヴィッド・グレーバーさんを悼む 人間の本性、対立超えると信じた 批評家・片岡大右さん寄稿|好書好日
  • 「人種は存在しない、あるのはレイシズムだ」という重要な考え方(磯 直樹) @gendai_biz

    今年4月、アメリカ・ミネソタ州で警官によって「黒人」男性が殺害された。その映像はテレビSNSで世界中に拡散され、アメリカ各地で差別に抗議するデモが行われるとともに、暴動も起きた。こうした反差別デモは「黒人の命は大事だ(Black Lives Matter)」の標語とともに世界各地に広まっている。 そうした中、「人種」による差別(レイシズム)があってはならないということ自体は多くの人が共有しつつも、「人種」の違いをどう乗り越えるべきか、あるいは「人種」間の平等がいかに可能かをめぐっては、議論が錯綜しているように思われる。「人種」が違っても差別をしないよう心がけ、差別を禁止する法律を整備すればレイシズムは徐々になくなっていくのだろうか。 このように問うなかで、しばしば忘れられている前提がある。それは、遺伝学的見地からは、「人種」は存在しないという指摘がなされていることである。しかし、そう言わ

    「人種は存在しない、あるのはレイシズムだ」という重要な考え方(磯 直樹) @gendai_biz
  • アフリカの砂漠にごみをまく京大准教授「貧困止めたい」:朝日新聞デジタル

    西アフリカにある世界で最も貧しい国の一つ、ニジェールの砂漠にごみをまき続けている日人がいる。都市で出た生ごみやサンダル、鉄鍋まで。目的は一体――。 その人物は京都大大学院アジア・アフリカ地域研究研究科の大山修一准教授(46)。サハラ砂漠南縁のサヘル地域で各民族の生活様式や糧問題などを研究する地理学者だ。 大山さんは2000年から、首都ニアメー近郊にある農耕民ハウサの小さな村を拠点にフィールドワークを続けている。周囲には砂漠が広がり、硬い地面がむき出しになっていた。 ある時、村人が自宅の生ごみや家畜のふんを砂漠に放置した。雨期を経て、ごみから草木が茂りだした。大山さんが調べると、ごみに住み着いたシロアリが砂漠を栄養のある土壌に変え、ごみに混じった植物の種子が発芽したとみられるという。 一方、同国では人口増加によ…

    アフリカの砂漠にごみをまく京大准教授「貧困止めたい」:朝日新聞デジタル
  • 「差別」とは何か?アフリカ人と結婚した日本人の私がいま考えること(鈴木 裕之) @gendai_biz

    何度も繰り返される差別問題。どのように向き合い、状況を変えればよいのか? アフリカ人歌手と結婚し、黒人の側に立ち、差別も経験した、文化人類学者の鈴木裕之氏が「差別とは何か」を考察する。 「差別は悪い」は当か 「差別」問題が世間を騒がせている。 トランプ発言、H&Mパーカー問題、ダウンタウン浜田のエディー・マーフィー・メイク問題、FIFAワールドカップのヘイトスピーチ問題……古くて新しい問題。人間社会の鬼門である。 差別は悪い――。当だろうか。 新約聖書にある有名なエピソード。 人々が姦淫の罪を犯したひとりの女を捕らえ、律法に定められているとおり石で打ち殺すべきかと問いかけたとき、イエス・キリストが言った。 「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」(新共同訳) 結果はあきらかである。イエスと女人を残し、すべての者が立ち去っていった。 罪の告発と、自分の

    「差別」とは何か?アフリカ人と結婚した日本人の私がいま考えること(鈴木 裕之) @gendai_biz
  • ポリティカル・コレクトネスと文化相対主義|天使もトラバるを恐れるところ

    であれば、これは要するに「文明社会が想定する正義と、文化的な多様性はコンフリクトを起こすことがあるのではないか?」という問いであり、これならば広く知られ、かつ熟慮を要する問いである。 まず、前提として「ポリティカル・コレクトネス」は一般に、右派が左派を揶揄するときの言葉であるということを確認したい。 「コレクトネス」という英単語は、一般に「唯一の正解があるような問題の正解」であるときに使う。 例えば、ヴェトナム戦争の終結は何年でしょう、という歴史のテストがあったとすれば、コレクトな正解は1975年というものであろう。 一方で、ヴェトナム戦争に関わった人々がそれぞれに感じていた戦争の位置付けや大義といった問題は、「コレクトネス」ではなく、英単語としてはフェアネスやジャスティスの問題である。 ジャスティス(正義の女神)がしばしば天秤を持った姿で表されるように、これらは「唯一の正解がある」という

    ポリティカル・コレクトネスと文化相対主義|天使もトラバるを恐れるところ
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2016/12/14
    人類学の(反・反)相対主義は人権と必ずしも両立し得ないものじゃないんですよね
  • 第9回:「灰色の男たち」への抵抗 - はぐらかし・やり過ごし・じゃれ合い的生活のすすめ

    3.〈聞く力〉が居場所をつくる 自分のまわりにも(つまり歓待や贈与や分配に溢れていた「貧しい人たち」の社会にも)「灰色の男たちの世界」が侵入してきていることに気がついたモモは、それに対して抵抗を始めます。何をしたのかといえば、友だち一人ひとりを訪ねていって、「話を聞く」ということ、それだけです。つまり、モモは自分の持っているたったひとつのやり方、〈聞く力〉によって抵抗を試みています。たとえば、モモがニノの店を訪れた場面を見ていきましょう。 「そうともさ。」リリアーナがさけんで、おなべをガチャンといわせました。「このひとにゃあ、まるっきりべつの心配ごとがあるのさ! たとえばね、どうやってむかしからのだいじなお客さんを追いだすか、これがいまの心配ごとなのさ! おぼえているかい、モモ、いぜんにいつもすみのテーブルにすわっていたじいさんたちのことを? このひとときたら、あのじいさんたちをおんだしち

    第9回:「灰色の男たち」への抵抗 - はぐらかし・やり過ごし・じゃれ合い的生活のすすめ
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2016/11/30
    "誰でも、自分の友人が働いているファストフード店は、全国に何店舗も同じラベルの店があったとしても、他のものとは違う特別のものと認識するはずである。[小原 2013:29-30]"
  • 学生の自費フィールドワーク文化は何が問題か?

  • 第4回:0円生活の「公・共・私」 - はぐらかし・やり過ごし・じゃれ合い的生活のすすめ

    4.コモン=共 坂口さんの『TOKYO 0円ハウス0円生活』を読んだ感想を何人かに聞いたとき、「面白かったけれど、犯罪のようなことを称賛するのはどうなのだろう」という趣旨のことを述べてくれた人がいました。坂口さんも、あとがきで「隅田川に家を建てるという行為は許されているものではない。しかし鈴木さんの家を調べれば調べるほど、なぜこの生活が許されず、周りには巨大な建造物が建っていくのか、正直分からなくなっていった」[坂口 2011:288]と書いているように、鈴木さんのやっていることは「不法行為」とされています。河川敷に家などの工作物を建てることは河川法第26条に違反した行為だからです。けれども、川沿いに家を建てて住む人にこの法律が適用されて罰則を受けたケースはないようです。 ただし、この法律違反に対して行政がなにもしないわけではありません。隅田川沿いでは、管理者である国交省が月に1度、河川敷

    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2016/10/28
    公有と私有以外の共(コモン)有。"コモン=共でのつながりは個人が集団に埋没しているのではなく、個人が特異的・単独的な存在のままつながっている" ネグリ=ハートより
  • 「8時間労働」は適切な長さか

    ある人は定時退社をキメたことを誇るかもしれない。またある人は、長時間労働を自慢げに語るかもしれない。私たちは、勤勉は美徳だと教え込まれて育つ。身を削って働いていれば、それが尊いことだと信じたくなるのも無理はない。 日の法律では、企業は社員に1日8時間を超えて労働させてはいけないことになっている[1]。原則論で言えば、じつは残業はただそれだけでルール違反だ。割増賃金を支払うなら、まあ、大目に見てやりましょう……という取り決めになっている。サービス残業など論外だ。

    「8時間労働」は適切な長さか
  • 日本の彫師はいつから認められてきたのか/山本芳美 - SYNODOS

    原稿のテーマ「日の彫師はいつから認められてきたのか」は、編集部から寄せられたものだ。執筆に乗り気になったのは、お題のあいまいさに惹かれたからだ。編集部は、「彫師は認められている」と思いこんでいるが、結論をいえば、「日の彫師は認められてきた。でも、認められていない」である。 二つの側面に分けて考えないと、この問題は混沌としてしまう。ひとつは海外からの視点であり、もうひとつは日歴史や社会のなかでの彫師やイレズミの位置づけだ。海外の彫師や彫りたい人々にとっては、日の彫師やその技術、作品は羨望の的である。だが、日社会において、現代美術ではともかく、イレズミは社会的には認められていない。いや、美術として当に認められているのかどうかも怪しく、研究すらキワモノ扱いされている。「海外からの熱い視線」と「日での位置づけのあいまいさ」という二つの側面には、大きな亀裂がある。その裂け目を埋めるは

    日本の彫師はいつから認められてきたのか/山本芳美 - SYNODOS
  • ワクチン・リスクのオフサイドトラップ: なぜ反ワクチン運動が盛り上がるのか?|天使もトラバるを恐れるところ

    ※図版(βとβ’の位置関係)が間違っていたので修正し、それに合わせる形で説明の文章も修正しました。 1) どの程度のリスクを受け入れるか、ということは人によって違う。最も重要なのは、そのリスクの需要にどの程度の便益を感じるか、という問題である。死んでもいいからタバコの味が好き、ということは(社会的にそれが是認されるかは別として)個人の決断としてはありうるわけである。同様に、自分の趣味で出かけるなら冬山で遭難するリスクは受け入れられるが、業務で登らされるのは御免であるとか、あるいは業務として行うなら受け入れられるが、趣味にはしたくないとか、そういった選択はありうる。 また、一般に、(不特定多数に)強制されるリスクや誰か(一般には企業)の利益になるリスクは、自然要因のリスクよりも受け入れ難いということは見られる。同様に、自分が積極的に選択するリスクはより高いレベルまで需要される。もちろん、この

    ワクチン・リスクのオフサイドトラップ: なぜ反ワクチン運動が盛り上がるのか?|天使もトラバるを恐れるところ
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2016/04/30
    "文化人類学的に見れば、行動の原理として与えられる「物語」は、その行動の正当化の根拠ではあっても、そういう行動を選択する理由にはなっていないことも多い"
  • バウルという生き方――ベンガル地方の「もうひとつのライフスタイル」/村瀬智 / 文化人類学 - SYNODOS

    わたしがおよそ30年間にわたって追いかけている研究テーマは、インド文明の人類学的研究である。とくに、ベンガル地方の「バウル」とよばれる宗教的芸能集団に焦点をあてて研究をすすめている。稿では、ベンガルのバウルを紹介しつつ、「バウルという生き方」について考察する。 バウルがベンガル社会にあたえているイメージは、わざと社会の規範からはずれようとする狂人のイメージである。バウルはカーストやカースト制度をいっさいみとめない。またバウルは、偶像崇拝や寺院礼拝をいっさいおこなわない。彼らの自由奔放で神秘主義的な思想は、世間の常識や社会通念からはずれることがあり、人びとからは常軌を逸した集団とみなされることがおおいのである。実際に、ベンガル語の「バウル」という語は、もともと「狂気」という意味である。そしてその語源は、サンスクリット語の“vâtula”(「風邪の熱気にあてられた」、「気が狂った」)、あるい

    バウルという生き方――ベンガル地方の「もうひとつのライフスタイル」/村瀬智 / 文化人類学 - SYNODOS
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2016/02/17
    社会の矛盾に耐え切れなくなった人が世を捨ててマドゥコリの生活に入る。"必然的に矛盾をふくまざるをえない複合社会が周縁的人間を生みだし、その周縁的人間の存在そのものが、社会全体を完全な分裂から守っている"
  • 多元的なデモクラシーのための「敵」としてのイスラム国(1) タラル・アサドとシャンタル・ムフを参考に…

    シャルリー・エブド誌の襲撃事件とISIL/イスラム国による日人人質殺害事件と、イスラム教原理主義が絡んだ二つの事件が立て続けに起こったことで様々な議論が起きている。 これまでのところ、いくつか、十分に指摘されていないことがあるように思うので、まとめておく。 1) シャルリー・エブド誌の事件で気になったことは、タラル・アサドの紹介が、日国内はもちろんとして、海外のメディアでもあまりなかったように思うことである。 (ムスリム系の名前のジャーナリストや若手研究者のものと思われるブログなどで若干紹介されていたのは見かけた) サイードの名はかなり専門外の人々にも知られているが、アサドはおそらくさほどではないと思う一方で、どのメディアもコメントを取りに行かないということも考えずらく、ご人による意図的な沈黙なのかとも思うが、よくわからない。 ともあれ、ここでアサドの議論を振り返ることは有益であろう

  • 「文化が違うから分ければよい」のか――アパルトヘイトと差異の承認の政治/亀井伸孝 - SYNODOS

    文化が違うから分ければよい」のか――アパルトヘイトと差異の承認の政治 亀井伸孝 文化人類学、アフリカ地域研究 社会 #アパルトヘイト#曽野綾子 ・曽野綾子氏の産経新聞コラムには、第一の誤謬「人種主義」と、第二の誤謬「文化による隔離」の二つの問題点がある。 ・現状において、より危険なのは、第二の誤謬の方である。 ・文化人類学は、かつて南アフリカのアパルトヘイト成立に加担した過去がある。 ・アパルトヘイト体制下で、黒人の母語使用を奨励する隔離教育が行われたこともある。 ・「同化」を強要しないスタンスが、「隔離」という別の差別を生む温床になってきた。 ・「異なりつつも、確かにつながり続ける社会」を展望したい。そのために変わるべきは、主流社会の側である。 2015年2月11日の『産経新聞』朝刊に、曽野綾子氏によるコラム「透明な歳月の光:労働力不足と移民」が掲載された。 「外国人を理解するために、

    「文化が違うから分ければよい」のか――アパルトヘイトと差異の承認の政治/亀井伸孝 - SYNODOS
  • 狩猟採集民の生活から道徳の起源を推察する、議論はやや粗め - 29Lib 分館

    クリストファー・ボーム『モラルの起源:道徳、良心、利他行動はどのように進化したのか』斉藤隆央訳, 白揚社, 2014. 人間の利他行動がどのように発生、進化してきたのかについて、民族誌を材料に大胆に推論するという書籍。著者はもともと文化人類学者であったが、キャリアの途中でジェーン・グドールに師事してチンパンジーの観察を手掛けるようになったという人物。書でも、類人猿と、初期人類の生活形態に近いはずの狩猟採集民がデータとなっている。 その議論は次のようなものである。人間に近い種であるチンパンジーやボノボの群れは平等に構成されてはおらず、アルファ雄が事や生殖の面で搾取的に振る舞うことができる。これに対し、狩猟採集民のグループにはヒエラルヒーが存在せず、リーダーも無く、狩人の間は平等である。なぜか。それは人間が大型動物の狩りを行うためである。大型動物の捕獲は一人の狩人では無理で、複数人の協力無

    狩猟採集民の生活から道徳の起源を推察する、議論はやや粗め - 29Lib 分館
  • Tanzanian witch doctors arrested over albino killing

  • インドの代理出産にみるジェンダーと格差――なぜ子宮を「貸す」のか?/松尾瑞穂 - SYNODOS

    インドの代理出産にみるジェンダーと格差――なぜ子宮を「貸す」のか? 松尾瑞穂 文化人類学/医療人類学/南アジア研究 国際 #サロゲート・マザーフッド#体外受精#synodos#シノドス#インド#代理母#代理出産#生殖ツーリズム#ベビーM事件#メアリーベス・ホワイトヘッド インドの代理出産は、2004年にイギリス在住のインド系女性が娘のために代理出産をしたことで一躍知られるようになった。政府機関が把握している数だけみても、2004年には50数件だった代理出産件数が、翌年には158件、さらにその翌年には290件へと増加している(Jaiswal2012:2)。 2004年の代理出産を成功させたグジャラート州アーナンドのクリニックは、2012年6月には同クリニックで代理出産によって生まれた子は500人を超えたと発表している。このクリニックだけでも年間100人以上の子どもが代理出産で生まれているため

    インドの代理出産にみるジェンダーと格差――なぜ子宮を「貸す」のか?/松尾瑞穂 - SYNODOS