近年アカデミズムでもネット論壇でも、「実証に基づく議論」が主流になっており、旧来のような価値や「イデオロギー」に基づく議論はすっかり影を潜めている。1980年代や1990年代には哲学者や社会学者の社会批評が隆盛したが、現在は実証性に乏しいとしてかつてほどの読者を獲得できなくなっている。では実証に基づく社会分析や政策論が増えたことで、議論の質が向上しているのかと言うと、必ずしもそうとは言えない現状がある。むしろ、意見の異なる者同士の論争がますます成立しなくなっているという、より深刻な事態をもたらしているように見える。 「イデオロギー」の時代は、議論の質はともかくとして、少なくとも対立や闘争という形の「対話」が最低限成立していた。昔の保守派は批判するためにもマルクス主義の文献や左翼知識人の論文に目を通していたし、全共闘の学生はつるし上げの対象である大学教師の本をよく読んでいた。佐高信と西部邁が