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社会学に関するytnのブックマーク (129)

  • イデオロギーの復権 - 毎週評論

    近年アカデミズムでもネット論壇でも、「実証に基づく議論」が主流になっており、旧来のような価値や「イデオロギー」に基づく議論はすっかり影を潜めている。1980年代や1990年代には哲学者や社会学者の社会批評が隆盛したが、現在は実証性に乏しいとしてかつてほどの読者を獲得できなくなっている。では実証に基づく社会分析や政策論が増えたことで、議論の質が向上しているのかと言うと、必ずしもそうとは言えない現状がある。むしろ、意見の異なる者同士の論争がますます成立しなくなっているという、より深刻な事態をもたらしているように見える。 「イデオロギー」の時代は、議論の質はともかくとして、少なくとも対立や闘争という形の「対話」が最低限成立していた。昔の保守派は批判するためにもマルクス主義の文献や左翼知識人の論文に目を通していたし、全共闘の学生はつるし上げの対象である大学教師のをよく読んでいた。佐高信と西部邁が

    イデオロギーの復権 - 毎週評論
    ytn
    ytn 2015/08/15
    ”瑣末な実証の水準で相手を「論破」しさえすれば、相手の価値やイデオロギーまで覆すことができるという、倒錯した論理が横行している。”
  • サービス終了のお知らせ - NAVER まとめ

    サービス終了のお知らせ NAVERまとめは2020年9月30日をもちましてサービス終了いたしました。 約11年間、NAVERまとめをご利用・ご愛顧いただき誠にありがとうございました。

    サービス終了のお知らせ - NAVER まとめ
  • サッシャ・ベッカー&ルドガー・ウイスマン「デュルケーム『自殺論』再訪 ~プロテスタント教徒はカトリック教徒よりも自殺傾向が高い?~」(2012年1月15日)

    ●Sascha O. Becker and Ludger Woessmann, “Religion matters, in life and death”(VOX, January 15, 2012) 宗教は、自殺という重大な決断に何らかの影響を及ぼすだろうか? 19世紀のプロイセンのデータを用いて検証したところ、プロテスタント教徒の割合が高い地区(郡)では、カトリック教徒の割合が高い地区(郡)においてよりも自殺率がずっと高い傾向にあり、プロテスタンティズムこそが自殺率を高めている原因であるとの結果が得られた。経済学的なモデル(合理的選択理論)の助けを借りれば、プロテスタンティズムがなぜ自殺率を高めることになるのかを理解する手掛かりを得ることができる。 フランスの社会学者であるエミール・デュルケームが1897年(!)に物した古典の一つである『自殺論』を紐解くと、プロテスタンティズムと自殺と

    サッシャ・ベッカー&ルドガー・ウイスマン「デュルケーム『自殺論』再訪 ~プロテスタント教徒はカトリック教徒よりも自殺傾向が高い?~」(2012年1月15日)
  • 他人を理解する入口に立つ――ライフヒストリーに耳を傾けて/社会学者・岸政彦先生インタビュー - SYNODOS

    社会学には、一人の生い立ちやいまの暮らしをじっくり聞く、生活史(ライフヒストリー)という調査方法があります。今回の「高校生のための教養入門」は、社会学者でライフヒストリーがご専門の岸政彦先生。ひとの生い立ちたちに耳を傾けることを入口に、自分とはかけ離れた他者を理解することについてお話を伺いました。(聞き手・構成/山菜々子) ――今回は、社会学者の岸先生にお話を伺います。先生のご専門のライフヒストリーはどのようなものなのでしょうか。 まず、社会学の調査は大きく分けて二つあります。数字を使う量的調査、数字を使わない質的調査です。ぼくは数字を使わない質的調査の方ですね。 質的調査にも色々とあります。実際にその場に行って、観察した経験を書くとか、他にも、雑誌や新聞の記事を集める方法なんかもあります。その中でぼくがやっているのは、一人の生い立ちやいまの暮らしをじっくり聞く、ライフヒストリーです。な

    他人を理解する入口に立つ――ライフヒストリーに耳を傾けて/社会学者・岸政彦先生インタビュー - SYNODOS
  • 酒井泰斗+小松丈晃「『リスクの社会学』を読む(質疑応答)」

    この頁には、2015年4月から6月にかけて朝日カルチャーセンター新宿にて開催した「ルーマン解読1」講義における質疑応答などの一部を収録しています。 小松丈晃さんによる著作紹介、講義当日の応答の再録と講義後にいただいた質問に対する回答が含まれており、署名のない項目はすべて酒井によるものです。 「ルーマン解読」講座シリーズの紹介 第一回講義と質疑応答 (2015.04.20) a. 対象文献の内容に関わるもの Q1a01 p.14 「全体社会の反省」 Q1a02 p.15 「システム準拠」 Q1a03 p.43 〈内容的|社会的|時間的〉 Q1a04 [そのほか用語説明のリクエスト] b. それ以外 Q1b01 ルーマン理論の概略について Q1b02 「もっぱら理論的」な研究とは Q1b03 ルーマンが調停しようとしていたのは Q1b04 ルーマンの「自由」に関する議論は Q1b05 構造機能

    酒井泰斗+小松丈晃「『リスクの社会学』を読む(質疑応答)」
  • 人事労務に役立つ情報提供・課題解決支援サイト|WEB労政時報

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  • シノドス・セミナー「社会学の居場所」 - shinichiroinaba's blog

    こちらでご報告した、2009年12月13日に行われたシノドス・セミナーの記録です。『アルファ・シノドス ―“α-synodos”』vol.46(2010/02/15)、vol.47(2010/3/1)から転載。 ================ 「社会学の居場所」稲葉振一郎 今日お話ししようと思っていたことが何点かあります。『社会学入門』(NHK出版)を読んでくださった方の多くは、このには穴があることに気づいておられて、その穴が今後どのように埋められるかと思ってらっしゃると思います。日はちょっとそれを意識しながらやっていこうと思っています。一つには、ある程度書き込んだけれども、入門書にはふさわしくないのではないかと、削った話題が一つあります。第12講で、科学的アプローチと工学的アプローチという対比を行いましたが、来はあそこで、より具体的に説明するために力学系モデルの話をしていたんです

    シノドス・セミナー「社会学の居場所」 - shinichiroinaba's blog
  • 社会学における「理論の実証」 - 社会学者の研究メモ

    (以下は二〜三カ月前に書いたメモですが、寝かせておいてもあまり意味がなさそうだし、稲葉先生もシノドスの論考を公開されたのでいいタイミングだと思うのもあり、ちょっと手を入れた上で公開します。) 社会学の問いの特徴 私は、学部のゼミでは(大学院でも基的にはそうだが)、いわゆる「標準的な研究プロセス」に従って個人研究をするように指導している。標準的な研究プロセスとは、問いを立て、それに対する理論仮説をデータ(質的・量的)で検証するという手続である。 その際、しばしば「社会学的な問いの立て方」というものを説明する必要が出てくることがある。学生は基的に社会学の授業をいくつか受けているので、そうしたほうが効率がよいからである。それに、意外に「社会学的な問いの立て方」を説明するのは簡単なのだ。 それは、「注目する現象/人間行動が、性別、年齢、学歴で違いを持つかどうかをまず考えてみたら?」というもので

    社会学における「理論の実証」 - 社会学者の研究メモ
  • 『社会学入門』付録以来の宿題 - shinichiroinaba's blog

    前著の付録では社会学的全体論とクワイン=デイヴィドソンの意味・信念の全体論との対応付けと統合という課題が手付かずのまま放り出されていた。 その宿題を果たすべく書きなぐっているメモ。そのおかげでようやくベイジアンとかラムジー哲学とかも齧る覚悟が付いたのだが。 何か間違ったことなど書いていればご教示ください。 おそらく我々はドナルド・デイヴィドソンが遺した「思考、意味、行為の統一理論」の構想を人間社会科学の一般理論の基礎として役立てうるのではないか。 デイヴィドソンの哲学体系は一見、行為論、その延長線上での「非法則的一元論」としての心の哲学と、アルフレッド・タルスキの真理論を基礎とした、真理条件意味論を主軸とした全体論的言語哲学の二側面からなるものとしてわれわれの目に映る。しかしこの両系列は80年代以降、デイヴィドソンが「統一理論」「合理性の科学」と呼ぶより大規模な構想の中に回収され、統合され

    『社会学入門』付録以来の宿題 - shinichiroinaba's blog
  • 社会学を志望しようかなと思っている大学受験生のために(2011年度版) - shinichiroinaba's blog

    今年も模擬講義の季節がやってまいりました。 とりあえず埼玉県立越谷北高校の皆さん、お約束のバージョンアップ版です。 再来週は都立三田高校に参ります。 ========================== 社会学は経済学政治学と並んで「社会科学」の仲間とされていますが、日の大学では大体社会学科は(もちろん、社会学部のないところでは、ですが国公立大学にはほとんど社会学部はありません)文学部に配置されています。なぜこうなっているのかといえば、社会学部は他の社会科学と比べて「主観」、人間の主観的な意識、心をその焦点とするからです。 経済学をはじめとして他の社会科学は「客観」的現実に照準を合わせますが、社会学はこれを無視するわけではないにせよ、人間がそうした「客観」的現実をどう「主観」的に経験し、その経験から「客観」的現実にはたらきかけていくか、を主題とします。その意味で人間の「主観」に照準する

  • 佐藤俊樹(2014)「「社会の心」のココロとは」(書評:『現代日本の「社会の心」――計量社会意識論』) - 書斎の窓 | 有斐閣

    1 社会学者をやっていると、必ず聞く悪口がある。「社会学って役に立たない」「社会学が良い社会をつくれるわけじゃない」「やれるのはデータを調べるくらい」。 たしかに、目に見えて「役に立つ」とはいいにくい。社会学者に社会をつくらせたら、トンデモナイものができそうだ。けれども「データを調べるだけ」と言われると、とても変な気がする。まるで石ころのように、データが転がっているみたいだからだ。 もちろん、意図的にそう見せているものもある。TVや新聞が「緊急調査!」と銘打ってニュース代わりに使うものなどは、良い例だろう。「安倍内閣を支持しますか支持しませんか」「原発再稼動に賛成ですか反対ですか」。ときどきの話題や事件に絡ませて賛否をきけば、答えは返ってくる。おかげで、世論を「棒グラフや円グラフで表しうるソリッドな意見の塊」(書4頁)のように思っている人も少なくない。 でも、もしあなた自身がきかれたらど

    ytn
    ytn 2015/07/03
    "まるで石ころのように、データが転がっているみたいだからだ...世論や社会意識の調査は...だとすれば、それは一体何を語っていることになるのだろうか。"
  • 北田暁大・岸 政彦「社会学はどこからきて,どこへ行くのか?:第1回 1990年代の「社会学」」 - 連載・対談 - 書斎の窓 | 有斐閣

    東京大学大学院情報学環教授 北田暁大〔Kitada Akihiro〕 龍谷大学社会学部准教授 岸政彦〔Kishi Masahiko〕 岸 この対談は、「社会学はどこからきて、どこへ行くのか?」というテーマで進めたいと思います。社会学の現状を、研究環境や研究動向から、おおまかに捉えて、もういちど考えようと思っています。まず簡単に自己紹介から始めます。僕は2年前に、戦後の沖縄のことを論じた『同化と他者化――戦後沖縄の土就職者たち』(ナカニシヤ出版、2013年)というを出版して、そのあと『街の人生』(勁草書房、2014年)という、生活史のインタビューをそのまま載せたを書いていますが、を書くようになったのはこの2年くらいです。このあとも何冊か、順次出ることになっています。北田さんは、僕から見ると若いときから世に出ていた方で、1970年前後生まれの同世代のなかでは、燦然と輝くスターです(笑)

    ytn
    ytn 2015/07/03
    "岸 そう。じつは日本の社会学って、ものすごく地道に社会調査をずっとやってきている業界なんですね...そこで都市下層とか、人権とか貧困の問題で、地道な調査の膨大な蓄積があるんです。"
  • 新刊『都市の舞台俳優たち―アーバニズムの下位文化理論の検証に向かって―』が検証、東京は小劇場の観劇人口が多いのではなく、チケットノルマを抱えた俳優15,000名が互いに観合っているだけ | fringe blog

    この記事は2015年6月に掲載されたものです。 状況が変わったり、リンク先が変わっている可能性があります。

    ytn
    ytn 2015/07/02
    "調査当初は質問が「あまりに露骨である」として拒否されたほどだ。"質的調査屋としては褒め言葉だな。
  • 『黒い迷宮 ルーシー・ブラックマン事件15年目の真実』著者インタビュー(動画)暴力的な情景の中に、愛を見出すことができるか - HONZ

    『黒い迷宮 ルーシー・ブラックマン事件15年目の真実』著者インタビュー(動画) 暴力的な情景の中に、愛を見出すことができるか 早いもので、今年も既に半分が終わろうとしている。今年上半期に出会った様々なノンフィクションたち。その中で、今でも頭の中からこびりついて離れぬくらい鮮烈な印象を残した一冊がある。それが、書『黒い迷宮 ルーシー・ブラックマン事件15年目の真実』だ。 ルーシー・ブラックマン事件は、2000年7月に英国航空の客室乗務員が失踪し、7ヶ月後に神奈川県三浦市の海岸近くにある洞窟でバラバラ遺体で発見された事件である。15年も前の話だから、最後まで読み終えることができるかななどと軽い気持ちで読み始めたのだが、杞憂に過ぎなかった。(レビューはこちら) 目の前にいるかのような登場人物のリアリティ、外国人特有の視点による斬新さ、社会構造の問題点を突く時の鋭さ、そしてストーリーテーリングの

    『黒い迷宮 ルーシー・ブラックマン事件15年目の真実』著者インタビュー(動画)暴力的な情景の中に、愛を見出すことができるか - HONZ
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    ytn 2015/06/21
    EMのかほりがする。
  • イヤホンが周囲に与える不快感

    自転車イヤホンが禁止。前から条例でやってる都道府県もあった。その理由は周囲の状況が把握できないからだという。でもどうなんだろうか。それだったら、視力の悪い人は自転車運転時にメガネやコンタクトレンズをすることを義務付けるって話が先にでてもいいと思うし、自動車の車内でスピーカー運転中にならすのも禁止すべきだし、むしろ自動車は密室な分周囲の音が聞こえないのだから周囲の音を取り入れて車内スピーカーから流させることくらいしてもいいと思う。 統計的な根拠があるのかなって思って少し探してみたのだけれど、論文が出てきて、効果はあるが限定的なものだって結論だった。イアホン禁止政策は。 事故が減るならすべきなんだろうとは思う。 でも実際は、イヤホンをしている人が嫌いな人って結構いるんじゃないか。それが結構な要因となっての、禁止したほうがいいって流れなんじゃないのかな。ネットとか見ると「イヤホンは危ないだろうが

    イヤホンが周囲に与える不快感
    ytn
    ytn 2015/06/04
    デュルケム的人格崇拝論とゴフマン的社会秩序論の衝突領域。
  • 竹中克久「組織文化論から組織シンボリズムへ――<シンボルとしての組織>概念の提唱――」 - Kentaro Kuribayashi's blog

    「組織シンボリズム」という言葉を目にしたので、なんだろうそれ?と思って、組織文化論との対比について述べている論文を読んだ。 組織文化論は、組織文化という「非合理」な要素をもって、60〜70年代のコンティンジェンシー理論を補完するものとしてあらわれたよ 組織文化論は、文化を操作対象とみなし、それを操作しうる特権的な立場のひとの実践のためのものとしてあったよ 組織シンボリズムは、人工物の分析や、ひいてはリーダーや組織そのものをシンボルとみなし、それを組織成員がどう解釈するかに着目するよ 組織シンボリズムの、組織文化論と比した有効性が語られるが、何が有効なのかよくわからなかった。 竹中克久(2002)「組織文化論から組織シンボリズムへ――<シンボルとしての組織>概念の提唱――」『社会学評論』 Vol.53(2002-2003)No.2, P 36-51 https://www.jstage.js

    竹中克久「組織文化論から組織シンボリズムへ――<シンボルとしての組織>概念の提唱――」 - Kentaro Kuribayashi's blog
    ytn
    ytn 2015/05/07
    MBA受験エントリ以来ちょいちょい読んでるが、組織論を組織論単体でつまみ食いしてしまっている印象が強い。学問ごとの人間観の違いを考慮に入れてないというか。
  • 「炎上」と「クソリプ」のあいだ « SOUL for SALE

    一度火がつくと止まらないケース アパレル業界においては、だんだんと暖かくなってくる今頃は年間でもかなり重要な時期なのだと思う。社会人になれば可処分所得も増え、生活も変わるから、そういう人に「これまでとは違う、ひとつ大人の服」を売り出す絶好のチャンスだからだ。もっといえば、これまで潜在顧客だった層を一気に自ブランドの顧客に変えるために「春」「変化」「開花」といった季節のキーワードと顧客自身の成長や変身を重ねあわせてアピールするようなキャンペーンが、様々に展開される時期であるわけだ。 そんな中、ジェンダーに絡むものとしては珍しくワンサイドで炎上したルミネのPR動画。20日朝からウェブ上で燃え始め、夕方には謝罪の掲載と動画の削除というスピード対応だったので、僕らにとっては収束に向かう案件だけど、おそらく制作担当者にとっては胃に穴のあくようなクライシス対応の日々が続くのだと思う。春先のキャンペーン

    「炎上」と「クソリプ」のあいだ « SOUL for SALE
    ytn
    ytn 2015/03/21
    "こういう騒動の際によく出てくる「発信側の本来の意図」は何かという問いには、実はほとんど意味がない。"シャノン=ウィーバーモデルですね、わかります。
  • 関学大学院の講義で話したこと:社会学における計量分析の位置づけ - 社会学者の研究メモ

    鈴木謙介先生の紹介で、関西学院大学院社会学研究科で4週にわたって講義を行った。さいわい受講者に恵まれ、ヘタな講義にもかかわらず、そこそこ実りのある授業ができたのではないかと思う。この記事では、そこで話をしたことを備忘録代わりに軽くまとめておこう。あわせて、講義内ではうまく伝えられなかったことについての補足の意味もある。 1講 実証=調査ではないこと 私の役割は、計量分析の視点から生活保障について講義をすることだった。そこで、最初に計量分析とはなんぞやというところからはじめた。そのなかでも冒頭で話をしたのは、「実証=調査」ではない、ということだった。 しばしば社会学では実証というとすぐに(質的にしろ量的にしろ)「社会調査」だと考えられてしまう。しかし、より広い科学の世界を見渡してみれば、少なくない分野において調査データは「二流市民」扱いなのだ、ということを説明した。因果関係をより正確に特定し

    関学大学院の講義で話したこと:社会学における計量分析の位置づけ - 社会学者の研究メモ
  • 「私は特定の事例の哲学者なのです」 - A Particularist, Fact-Lover and Philosopher

    さて来たるべき読書会に向けてイアン・ハッキングへのインタビュー論文を読みましたので、ちょっとブログでまとめてみましょう。 書誌情報 Madesen, O.J., Servan, J. and Oyen, S.A. (2009)‘I am a philosopher of the particular case’: An interview with the 2009 Holberg prizewinner Ian Hacking, History of the Human Sciences, vol.26-2, pp.1-20. 内容を一言でまとめると ハッキング:お気づきになるでしょうが、私はあまり一般化することに熱心ではないのです。私は特定の事例の哲学者なのです。(You will be beginning to notice that I am not keen on general

    「私は特定の事例の哲学者なのです」 - A Particularist, Fact-Lover and Philosopher
  • 「社会」概念の歴史に関するメモ - tukinoha’s blog

    最終更新2014/10/5 ざっくりした通史 http://togetter.com/li/527959 大正時代の「社会の発見」について以前書いたもの http://d.hatena.ne.jp/tukinoha/20110128/p1 大正時代の分は以下に移行。 http://d.hatena.ne.jp/tukinoha/10000109 【方法について】 ・左古輝人「社会概念の再検討」『人文学報』43号(2008年) ・「社会を定義すること」と社会概念史の違い 彼らは〈社会〉を定義するとすぐに、そそくさと自ら定めた規約から見えてくる対象の観察へと向かってしまうのが常なのである。いわんや社会学者が用いる〈社会〉の諸概念が自然言語における〈社会〉とのあいだに持つ関係についてなど、管見する限り一度も考察されたことがない。 〔中略〕 問題は《〈社会〉をどう定義するか》ではなく、《〈社会〉が

    「社会」概念の歴史に関するメモ - tukinoha’s blog