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岡本太郎に関するkosuiのブックマーク (6)

  • 「太陽の塔」内部を来年度にも公開…生命の樹 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    1970年の大阪万博のシンボルで、美術家岡太郎氏(1911~96年)の代表作「太陽の塔」(大阪府吹田市、高さ約70メートル)の内部が2014年度にも万博後初めて常時公開される。 塔内には同時に制作された、生命の進化を表現した「生命の樹」(同41メートル)がそびえ立つ。専門家は「太陽の塔と生命の樹は一体の作品。両方を見て初めて、太郎のメッセージを感じることができる」と歓迎している。 塔が立つ万博記念公園を運営する日万国博覧会記念機構が「当時の雰囲気を味わえる貴重な財産。多くの人に見てほしい」と常時公開を決定。機構は14年3月に廃止され、公園を移管される大阪府が引き継ぐ。 塔内は巨大な空洞で、真っ赤な壁に囲まれ、赤、青、黄、緑に彩られた鋼管をつなぎ合わせた「生命の樹」には、根元から上に向かって単細胞生物や両生類、恐竜、人類に至る約300体(現存は85体)の模型がらせん状に並ぶ。

    kosui
    kosui 2013/04/30
    以前見たときはかなり壊れていたけど、修復するんかな?
  • 石原新党「太陽の党」がきっかけで「太陽の塔」の名称由来を知った。小松左京だったのか・・・ - INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

    松浦晋也氏は宇宙開発などを描くことが多いノンフィクション作家。氏とのやり取り。 https://twitter.com/ShinyaMatsuura 松浦晋也 ‏@ShinyaMatsuura ねえ、障子は?ほら、破るための障子ですよ! 石原前都知事、13日に新党結成会見 名称は「太陽の党」で最終調整 http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00235263.html … #FNN @FNN_Newsさんから 松浦晋也 ‏@ShinyaMatsuura 思い出した。北杜夫が「どくとるマンボウ青春記」で、旧制高校生活末期に太陽党という怪しげな集団が発生したという話を書いていた。要するに「女なんてくだらん、美少年サイコー」という非モテ・非リア充の学生のホモっぽい集い。 松浦晋也 ‏@ShinyaMatsuura もうひとつ思い出し

    石原新党「太陽の党」がきっかけで「太陽の塔」の名称由来を知った。小松左京だったのか・・・ - INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-
  • 黄金の顔:大阪の顔、東京で輝く 「太陽の塔」上部公開へ - 毎日jp(毎日新聞)

    組み立てが進み、顔の形がほぼ出来上がった太陽の塔の 「黄金の顔」。左側が頭になる=東京都墨田区の江戸東京博物館で2012年2月13日、手塚耕一郎撮影 大阪万博(70年)のシンボル「太陽の塔」の上部にあった「黄金の顔」(直径10・6メートル)が、東京で初めて公開される。13日、展示される東京都墨田区の江戸東京博物館で組み立て作業が始まった。 芸術家の岡太郎(1911~96)が制作した太陽の塔は、万博後も大阪府吹田市の万博公園に残された。92年の改修時、未来を意味する黄金の顔は老朽化を防ごうとレプリカと交換され、オリジナルは公園内の倉庫に保管されてきた。 鋼板製。表面は金色の特殊フィルムで加工されている。169の部品に分けて搬送され、組み立ては2日がかりという。博物館の松井かおる・学芸員は「東京で太陽の塔の世界観を感じてもらいたい」と話す。21日~5月20日、5階の常設展示室で見ることができ

    kosui
    kosui 2012/02/15
    今の太陽の塔の顔がレプリカだとは知らなかった!
  • オードリー・若林が語る「岡本太郎とタモリの出会い」

    2011年05月14日放送の「オードリーのオールナイトニッポン(ANN)」にて、若林正恭が好きだという岡太郎について語られていた。 若林「岡太郎展っていうのが、5月8日に終わっちゃったんですけど、国立近代美術館でやってて、生誕100周年の回で」 春日「なるほど」 若林「ワタクシ、3回足を運んでるんですよ」 春日「え?」 若林「いや、4回足を運んでまして、内2回は節電で早く閉まっちゃって入れなかったんですけど」 春日「そういうことね」 若林「岡太郎展で、オブジェとか画が飾ってあって」 春日「うん」 若林「それで、モニターがあって、タモリさんがMCの番組で、岡太郎が出ている映像が流れてるんですよ」 春日「ゲストで、岡太郎が来て」 若林「そうそう。それをYoutubeで知ってて、その映像がスゴイ好きなんですよ。昔から知ってたんですけど」 春日「うん」 若林「それで、『自己紹介をお願いし

    オードリー・若林が語る「岡本太郎とタモリの出会い」
  • 岡本太郎記念館で「パブリックアート」テーマの企画展-幻となった「動物」原型も

    「動物」の原型。地震でひび割れが生じ撤去された幻の作品で、実物は高さ約4メートル、長さ約6メートルのコンクリート彫刻 岡太郎記念館(港区南青山6、TEL 03-3406-0801)で6月30日、岡太郎の「パブリックアート」の原画・原型などをメーンに展示する企画展「街のなかの太郎」が始まった。 「芸術は大衆のもの」という思想の下、全国各地の街に壁画やモニュメントなどパブリックアートの制作に情熱を傾けた岡太郎。主な代表作は、大阪万博のモニュメントとして知られる「太陽の塔」(1970年)、岩手県藤沢町の縄文野焼祭・縄文サミットのシンボルとして制作されたブロンズ作品「縄文人」(1982年)など、85年の生涯の中で残した作品数は現存しないものも含めて約140点。 そのうち渋谷かいわいでは、渋谷マークシティ2階連絡通路に設置された巨大壁画「明日の神話」(1969年)をはじめ、国立代々木競技場内に

    岡本太郎記念館で「パブリックアート」テーマの企画展-幻となった「動物」原型も
  • 太陽の塔4つ目の顔「地底の太陽」を探せ 万博記念機構が情報募集 - MSN産経ニュース

    独立行政法人「日万国博覧会記念機構」(大阪府吹田市)が、行方不明となっている太陽の塔4つ目の顔「地底の太陽」の“捜索”に乗り出すことが8日、分かった。ホームページなどを通じた目撃者捜しなどを検討している。地底の太陽はこれまでも何度も話題になった「幻の顔」。来年の万博開催40周年にあわせ記念事業も計画中で、万博機構は「何とか再び展示したい」と意気込んでいる。 芸術家の岡太郎氏が制作した太陽の塔には、上部にある黄金の顔だけでなく、胴体部の顔、背面に描かれた黒い顔の3つの顔があるが、当時は塔の地下に4つ目の顔として「地底の太陽」があった。 地底の太陽は強化プラスチック製で金色、顔の直径は3メートル、左右に伸びるコロナは最大で長さ約13メートルだった。保存対象にはならず、万博終了後は、いったん個人に引き取られたらしいが、その経緯もよく分かっていない。 万博機構によると、平成5年に兵庫県加東市の

    kosui
    kosui 2009/12/09
    H5には目撃情報があるのか。なんでそこで身柄確保できなかったんかなあ…
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