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インドと自由に関するrytichのブックマーク (1)

  • 自由の意味を取り違えていた|徳田和嘉子

    仙人のサドゥになるには、俗世を捨てる。しかしその捨て方が半端ない。社会的存在としての一切を放棄するがゆえ、死亡した存在と見なされている。死亡届を出してサドゥになる人さえいる。 サドゥは物質から自由である。基的に放浪しているので家を持たないし、荷物はほとんどなく、衣服すら持たない場合もある。シヴァ派のナガサドゥは全裸で局部丸出し、すっぽんぽん。局部を含めた体に白っぽい灰(基的に牛糞を焼いた灰だが、火葬場の遺灰の場合もあると聞く)を塗っているので、裸体は少しまろやかな印象になってはいる。 サドゥは関係性から自由である。家族を持たないし、友達を作っても作らなくても、相手がウザいと思ったら勝手にその場を離れても、人と話さないことを貫いても、逆に人とどんどん楽しく話しても、気分に添って何をしてもいいのである。 つまり、サドゥは究極の自由に置かれているのだ。 だが、日に帰国してから、私は「自由」

    自由の意味を取り違えていた|徳田和嘉子
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