舐められつづけた日本代表のリベンジ!4年前につまずいた出来事すべてを乗り越えた「4年プラス90分」の激闘の巻。 Tweet Share on Tumblr カテゴリ:サッカー 2018年06月20日08:00 お帰りなさい、日本代表! ワールドカップ・ロシア大会。逆風に打たれるようにして登場した我らが日本代表。その風は、世界からの「格下」という目線であり、日本国内からの「愚か者」という目線でもありました。本大会2ヶ月前に監督を交替するという振る舞いは、世間の不安を煽り、ファンの分断を引き起こし、ことさらに悪い風となって日本代表を襲いました。 文句や不満があるのは個人の自由ではあるけれど、何故せめて大会が終わるまでひとつになって応援してやれないのかと、悲しくなるような言葉をたくさん聞きました。情けないと思いました。「未来のために負けろ」などという詭弁。とても応援している人間の言葉ではないと思
ワールドカップ(W杯)まで約2カ月のタイミングでハリルホジッチ監督が突然解任され、緊急避難的に西野ジャパンが結成された。準備期間もなく、初戦コロンビア戦(日本時間19日午後9時、サランスク)は目前に迫る。自国開催の2002年W杯日韓大会をのぞき、海外開催のW杯では10年南アフリカ大会での岡田ジャパンだけが唯一、1次リーグを突破している。当時、最終責任者としてチームを支えた犬飼基昭元日本サッカー協会会長(75)が日刊スポーツに特別寄稿した。日本代表の苦戦必至が叫ばれる今、チームが浮上する鍵はどこにあるのか。犬飼元会長の南アフリカ大会での経験を元にした「言葉の中に見えたもの ~W杯南アフリカ大会を戦って~」を3回連載する。 ◆ ◆ ◆ 今の日本代表チームをめぐっては、監督交代の混乱、国際親善試合ガーナ戦、スイス戦での不調など、さまざまな批判、意見が噴出しています。 私は、日本代表が苦難の道
[6.13 U-16インターナショナルドリームカップ第1節 U-16日本代表 2-3 U-16パラグアイ代表 ユアスタ] 10番としての責任を果たす。U-16日本代表の10番FW青木友佑(FC東京U-18)は後半11分、MF中野桂太(京都U-18)のスルーパスを引き出して右足シュート。右中間から逆サイドのサイドネットにファインショットを突き刺した。 「『中野選手からパスが来そうだな』と予測できていて、予想していたとおりに来たので、しっかり決められてよかった」というゴールで2-3。反撃ムードを加速させたが、次の1点を奪うことができず、連覇を狙う日本は黒星発進となった。 青木は「パラグアイはすごい気持ちの部分があって、フィジカルがある相手だった。最初のほうは緊張とか不安もあって、前半は気持ちで勝ててなかったと思う」と反省。自身は前線で攻守に動き回り、チャンスに絡んでいたが、シュートシーンを増や
かつて学習塾のCMに登場していたJリーガーがいた。 イメージが合致しただけでなく実際に通っていたそうだ。 今でも廣山望はそんな知的な雰囲気を漂わせる。 ところが廣山の行動は傍から見ると論理的ではなかった。 Jリーガーとして5年目でチームのリーダーになるかと思われた矢先 急にパラグアイへと移籍する。 2002年日韓ワールドカップの半年前には代表入りもしていたのに、 ブラジル、ポルトガル、フランスと渡り歩き 日本に一度復帰しながらも現役最後はアメリカで過ごした。 何が廣山を駆り立てたのか。 廣山が海外で見てきたものは何なのか。 飄々としながらも廣山の言葉は切れ味が鋭かった。 Jリーグで続けるのはよくないという危機感 僕に苦しかったときって、あんまりないですね。そう思えるようになった決定的なきっかけはたぶん2001年、パラグアイのセロ・ポルテーニョに移籍していったときで、自分が大きく変わる中で欠
5月14日、グランドプリンスホテル新高輪。Jリーグ25周年を記念したイベントの控室に、”神様”は現れた。ブラジル代表史上に残るスーパースターにして、元日本代表監督、ジーコさんその人だ。久
サッカーW杯の代表選考には、ドラマが付き物だ。 日本でもかつて、話題をさらったメンバー発表があった。 その主役として、明暗を分けた2人。 12年ぶりの邂逅(かいこう)は、人知れず実現しようとしていた。 4月15日、熊本・えがお健康スタジアム。 東京ヴェルディ戦に備え、会場入りするチームバスを降りたロアッソ熊本FW巻誠一郎は、離れて見守る人影に気付いた。 少し近づいて確認する。間違いない。急いで駆け寄り、声をかける。 「タツさん?タツさんですよね!」 短く刈った頭に、無精ひげ。見た目は当時とほとんど変わらなかった。元サッカー日本代表、久保竜彦だった。 再会を喜ぶ後輩に、久保は少し照れたように歩み寄る。ジャージの裾でゴシゴシと右手を拭い、握手をする。 「マッキー、元気そうやな。いくつになったん?」 「38です!」
いつも強気で常に明快 そんな秋田豊でも 心が折れそうになったときがあるという 夢を絶たれたときは 無謀な友人が救ってくれたそうだ 焦りは考えを変えて乗り切った ストイックに努力したのも間違いない 500グラムに気を遣っていたという メンタリティこそが秋田そのものかもしれない 2浪して同じ大学に入ってきた高校の同級生が人生を変えた バルセロナ五輪予選のとき、強化選手でチームに帯同してたんですよ。だから愛知学院大学2年生のときって、U-23日本代表の合宿とか、イタリアとかドイツの遠征にも行ってました。メンバーも豪華というか、ノボリ(澤登正朗)や、相馬(直樹)、藤田(俊哉)、三浦(文丈)とか、そんないろんな選手がいましたよね。 そのときにオレ、関東の選手たちとは結構レベルが違って。体力とパワーやヘディングはあったけど技術がないし、なかなかうまくいかないこともあって。でも「これからレギュラーになる
2018年6月、我らがサッカー日本代表が6度目のワールドカップに挑む。前哨戦として3月23日にはマリ代表と、27日にはウクライナ代表との試合を実施。5月30日にはガーナ代表との一戦をこなし、更に6月に2試合の強化試合をヨーロッパで行い最終目的地であるロシアへと向かう。 日本代表の活動や戦いは選手たちのみで行われているわけではない。さまざまな企業で働く社員たちが日々汗水を流して生み出した資金があってこそ、選手たちは充実した環境や条件で目の前の試合に臨める。公益財団法人日本サッカー協会でマーケティング部部長を務める野上宏志(のがみ・ひろし)さんが「ブランディング」の重要性を教えてくれた。 構成=菅野浩二 写真=野口岳彦 協力=公益財団法人日本サッカー協会、一般財団法人スポーツヒューマンキャピタル ■日本サッカー協会の年間収益のうち約70%は日本代表関連 日本代表は文字どおり、日本サッカー界の大
インタビューは前日に延期された 11日後、永井雄一郎を尋ねた先は病院だった 右足のギブスが痛々しい そんな状況で永井は口を開いてくれた 足を上げたままでないと痛いそうだ 椅子に座りながら右足だけ持ち上げ 不自然な格好のままで永井は話し続けてくれた 表情が明るかったのはせめてもの救いだった インタビューの延期を申し出ても 気を遣って応じてくれる ユーモアを交えながら笑顔を絶やさない だが現役時代はずっと苦しいときだと思っているそうだ アキレス腱が……後ろから蹴られたような衝撃 実は今が自分のサッカー人生の中でも、大変なときなんですよ(笑)。3月18日に神奈川県のカップ戦に出ていて、右のアキレス腱を切っちゃって。 相手がキックミスして右サイドの自分のところにボールが来たんです。前半30分過ぎぐらいに。軽くジャンプして胸トラップして、カウンターに行こうと思って前を見ながら着地したら、パチーンって
COLUMN清水英斗の世界基準のジャパン目線 第62回 ハリルホジッチの解任は“戦略なき戦術”。広がり続ける、日本と世界の差 By 清水 英斗 ・ 2018.4.10 ハリルホジッチの解任によせて、兵法書『孫子』から一文を引用する。 『戦術なき戦略は、勝利に至るもっとも遠い道のりである』 『戦略なき戦術は、敗北の前の戯言である』 戦略とは? 長期的な目標に基づく計画のこと。戦術とは? 目先の場面で最善の手を探すこと。もっと簡単に言えば、戦略とはプラン、戦術とは手段だ。 どちらも大事だ。戦術がなければ、勝利を得るのは長い道のりになるし、戦略がなければ、最初から敗北は決まっている。そのように孫子では説かれている。 今回、日本サッカー協会が発表したハリルホジッチの解任は、戦略を捨てた戦術だった。ザッケローニで敗れた反省を生かし、後任のアギーレ、ハリルホジッチの選定には、過去のワールドカップで指揮
W杯ロシア大会開幕まで3カ月を切った。3月のベルギー遠征では、本田圭佑が日本代表への復帰を果たした一方、岡崎慎司、西川周作が落選した。これから彼らのメンバー当落を巡る話題にも注目は集まるだろう。 北京五輪世代。絶望的な敗退を何度も経験し、そこから這い上がってきた。彼らはロシアで意地を見せることができるのか。 座して死を待つより、出でて活路を見出さん――。 2008年の北京五輪グループステージ。日本はアメリカ(0-1)とナイジェリア(1-2)に2連敗を喫した時点で、決勝トーナメントへの道が絶たれた。 オランダとの第3戦、日本は何かしらの痕跡を残そうとした。本田圭佑や西川周作ら'85、'86年生まれの選手は2005年のワールドユース(現U-20W杯)で、オランダに衝撃的な敗戦を喫していた。ライアン・バベルら当時対戦したメンバーも数多く残っている。しかも北京五輪でのオランダは2引き分けと波に乗れ
2017シーズン限りでプロサッカー選手としての生活を終えた羽生直剛氏。Jリーグ各クラブで活躍した彼のキャリアを語るうえで外せないのは、イビチャ・オシムの存在だ。 ジェフユナイテッド市原・千葉で見いだされ、「考えて走るサッカー」を体現したプレースタイルは、ジェフ時代、そして日本代表と多くのサッカーファンに知れ渡ることになった。 引退に寄せてのインタビューを敢行した際、なくてはならない恩師の存在について彼は「幸せなことだったのか、分からなくなってきた」と語っていた。その本心とは――。 「お前はそのプレーで満足させられたのか?」 ――え、どういうことですか? 「偉大すぎて、自分もああなりたいと望んでもなれない、自分がちっぽけだということを思い知らされるだけだし(苦笑)、トレーニングひとつとっても、内容がすごく濃かったから、その後、どうしても物足りなさを覚えてしまって。もしオシムさんと出会っていな
2018年1月5日、ジェフユナイテッド市原・千葉から1本のリリースが発表された。 「羽生直剛選手 現役引退のお知らせ」 市原時代を含めた千葉、FC東京、ヴァンフォーレ甲府の3クラブでJ1計344試合に出場したMFは、どのクラブでもレギュラーの地位を確立し、ファン・サポーターに愛された。 その羽生が年明けのタイミングで、なぜ引退を発表したのか――。 現在、FC東京の強化部に籍を置く羽生氏。16年間のキャリアを振り返ってもらった。 インステップも思い切り蹴れない。 ――16年間の現役生活、お疲れさまでした。いつもジャージでしたから、スーツ姿の羽生さんと向き合うのは、違和感がありますね。 「自分でも着ていて違和感があります(笑)」 ――右膝のケガのために引退を決断されたそうですが、いつから膝を傷めていたんですか? 少なくともFC東京時代は、問題なくやれているように見えましたが。 「詳しく言うと、
日本代表では2006年から2010年までコーチを務め、 イビチャ・オシム監督から岡田武史監督へと代わる激動の時を過ごした 2003年と2005年はワールドユースの監督も務めた そんな経歴の大熊清はセレッソ大阪の強化部長になった FC東京でもセレッソ大阪でもJ2時代という苦しい時期を指揮した 昇格させてJ1で指揮を執るのを楽しみにしていたのか だがどちらのチームでも昇格後は身を引いている 名を上げる、野心を満たすという感情は大熊には無縁だ 「大変だった」という日本代表コーチ時代の話を絡めつつ 何を知り何を見てそんな心境になったのかを聞いた J1に昇格させた後、監督を続けなかった理由 チームを昇格させたのにJ1でそのまま監督をやらなかった理由は、まぁ、いろいろありますけど、どうだろうな……何かな。自分の経験とか、東京や大宮、セレッソの色とか見てきて、それで自分が変わってきたというか。 2003
平山相太選手 現役引退のお知らせ 掲載日:2018年1月26日 平山相太選手が現役を引退することが決定しましたのでお知らせいたします。 ◆平山 相太(ひらやま そうた)選手プロフィール 【ポジション】 FW 【背番号】 9番 【生年月日】 1985年6月6日 【身長体重】 190cm 85kg 【出身地】 福岡県 【所属歴】 田原小-田原中-国見高-筑波大-ヘラクレス・アルメロ(オランダ)-FC東京-ベガルタ仙台 【出場記録】 J1リーグ戦通算168試合33得点 J2リーグ戦通算1試合出場 エールディヴィジ(オランダ)32試合8得点 天皇杯26試合15得点 ACL3試合出場 【代表歴】 2002年~2005年 U-18、19、20日本代表 ※2003、2005年 FIFAワールドユース選手権出場 2003年~2008年 U-21、22、23日本代表 ※2004年 第28回オリンピック競技大
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