20年ほど前に性についての倫理を主題にした論集に「セックスワーク」についての寄稿を求められた。まったく不得手な論件だったけれども、苦心して書いた。なんという本だったか忘れてしまった。たしか岩波書店から出た論集だと思うけれども、もう手元にない。 考えていることは昔と変わらない。今はもうこんなにきつい書き方はしないと思うけれど。 はじめに 最初に正直に申し上げるが、私自身は、セックスワークについて専門的に考究したこともないし、ぜひとも具申したいような個人的意見があるわけでもない。ときどき、それに関する文章を読むが、数頁(場合によっては数行)読んだだけで気持ちが沈んできて、本を閉じてしまう。困ったものではあるが、私を蝕むこの疲労感は、必ずしも個人的なものとは思われない。 私の見るところ、この問題については、どなたの言っていることにも「一理」ある。ただし、「一理しかない」。異論と折り合い、より広範
ある地方紙に月一連載しているエッセイ。今月はこんな主題だった。 毎日新聞の社説が、ある政党の所属議員たちの相次ぐ不祥事について猛省を求める論説が掲載された。新聞が一政党を名指しして、もっと「常識的に」ふるまうように苦言を呈するというのはかなり例外的なことである。 ルッキズム的発言や経歴詐称の疑いなど、いくつか同党の議員の不祥事が列挙してあった。しかし、この苦言が功を奏して、以後この政党の所属議員が「礼儀正しく」なると思っている人は読者のうちにもたぶん一人もいないと思う。この政党の所属議員たちはこの社会で「良識的」とみなされているふるまいにあえて違背することによってこれまで高いポピュラリティを獲得し、選挙に勝ち続けてきたからである。「無作法である方が、礼儀正しくふるまうより政治的には成功するチャンスが高い」という事実を成功体験として内面化した人たちに今さらマナーを変更する理由はない。 「無作
Air Mistyという特殊薬剤噴霧器を道場に導入しました。これで空気中のウイルスはほぼ不活性化できるということです。道場内だけは「ウイルスフリー」です。花粉症も大丈夫ですよ。今日の杖道稽古から経験してみてください。
もうこの話をするのにも飽き飽きしている。「桜を見る会」についての話である。 どうして「飽き飽き」しているかというと、ふつうの人間の受忍限度を超えて、この話が続いているからである。 続く理由は簡単で、ふつうは申し開きのできない証拠をつきつけられて「申し訳ありませんでした。私がやりました」として「犯人」が白状して、火曜サスペンス劇場が終わるところで、ぜんぜんドラマが終わらないからである。 でも、「私がやりました」と言わないというのは、ある意味では「合理的な」ふるまいなのである。 昔、東京地検に勤めていた友人から、推理ドラマはあれは嘘っぱちだという話を聴いたことがある。検察官に供述の矛盾を衝かれて、顔面蒼白となって、「もはやこれまで」と自白するのは「自分が知性的な人間である」ということにおのれの存在根拠を置いている人間だけだというのである。 「そんな人間は実はめったにいないんだよ。そんなのはね、
〈思想家の内田樹さん(68)の話〉 令和という元号には政治的なにおいはしない。中立的な元号を選んでいただき良かった。中国古典でなく、国内最古の歌集である万葉集を典拠にしたというが、漢詩に万葉集の元となる詩があるという話がすでに中国文学者たちから指摘されている。政権は支持層の国粋主義者の意向に配慮して、中国ではなく、国書に典拠を持つ元号にこだわったが、結局、政治的効果を優先したせいで、学術的検証が十分でなかったということになった。元号そのものに罪はないが、元号という全国民が用いる文化的な制度について、特定の政治勢力に配慮して、冷静で丁寧な学術的検証が省かれたという疑念は拭えない。 問題は、政権が元号発表を政治ショー化したことだ。首相や官房長官ら現政権側が大量にメディアに露出し、お祭り気分をあおることで、政治的な難問は棚上げされた。「めでたい時にやぼなことを言うなよ」ということなのだろうが、お
金満里さんたちが出している「イマージュ」という媒体が、相模原の「やまゆり園事件」についての考察を特集した。そこに私も一文を寄稿した。あまり目に触れる機会のない媒体なので、私の書いたものだけここに再録する。 相模原の大量殺人事件のもたらした最大の衝撃は、植松聖容疑者が事前に安倍晋三首相宛てと大島理森衆院議長宛てに犯行を予告する内容の書簡を届けていたことにある。それは権力者を挑発するための犯行予告ではなく、自分の行為が政権と国会多数派には「好ましい」ものとして受け止められ、権力からの同意と保護を得られるだろうという期待をこめたものだった。逮捕後も容疑者は「権力者に守られているので、自分は死刑にはならない」という趣旨の発言をしている。 もちろん、これは容疑者の妄想に過ぎない。けれども、何の現実的根拠もない妄想ではない。彼の妄想形成を強化するような現実が今の日本社会内部にはたしかに存在しているから
不破雷蔵@ガベージニュース💉💉😷 @Fuwarin 【注意喚起】「履くだけで1ヶ月で5キロ痩せた( ゚д゚ )これやばいw」なるツイートをしているアカウントは、ブログ宣伝スパムにやられている可能性あり。至急連携アプリをチェックした上で、思い当たりの無いものがあれば削除、その上でパスワードを変更し、該当ツイートを削除してください。 2017-02-15 19:58:54 内田樹 @levinassien なんかトランプ政権のスタッフたちって、どうも揃って「トラップ」に脇が甘そうですね。公益のために働く人間はハニートラップとか金目の罠とかに簡単にはひっかからないけど、政治的に賢く立ち回ってえらくなろうと思っている人間はわりと簡単にトラップにかかるみたいですね。 2017-02-15 16:05:40
予想通りひどい本だった。山形さんがしばし待たせてから、懇切に書いてくれていた。 編者の議論がとにかく変。支離滅裂に「誤読」して俺様が〜と吠える人こそが、人文社会学の存在意義を疑わしめる原因となっている。社会悪なので、きちんと指摘しないといけない。...
PK @PKisk 【おせっかい教育論③】内田樹さん 「貧乏の罠ってあるんですよ。「貧乏な俺」っていう自己認識をいったん受け入れちゃうと、ある意味楽なんです。向上心っていうのは、自分に対して身の丈に合わない幻想を持つことで、いわば「自分自身に対する勘違い」のことですから。」 2012-08-01 06:30:40 内田樹先生 街場の至言(非公認bot) @tatsuruwords あまり言う人がいないから言っておくが、「向上心はかならずしも人を幸福にしない」。幸福の秘訣は「小さくても確実な、幸福」(村上春樹)をもたらすものについてのリストをどれだけ長いものにできるか、にかかっている。 2014-08-22 20:15:17 内田樹先生 街場の至言(非公認bot) @tatsuruwords 経済成長が止まったらもうおしまいだとか、人口がこれ以上減ったらもうおしまいだとか、国際社会でこれ以上
https://twitter.com/tako_ashi/ 小田嶋隆 @tako_ashi 2014-07-23 15:41:40 安倍ちゃんは「三丁目の夕日」を古き良き日本の姿だと本気で思っている。だから、著書の中でも、わざわざ一章を割いて、「映画『三丁目の夕日』が描いたもの」という、昭和の家族の人情と絆を称揚する文章を掲載している。汲み取り便所の本物の昭和と隔離された除菌済みの温室で育ったんだろうね。 昭和三十年代の東京で現実に暮らしてきた人間の目から見たら「三丁目の夕日」の映像のディテールは、三太夫が「殿、チャンスですぞ」とか言ってる時代劇と同じぐらいウソだらけなんだけど。もっとハエがぶんぶん飛んでなきゃならないはずだし、ガキが青っぱな垂らしてないとダメだよ。 でもまあ、本物の東京の昭和三十年代をモロに忠実に映像化したら、その一部は確実にグロ画像みたいなことになるし、映画としては当
「政治の美学化」と「美学の政治性」という2つの概念がある。 「政治の美学化」とは、政治的な議論を正しいか正しくないかではなく、美しいか美しくないかに置き換えてしまうこと。 「美学の政治性」とは美しいか美しくないかがいかに政治に作用してしまうか、という問題系のこと。 僕らよりの上の世代の仏文研究者には「政治の美学化」を好むものが多い。積極的に政治を語り、文学理論や所謂現代思想を応用することによって現状を分析し、自らの政治的前衛を誇るのである。その分析は面白いのだが、では具体的にどうすれば良いか、と問うと「現実を見ろ、という場合、この現実とはイデオロギーにしかすぎない」とか「直接行動を説く欺瞞性を弾劾しなければならない」とか「何もしないことが一番過激な政治運動なんだ」とか「具体的な政策を考えるのは政治家や官僚の仕事だ」などと言って、はぐらかす。 結局は、政治的発言を行なうことで格好つけているだ
AERAの今週号にこんなことを書きました。 2020年の五輪開催都市を決めるIOCの総会が始まる。 最終候補に残ったのは東京、マドリード、イスタンブール。88年の名古屋以来、08年の大阪、16年東京と三度連続招致失敗の後の四度目の挑戦である。 安倍首相、猪瀬都知事は国内での招致機運を盛り上げようと懸命だが、私のまわりでは東京五輪が話題になることはほとんどない。 気分が盛り上がらない第一の理由は、福島原発の事故処理の見通しが立たない現状で、国際的な集客イベントを仕掛けることについて「ことの順序が違う」と感じているからである。 第二の理由は、招致派の人たちが五輪開催の経済波及効果の話しかしないからである。 東京に招致できたら「どれくらい儲かるか」という皮算用の話しかメディアからは聞こえてこない。 「国境を越えた相互理解と連帯」とか「日本の伝統文化や自然の美しさを海外からのお客さんたちにどう味わ
陰気でねちねちしていて甘えており、俗物だが目立ちたがりで、人を人とも思ってないくらい人格ができていない売文屋。あの人たちもう60代でしょう。おまけに容姿もそっくりだ。2人の共通点は出自のなかで神戸で生活してるということだから、神戸人の性格なのかと思ってる。共通部分はそれしかない。なお実際、内田樹は村上春樹オタクで村上春樹を絶賛し続けている第一人者。地元が同じだから育ちも似ていて、馬があうのだろうか。もう一人、似ている人としてやはり神戸育ちの浅田彰を挙げられる。性格はみんな悪いし、見た目も格好悪い。悪文で他人を陥れたり、社会風俗を悪くしてはした金を儲け、虚栄にはやるのがデフォルト。3つも同じ例があるから偶然ではない。ツイートする
日本維新の会の選挙公約が「日替わり」状態になっている。 少し前に、「今度の選挙では告示前日まで選挙公約が二転三転するだろう」とあるメディアに書いた。 どうしてもこれだけは実現したいという政策があるわけではなく、どうしても議席が欲しいから選挙に出ている人たちにとって喫緊の問題は「どういう政策を掲げれば票が集まるか」だからである。 日本維新の会の選挙公約「骨太2013-2016」では焦点の原発問題については「結果的に30年代までにフェードアウト」という意味のよくわからない文言を採用した。 「30年代までに原発ゼロ」は当初橋下市長自身の主張だった。先月24日にそう言明した。その後、原発推進派の石原慎太郎の太陽の党との合流合意で「脱原発依存」についての言及そのものが消えた。 それによって、維新の会の支持者のうち「脱原発」政策に好感していた人々の支持が目減りした。 危機感を持った維新の会は、原発につ
日本維新の会が選挙公約として「最低賃金制の廃止」を打ち出し、波紋を呼んでいる。 公約発表時点では、私の知る限りどの新聞もこの公約について主題的に検討しなかった。 無視したのである。 その後、ネット上で反対論が噴出して、それを承けてはじめて報道するに至った。 この問題についてのマスメディアの無関心と危機感の希薄さが気になる。 これまで繰り返し書いているとおり、現在日本のエスタブリッシュメントは政官財メディアを挙げて「若年労働者の雇用条件の切り下げ」をめざしている。 その理由は何度も書いてきた。 「日本の中国化」である。 大飯原発再稼働のときの財界の主張をご記憶だろう。 日本にはもう生産拠点を置き続けることはできない。 その理由として指摘されたのが、人件費が高い、法人税率が高い、公害規制がきびしい、電力料金をふくむ生産コストが高い、という点である。 ここで原発を止めて火力に切り替えるなら、もう
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