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readと価値に関するrytichのブックマーク (4)

  • 自分の価値の客観視というのは非常にむつかしいようで - やまもといちろうBLOG(ブログ)

    自戒でもあるわけですけれども、自分の価値や評価、能力がどのような状況にあるのか、正確に知る努力を払わないと人間どんどん独りよがりになっていくことになります。 「お前、いまこうだよ」と冷静に話してくれる人が周りにいなければ知る機会もないし、権力を持てば持つほどに、周囲に意に副う話しかしない茶坊主が増えるのもまた道理なんだろうと思います。 アクセルを地べたまで踏んでいる状態でうまくいっている人や会社は、それほど細かいことを考えなくても前を向いて頑張っていればそこそこの成果がついてきて、成功体験になります。そこまではいいんですが。 でも、何事にも潮流の変化というのがあって、その時期にその人の才能や会社が手がけていた事業が時流に乗っておおいに成長し持て囃され利益が出ていたとしても、一度変化が始まってしまうと同じように努力してもなかなか成果が得られなくなる、停滞する、赤字に転落するといったことは容易

    自分の価値の客観視というのは非常にむつかしいようで - やまもといちろうBLOG(ブログ)
  • コンテンツや技術が0円になっていく時代に僕らはどう生きていくのか? - teruyastarはかく語りき

    まず、インターネットと、資主義は相容れない。 ネットがあると大量消費がやりにくくなるから。 じゃあどうしたらいいんだ? ということを考えてみる。 資主義は右肩上がりじゃないと成り立たない。 その資主義は、大量消費してもらわないとお金が回らない。 なのに、ネットはコンテンツや技術を0円まで押し下げる圧力が働く。 ネットで安くなったコンテンツは回っても、お金が回らない。 過去の名作コンテンツが安値で新作と同じ棚に並ぶことになってるし、 技術はどんどん便利になり、人を不要にしていく。 なのでコンテンツ屋も技術屋も、トップ階層意外はみんな赤字になった。 ほぼ日刊イトイ新聞 - 上がりたかったんだ。E.YAZAWAの就職論 http://www.1101.com/job_study/yazawa/2007-06-06.html 矢沢 しかも、この激動の時代にね。 ヤバいと言われてたアップルが

    コンテンツや技術が0円になっていく時代に僕らはどう生きていくのか? - teruyastarはかく語りき
  • 本当に良いものの価値は伝わりにくい - 日記を書く [・w・] はやみずさん

    今あるものよりもちょっとだけ良いものの価値というのは認められやすい。しかし、当に良いもの、今のスタンダードから飛躍するような良いものの価値は、なかなか認められない。このようなことは、様々なシーンでみられるとおもいます。 なぜか。当に良いものというのは、既存の評価基準では測れないからではないでしょうか。例えば、パソコンの使い方を知らない人に「便利だよ。なんでもできるよ」といってパソコンを買い与えても、しばらくはその価値がわからないでしょう(パソコンが浸透しきった現代では、この仮定はちょっと無理があるかもしれませんが)。その人が手作業で帳簿をつけていたとして、「ペンと紙と電卓でやるもの」という枠組みで考えている限り、「便利な電卓」「たくさん書いても疲れないペン」は有り難がるかもしれませんが、「パソコンで全部簡単に効率よくできるよ」といわれても有り難がらないでしょう。 当に良いものというの

    本当に良いものの価値は伝わりにくい - 日記を書く [・w・] はやみずさん
  • どんなに拙い価値観でも、自分自身の価値観を育む努力を怠らないようにする: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 自分で爪弾くギターの音色、自分で作った料理の味、自分で描いた絵の出来ばえ。その音、その味、その色形を、自分自身で評価できなければ、それがうまくできたかどうかは判別できません。 音や味や色形がどうも自分の思った通りのものでなければ修正するし、なぜよくないかを考えてうまくやる方法を考えるのではないでしょうか。 自分の行為の結果としてのフィードバックを受け、人は自分の行為を反省し、その反省を次の行為のために活かすことができる。それはフィードバックを正しく評価する耳、舌、眼があって、はじめて可能になるループです。 言い換えれば、それは自分が何を求めていて、何のために行為を行っているかがわからなければ、自分自身の行為さえ評価ができないということでもあります。 結果の評価ができなければ

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