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*流し読みと直方市に関するrytichのブックマーク (3)

  • 九州の試される大地・筑豊…福岡県直方市「ふるまち通り」が寂れ過ぎて廃墟ビルが壁崩落して危険極まりない件 - 新日本DEEP案内

    九州を代表する福岡県にも様々な地方があり、福岡市や北九州市のような都市部はともかく、元炭鉱町ばかりで昭和の重苦しい歴史と貧しさを背負ったまま寂れた街並みを見せる「筑豊」の各都市は他地方では見られない哀愁を漂わせている。我々は2012年夏に筑豊各所を回って、元炭鉱町の商店街や寂れた街並みをあちこち見聞してきた。 …で、やってきたのは直方(のおがた)という街。飯塚や田川と並んで筑豊三都市の一つに数えられ、北九州市の南西端と隣接している。北九州市の若松駅から折尾駅を経て伸びるJR筑豊線に乗ると直方市の玄関口である直方駅に来られる。のっけから駅前にヤンキーがたむろしている… JR直方駅前にはかなり古びた佇まいの西鉄の高速バス乗り場が…九州北部、特に筑豊地方の街にはでかい高速バス乗り場がある。小倉に行くにも福岡に行くにも高速バスの方が早いし安いので、もっぱら高速バスが地域の足になっている感はある。

    九州の試される大地・筑豊…福岡県直方市「ふるまち通り」が寂れ過ぎて廃墟ビルが壁崩落して危険極まりない件 - 新日本DEEP案内
  • 【直方】かつて炭鉱で栄えた直方のレトロな街並みを歩く その2

    かつて炭鉱で栄えた直方のレトロな街並みを歩く その2です。 ↓ かつて炭鉱で栄えた直方のレトロな街並みを歩く その1はこちら http://y-ta.net/noogata1/ ▲ 多賀神社から少し歩いたところに多賀公園という公園があります。 ▲ この多賀公園は貝島家の邸があった場所です。 ▲ 公園の一角には貝島太助の銅像が。 ▲ 貝島財閥は石炭需要の衰退と運命を共にしましたが、これは色々と多角化せず、石炭事業に集中してそれ以外のことはしないという家訓を忠実に守ったからという話を聞いたことがあります 現在の直方をどのような気持ちで見つめているのでしょうか。 ▲ このような碑もありました。 鴎外 森林太郎は第十二師団軍医部長として小倉に居住する間明治三十三年十月 演習のため直方を訪れ貝島邸に宿泊した 主人太助翁に会い「五十歳計の偉丈夫なり」との印象 並びに翁所蔵の画幅について日記に書き留め

    【直方】かつて炭鉱で栄えた直方のレトロな街並みを歩く その2
  • 【直方】かつて炭鉱で栄えた直方のレトロな街並みを歩く

    炭鉱の石炭の集積地として栄えた直方にはかつての繁栄を思わせるレトロな街並みが広がっています。 ▲ 直方駅は筑豊地区の石炭を集積する拠点になっていた駅です。 2011年に解体された旧駅舎は初代博多駅の資材が使われていて、かなりレトロな作りでした。※当に初代博多駅の資材であるかは諸説あります。 解体の際には歴史的な建物を壊さないでほしいという反対運動もあったようですが、結局リニューアルという形で落ち着いたようで、現在はキレイで頑丈そうな駅舎に生まれ変わっています。 ▲ 駅の目の前には直方出身の元大関の魁皇の銅像が。福北ゆたか線の特急「かいおう」も魁皇関が由来になっています。地元のヒーロー的存在ですね。 ▲ ピカピカの駅舎から振り返ると、早速レトロな物件が。西鉄直方バスセンターです。 なかなか年季が入っていて昭和を感じますね。 ▲ バスセンターの敷地内には何だかすごい形の建物も見つけました。

    【直方】かつて炭鉱で栄えた直方のレトロな街並みを歩く
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