MINGUS IN EUROPE アメリカン・ルーツ・ミュージック ディスクでたどるアメリカ音楽史 言葉遣いは丁寧なほうがいいのかもしれないが、ここ何年か、テレビなどで妙に気になる「丁寧語」を耳にする機会が増えた。それは年々増加しているように感じるが、とくにアイドル系に多い。たとえば「ツアーをさせてもらったんですが」とか「映画で誰それの役をやらせてもらったんですが」という言い回し。 ぼくはこれに違和感を覚える。どうして「ツアーをしました」「誰それの役をやりました」ではダメなのだろう。いや、いつから「ダメ」ということになってしまったのだろう。ここには主体性や自主性といったものが薄く、第三者の存在が感じられる。そして彼らは、彼らが考える「丁寧語」を遣うことによって、その第三者の機嫌を損なわないよう気を配っているようにみえる。もちろん、「第三者」とは「世間」や「一般常識」というやつだが、これも「
なぜギャンブルにハマったのか? ドジャース解雇の「水原一平」氏、日ハム時代の同僚が語った「一平の気配り」について
同著は、それらの論文を一般の人にも分かるように書き下ろしたものだ。しかし、素人向きとはいえ、中身は十分科学的で、しかもショッキングで、これを読むと、ギリシャの人々が過酷な緊縮財政に抗議して立ち上がった理由もよく分かる。 一般的には、不況はうつ病や、自殺や、アルコール依存や、感染症などを引き起こすと考えられている。しかし実際には、ひどい不況でも、国民の健康状態や死亡数に変化のない国もある。 それどころか、そういう国では、お金がないのでお酒や煙草が買えないことが幸いして、アルコールやニコチン由来の疾患が減ったり、あるいは、車を売って歩くようになったため、国民がより健康になったりということさえ起こっている。 この差は、ひとえに経済政策の違いからくるという。国民の健康状態の良し悪しには、いろいろな要素が関わっているが、この2人の学者が発見した確かなことが一つある。それは、経済危機にも関わらず、国民
写真集『ひと皿の小説案内 主人公たちが食べた50の食事』が、2月24日に刊行された。 同書は、英米文学を中心とした文学作品50篇に登場する食事を再現した写真集。フランス料理から簡素なシリアル、果物、菓子、ファストフード、残飯や土まで、バラエティーに富んだ食事の写真が掲載されているほか、小説中の食事シーンの抜粋文、作家や食べ物の豆知識などが書かれた脚注なども収録されている。なお、テーブルのセッティングは著者のディナ・フリードが自ら担当。 取り上げられている作品は、ハーマン・メルヴィル『白鯨』、ジャック・ケルアック『オン・ザ・ロード』、マルセル・プルースト『失われた時を求めて』、ジョナサン・スウィフト『ガリヴァー旅行記』、ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』、ジュンパ・ラヒリ『その名にちなんで』、フリオ・コルタサル『石蹴り遊び』、J・D・サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』、ダニエル・デフォー『
「前書き図書館」メニューページはこちら 江戸時代の公開数学問題「算額」で 和算の粋を楽しむ 数学の問いを神社仏閣に掲げ、公開の場で算法勝負をする「算額」。大名から庶民まで、身分の上下を超え、当時の数学ファンがこぞって熱中したオリジナリティ溢れる和算問題の数々、現代人のあなたはどこまで解ける? はじめに 算額とは何か みなさんは,算額というものをご存知だろうか。主に江戸時代に,神社仏閣に奉納された数学の絵馬のことである。現在でも,日本の神社には小型の絵馬がかかっているが,江戸時代にはもっと大型のものに,数学の問題と答えを描いて奉納したのである。世界でも稀にみる習慣と言えるだろう。 現在神社などに掲げられている絵馬は,小型のものが多い。おおよそ縦横10~20cm程度だ。算額はもっと大型だ。平均的なもので,縦90cm×横180cmほど。ざっと畳1枚分と考えてよい。算額は,神社仏閣の軒先に掲げるこ
現時点の日本と世界の経済問題の主要論点を鋭い着眼点で批評した一級の経済論である。ポール・クルーグマンが「低成長と格差の時代を終わらせることができる。本書はその福音となるだろう」と賛辞を送ったのもよく理解できる。 アベノミクスで最も成果をあげた大胆な金融緩和=リフレーション政策(デフレを脱却し低インフレを実現することで雇用と経済成長を安定化させる政策)をさらに強化し、また不十分であった「第三の矢」(=成長戦略)を改善すること。 このようなアベノミクスの中のよい部分を進化させる「ネオアベノミクス」は、(リフレの強化、成長戦略の見直し、再分配政策の構築といった三点の)政策イノベーションを通じてオープンレジームを構築することである、と整理することができる。 序章では世界経済での経済論争が俯瞰されていて、その論点が「成長」vs「停滞」、あるいは「成長」vs「格差」といった対立軸をもったもので、いずれ
ドイツ、フランスの仲介により停戦合意へこぎつけたものの、いまだキナくさいウクライナ情勢。いったいロシアの真意はどこにあるのか? プーチン大統領の思惑とは? 2月28日に新刊『嘘だらけの日露近現代史』を上梓する憲政史研究者の倉山満氏に聞いた。 ――ストレートに質問しますが、ロシアはなぜウクライナに対してあれほど強気なのでしょうか? 「プーチン大統領にとって、ウクライナはあくまで自分たちの持ち物です。元KGBである彼の故郷はロシアではなくソ連邦。ウクライナを狙うのは、彼が旧ソ連を取り戻そうとする行為の一環なんです。プーチンは故郷であるソ連邦の歴史をムダにしたくないし、ソ連の崩壊が敗北だったとは決して認めたくない。例えばプーチンは、ガスプロムという天然ガスの企業を使って、ロシア人から搾取を続けています。かつてイギリスが東インド会社でやっていたような植民地化を自国で行っているわけです。この事実だけ
経済書としては異例の13万部――フランスの経済学者トマ・ピケティ氏の『21世紀の資本』(みすず書房、訳・山形浩生ら)が、日本でも売行きを伸ばしている。とはいえ、本文だけで600ページもある分厚い本だけに、読み始めたものの挫折した人や、購入するのをためらっている人も少なくなさそうだ。そんな中、「たった21枚の図で『21世紀の資本』は読める!」と、図表に注目した解説書が登場した。 『図解ピケティ入門』(あさ出版)。2015年2月20日、発売。1300円(税別)。著者は、経済学者の高橋洋一・嘉悦大学ビジネス創造学部教授。元財務官僚で、内閣参事官も務めた。 同書は第1章で、『21世紀の資本』に登場する図表のうち、「本当に重要」なもの21枚を著者がピックアップし、視覚に訴えながら解説を加えている。これらの図は、ピケティ氏が集積した、20か国、300年分のデータのいわばエッセンスだ。そこから現れた「格
ニューリズムと呼ばれた歌謡曲の“流行”がかつてあった。終戦から10年ほど経った50年代半ばから始まって、60年代いっぱいくらいで終わったブームで、マンボ、カリプソ、ドドンパ、パチャンガ、スクスク、ツイスト、ボサノヴァ、タムレ、スカ、サーフィン、スイム、アメアリッチといった新しい“リズム”が、入れ替わり立ち替わり登場し“流行”したというものだ。 それぞれ代表的なタイトルをあげるとこんな感じである。 美空ひばり「お祭りマンボ」、浜村美智子「バナナ・ボート」、渡辺マリ「ドドンパ娘」、富永ユキ「パチャンガで踊ろう」、ザ・ピーナッツ「スクスク」、藤木孝「ツイストNo.1」、小林旭「アキラでボサノバ」、渚エリ「東京タムレ」、梅木マリ「マイ・ボーイ・ロリポップ」、橋幸夫「恋をするなら」、橋幸夫「あの娘と僕〜スイム・スイム・スイム」、橋幸夫「恋と涙の太陽」…… “流行”と“リズム”にカッコを付けたのは、そ
歴史の緩やかな連続 人間は、パウロの回心のように、画期的な出来事があって初めて次のステージへ進めるという思考に囚(とら)われ易(やす)い。 「起業を目指したきっかけは何か」などの質問や「ヨーロッパで、西ローマ帝国が滅びて暗黒の中世が始まり、輝かしいルネッサンスが起こって近代が始まる」といった思考がその典型だろう。アナール派泰斗の著者は、こうした思考を否定して歴史を緩やかな連続線で捉える。即(すなわ)ち、現代のヨーロッパの社会や心性の萌芽(ほうが)が、4世紀から15世紀に至る中世の多様性の中に見出(みいだ)せるというのだ。 8世紀までに民族大移動の後、ヨーロッパがキリスト教化される。次いでシャルルマーニュの帝国(「流産したヨーロッパ」とは言い得て妙だ)、紀元1000年のオットーの帝国と続き、11~12世紀の封建制ヨーロッパの時代がくる。マリア信仰、それと裏腹に迫害のヨーロッパ(異端、ユダヤ人
世界政治・世界経済のなかでの日本を簡潔に知りたい人にはかなり便利な一冊。外交とは貿易と安全保障の二頭立てである、というのが高橋さんの見立て。 その結論は至ってシンプルだ。貿易では自由貿易志向、安全保障では日米同盟を基軸にして同じ民主主義的な制度をもつ国々との連携を重視すること。これである。そこから演繹して、前者ではTPP参加を前提にして交渉すること(政治的な例外事項も考慮)、後者では集団的自衛権の行使は当然(国家の正当防衛なので)というのが高橋さんの現状の結論である。 個人的にはもっと詳細で専門的な記述がほしいところだが、一般の読者にとっては実にハンディな形で、いわば地政学と経済学の総合である「地経済学(Geonomics)」とでもいうべき視点が提供されていて、いまの日本の国際的な位置を考えるときにいい考察の材料だろう。 いくつか各論で個人的なメモを以下に書いておく。 1 経済制裁の目的は
ドラゴンクエスト(以下、ドラクエ)といえば、たいていの人がご存じだと思うので、引き合いに出すとしよう。このゲームを紹介するとき、大きく分けて2つの方法がある。 1つは、ドラクエそのものを紹介する方法である。「1980年代に出たファミコンソフトであり、本格的RPGであり、少年ジャンプの鳥山明の絵が受けて大ヒットし……」といった具合だ。 そしてもう1つ、外から攻めていって浮き彫りにする方法がある。たとえば、「指輪物語」以来のファンタジーから話を起こしたり、当時の主流、スーパー・マリオ・ブラザーズなどのアクションゲームと比べて説明したりする。先の方法が「粘土をこねて像をつくる」だとしたら、こちらは「まず枠をつくってから粘土をつめる」だ。 社会学には共通の基礎理論がない 少し考えれば分かるが、前者の方が単刀直入で誤解も少ない。後者だと、外側をすべておおわないと完成しない。回りくどく、時間もかかり、
政治の対立軸 『日本とフランス 二つの民主主義』によると日本の政治はアメリカ型の自由主義的な志向が強いらしい。それに対してフランス型の平等主義的な選択肢があってもいいのではないかというのがこの本の主な主張。 一通り書き出すと 右派=自由主義(自由民主主義)=低福祉低負担=小さな政府 左派=平等主義(社会民主主義)=高福祉高負担=大きな政府 ということになる。 アメリカのリベラル左派は宗教的な価値観に対してリベラルなのであって、『経済的自由主義を主張しているわけではない。』(p.74) 税制について 税制については別で一冊本を書いて欲しいくらいだけど、本書では『不労所得で儲けた者たちがド派手な高額消費に狂奔していたバブル時代』だった1989年の参院選などを取り上げて、『実際の富裕層の大半は勤労所得で儲けているのではないにもかかわらず』、『賃金労働者の代表たる左派政党』が消費税導入に反対したこ
「イスラム国」を名のる過激派組織が、イラク第2の都市モスルを制圧し、カリフ制樹立を宣言、国際社会の脅威として立ち現れて半年が経つ。日本人人質事件の発生により、「イスラム国」の“恐怖”は、日本でもより身近な問題として認識されるようになっている。 「イスラム国」についてはさまざまなメディアで、関連記事・解説が出ている。そこでは、狂信的とも言える宗教解釈と残虐な行為、インターネットを駆使して戦闘員を勧誘しようとする“開明的”な姿勢、石油の密輸などによる資金力など、実態解明がめざされている。 問題は現在進行形であり、時事的な性格をもっているため、日々の情報からその全貌(ぜんぼう)を理解するのはなかなか容易ではないが、読者の知的関心に応える多くの良書が刊行されている。 ■台頭の背景分析 これまでメディアなどで伝えられてきた情報を、改めて整理して理解したいのであれば、国枝昌樹著『イスラム国の正体』がお
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