横浜随一の老舗バー「山荘」(横浜市中区野毛町)のマスター黄(こう)野(の)長康(ながやす)さんが3日に死去していたことが分かった。91歳だった。野毛界隈(かいわい)に詳しい生き字引として親しまれた。60年近く営んだ店を今月20日を最後に畳むことを決意した直後だった。 台湾生まれで戦後間もなく仕事を求めて来日。東京・新宿のすし店や喫茶店などで下積みを重ねて開業資金をためた。野毛に店を構えたのは、闇市から発展し、活気に満ちた雰囲気が気に入ったからという。 気さくな人柄で交友関係が広く、カウンターの席にいては初めての客や常連客と分け隔てなく談笑を楽しんだ。常連の一人、郵船ロジスティクスに勤める秦幸三郎さん(61)は「博識で達筆だった」としのぶ。「糟糠(そうこう)の妻は堂より下さず」などと書いてもらった紙ナプキンが手元に残る。 長男の敏文さん(59)によると、3日に黄野さんの自宅に家族が集ま