タグ

genderに関するja_bra_af_cuのブックマーク (577)

  • 巨乳の炎上に見る進化と文化のミスマッチ - 本しゃぶり

    『ひとりの成人は乳を見た』 『もうひとりの成人は、言動を通して心をみていた』 あなたはどちらだろうか? 燃える巨乳 また巨乳キャラが話題になっている。 巨乳キャラでも堂々としていればいいとは何だったのか。まあ、キズナアイの件*1を考えると、胸のサイズや表情というのは重要ではないのだろう。 この手の展示物が話題になるたびに、「逆の立場になって考えろ」という意見が出る。男性だって性的に消費されるような展示物が公共の場にあったら不快になるだろう、と。 しかし、女性向けに作成された展示物が「男性を性的に消費している」と問題になったことはほとんど無い。おそらく探せば一つくらいはあるのだろうが、俺はパッと思いつかない。定量的に語るのは難しいが、男性向けに比べたら炎上の頻度は少ないだろう。 Togetterで「ジェンダー」タグのまとめについたタグからも予想できる この実感が正しいのならば、なぜ炎上するの

    巨乳の炎上に見る進化と文化のミスマッチ - 本しゃぶり
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2019/10/23
    同様に性的な欲望に応える図像・表象であっても,一方的な対象化になっているか否か,それがあからさまか否かなどの違いがあるように思われた
  • 楠瀬喜多生誕183周年:女性参政権のために闘った運動家の生涯とは? : SOCIETAS [ソキエタス]

    今日10月17日で楠瀬喜多生誕183周年を迎える。これを記念してGoogleトップページも特別ロゴに変更されている。 今日生誕183周年を迎えた楠瀬喜多(くすのせ きた)は、土佐藩(現在の高知県)出身の民権運動家。「税金を払っているのに女性だからといって投票権がないのはおかしい」と主張し、税金不払い運動を主導した人物だ。 そんな楠瀬喜多は1836年10月18日に米穀商の娘として生まれた。小山興人の塾で漢学を修めた才女でもあった。1854年、剣道師範の楠瀬実と21歳で結婚したが、17年後に死別している。 その後、楠瀬喜多は土佐で自由民権運動を主導していた立志社の講演会へ頻繁に赴くようになる。立志社は「板垣死すとも自由は死せず」で有名な板垣退助らが設立した団体で、平等な選挙権などを求めて活動していた。楠瀬喜多は立志社で河野広中ら活動家と交友する。 1878年、楠瀬喜多をある事件が襲う。夫の死後

    楠瀬喜多生誕183周年:女性参政権のために闘った運動家の生涯とは? : SOCIETAS [ソキエタス]
  • 「声かけ写真展」から振り返るペドフィリア20年史

    墨東公安委員会(@bokukoui)さんによる、「声かけ写真展」を起点に20年前の児童ポルノ規制法制定時のペドフィリア群像を振り返る連続ツイートをまとめました。

    「声かけ写真展」から振り返るペドフィリア20年史
  • 異端者に寄り添い50年「少女漫画の神様」萩尾望都 - 日本経済新聞

    「少女漫画の神様」とも呼ばれる萩尾望都(もと)がデビュー50年を迎えた。SFやファンタジーを通して未来を見つめ、異端者やマイノリティーに思いを注いできた。今も第一線を走り続ける。「SFは異なる文化体系と、未来の社会を考えることにつながる」。そう静かに、力強く語る。「SFを描きたくて漫画家になった」という萩尾。2016年に始まった「萩尾望都SF原画展」は東京、神戸などを巡り、デビュー50年とな

    異端者に寄り添い50年「少女漫画の神様」萩尾望都 - 日本経済新聞
  • 「感じさせられる女」「感じさせる男」という役割は、いつ生まれたか(田中 亜以子) @gendai_biz

    性的快楽の「不文律」 男女の性行為を描くポルノグラフィーを思い浮かべてほしい。みなさんの頭の中には、江戸時代の春画のように男女が対称的にからみあう図ではなく、よがり声をあげる裸の女性が思い浮かんだのではないだろうか。そう、現代日の大半のポルノにおいて大写しになるのは、男性の身体ではなく、女性の身体なのである。 これは、男性向けのポルノ作品だけでなく、実は、女性向けの作品においても、基的に変わりない。現代の日において、性的快楽なるものは、男性の行為によって、女性にもたらされるものであるという不文律が存在している。 こうした「お約束」は、ポルノのなかだけではなく、現実の男女の意識や行動のなかにも息づいている。「感じさせられる女」であるために、女性が男性とのセックスにおいて「感じているふり」をすることは珍しくない。翻って男性は男性で、女性をリードし、「感じさせる男」でなければならないという

    「感じさせられる女」「感じさせる男」という役割は、いつ生まれたか(田中 亜以子) @gendai_biz
  • Clora Bryant, Trumpeter and Pillar of L.A. Jazz Scene, Dies at 92 (Published 2019)

  • 「仕事ほしいんでしょ」「何もしないからホテル行こう」 女性声優が語るセクハラの実態

    Search, watch, and cook every single Tasty recipe and video ever - all in one place! News, Politics, Culture, Life, Entertainment, and more. Stories that matter to you.

    「仕事ほしいんでしょ」「何もしないからホテル行こう」 女性声優が語るセクハラの実態
  • なぜ兵士は慰安所に並んだのか、なぜ男性は「慰安婦」問題に過剰反応をするのか――戦前から現代まで男性を縛る“有害な男らしさ”

    なぜ兵士は慰安所に並んだのか、なぜ男性は「慰安婦」問題に過剰反応をするのか――戦前から現代まで男性を縛る“有害な男らしさ” 女性史・ジェンダー研究家の平井和子氏 【特集「慰安婦」問題を考える】第1回では、「慰安婦」問題について国際的に非難されているポイントや日韓対立の質に迫った。第2回では、「慰安婦」問題の“加害者”である日軍兵士に目を向けてみたい。家族のためにと戦地に赴き、時間があれば親やきょうだいに向けて手紙を書いていた“善良な市民”である彼らは、なぜ慰安所に並び、敵地で女性をレイプしたのか? 慰安所に並んだ兵士と、並ばなかった兵士の分岐点は何か。『戦争と性暴力の比較史へ向けて』(岩波書店)の編著者の一人で、同書の中で「兵士と男性性」を記した女性史・ジェンダー研究家の平井和子氏に話を聞いた。 【特集】「慰安婦」問題を考える第1回 今さら聞けない「慰安婦」問題の基を研究者に聞く――

    なぜ兵士は慰安所に並んだのか、なぜ男性は「慰安婦」問題に過剰反応をするのか――戦前から現代まで男性を縛る“有害な男らしさ”
  • 男の子はいかにして「男らしさの檻」に閉じ込められるのか(北村 紗衣) @gendai_biz

    レッド・ツェッペリンと「男らしさ」の問題 若かった頃、 一人前の男になるってのはどういうことか(what it was to be a man) 教えてもらった。今、その年になって できるかぎりその手のことを ちゃんとやろうとはしてるんだ。どんだけ頑張っても 行き止まりに突っ込むだけなんだけどな これは1969年にレッド・ツェッペリンが出した楽曲「グッド・タイムズ・バッド・タイムズ」冒頭の歌詞の日語訳(拙訳)だ。ジミー・ペイジのギラつくギターにあわせてロバート・プラントが歌うこの詩は、「男らしさ」の矛盾をとてもシンプルに表している。 つまり、男の子(boy)は実は小さい時に「一人前の男」(man)というのはどういうものかに関する固定観念をたたき込まれて育つが、実際のところ、そんな概念を体現できる立派な大人の男にはなれっこない、ということだ。この歌詞は「男らしさ」の理想と現実を簡潔に歌い上

    男の子はいかにして「男らしさの檻」に閉じ込められるのか(北村 紗衣) @gendai_biz
  • 今さら聞けない「慰安婦」問題の基本を研究者に聞く――なぜ何度も「謝罪」しているのに火種となるのか

    林博史・関東学院大学教授 「慰安婦」はいなかったとする「否定派」の主張を、資料の検証や元「慰安婦」の聞き取りを行っている歴史学者、政治学者らが反証し、問題の争点を浮上させた映画『主戦場』。4月から上映している東京・渋谷の映画館イメージフォーラムではいまなお終映日未定のロングランとなっており、現代ではアンタッチャブルとなりつつあった「慰安婦」問題への関心が高まっている。 また、現在開催中の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」内の企画展「表現の不自由展・その後」で展示されていた少女像(※1)について批判が殺到、脅迫やテロを予告するようなファクス・電話が相次いだため、展示開始からわずか3日で同企画展自体が中止となった。これついては、「表現の自由」の制限のみならず、歴史を歪曲する動きが表出したことも懸念すべき点だといえよう。それを裏付けるように、大阪市の松井一郎市長は8月5日に記者団に対し、

    今さら聞けない「慰安婦」問題の基本を研究者に聞く――なぜ何度も「謝罪」しているのに火種となるのか
  • お前ら本当は気付いてんだろ−慰安婦問題と現代の日本の性暴力−|石川優実|note

    腹が立っているので簡潔に、ツイッターに書いたことほぼそのまま書きます。 同意のない性行為、女だから仕方ない?同意のない性行為をしてはいけないということを知らない人が多すぎる。 同意というのは「するしかないからする」ではない。そんなの同意じゃない。それは「心理的強制」だ。 抵抗すると怒られるから大人しく従って性行為をした。もちろんそれも同意じゃない。 「同意」というのは、「私、あなたとセックスしたいです。」というものだ。もしくは「あなたとセックスがしたい」と誘われた時に、おっけーしても断ってもどちらも不利になることがないような状態で、ちゃんと選択肢がある状態で「はい」と答えた場合だ。断ったら生きていけないとか断ったら殴られるとか怒られるとか、断ったら仕事を失うとかそんな状態で出てきた「はい」は同意とは言わない。 「軍人さんを慰めるお仕事だよ」と騙され連れてこられて、その場で「もう帰れないよ」

    お前ら本当は気付いてんだろ−慰安婦問題と現代の日本の性暴力−|石川優実|note
  • 「〈性〉なる家族」書評 支配という暴力 子どもに重圧|好書好日

    性虐待、DV、セックスレス、不妊治療…。ほとんど表面化することのない家族における性の問題について、カウンセリング経験をもとにさまざまな角度から述べる。『春秋』『ウェブ春秋… 〈性〉なる家族 [著]信田さよ子 稿には性被害に関連する箇所が多く、読まれる方にはご注意いただきたい。 さて著者は子どもの虐待、アルコール依存症、家庭内暴力などの加害者、被害者にカウンセリングをしてきた臨床心理士だ。 このでは、多くの「現場」を見てきたからこそ言える「家族」の闇、支配という名の暴力がどのように人を蝕んでいるかが描かれ、冷静な筆致にして内実は熱い怒りに突き動かされているのがよくわかる。 2年前、刑法が改正され、強姦罪が強制性交罪となった。厳罰化、非親告罪化(被害者の告訴がなくても罪に問える)が柱で、家庭内性虐待の処罰も新設。 にもかかわらず、改正以後も数々の告訴がはねのけられている。そもそも著者が書く

    「〈性〉なる家族」書評 支配という暴力 子どもに重圧|好書好日
  • 日本弁護士連合会:同性の当事者による婚姻に関する意見書

    意見書について 日弁連では、2019年7月18日付けで「同性の当事者による婚姻に関する意見書」を取りまとめ、7月24日付けで法務大臣、内閣総理大臣、衆議院議長および参議院議長宛てに提出しました。 意見書の趣旨 我が国においては法制上、同性間の婚姻(同性婚)が認められていない。そのため、性的指向が同性に向く人々は、互いに配偶者と認められないことによる各種の不利益を被っている。 これは、性的指向が同性に向く人々の婚姻の自由を侵害し、法の下の平等に違反するものであり、憲法13条、14条に照らし重大な人権侵害と言うべきである。 したがって、国は、同性婚を認め、これに関連する法令の改正を速やかに行うべきである。 (※文はPDFファイルをご覧ください)

    日本弁護士連合会:同性の当事者による婚姻に関する意見書
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2019/07/25
    ポリガミー,ポリアモリーは埒外なのかしら
  • フェミニズム以後のオタク2:「安全に痛い自己反省パフォーマンス」について - てらまっとのアニメ批評ブログ

    前回の記事の続きを書こうと思ったのは、いただいたコメントのなかに、自分でもなんとなく感じていた問題点、というより既視感を指摘したものがあったからだ。いわゆる「安全に痛い自己反省パフォーマンス」というものである。 teramat.hatenablog.com 安全に痛い自己反省パフォーマンスとは、評論家の宇野常寛がデビュー作『ゼロ年代の想像力』(2008年)のなかで展開した議論だ。これが既視感の原因だった。宇野は東浩紀による美少女ゲーム(いわゆる「エロゲー」)論を批判しながら、おおむね次のように論じている。 宇野によれば、多くの異性愛男性オタクは「女性差別的な所有欲」(320頁)をもっており、エロゲーをはじめとする「レイプ・ファンタジー」にふけることでその欲望を満たしている。東はかつて、そんなエロゲーのなかにも、オタクに自己反省を迫る「批評的」な作品があることを指摘し、自著でくわしく分析した

    フェミニズム以後のオタク2:「安全に痛い自己反省パフォーマンス」について - てらまっとのアニメ批評ブログ
  • ポルノグラフィをただしくわるいと言うためには何を明らかにすべきか:資料公開と感想記 - Lichtung

    はじめに こんにちは。神戸大学人文学研究科、芸術学専修、現在修士課程一年のナンバユウキです。分析美学を手がかりにポピュラーカルチャーの分析と批評を行なっています。 2019年7月13日から翌14日にかけて、東京・代々木の国立オリンピック記念青少年総合センターにて開催された哲学若手研究者フォーラムにおいて、二日目に分析哲学と分析美学からポルノグラフィの倫理的問題の問いの場と、そのわるさの理由を分析する「ポルノグラフィをただしくわるいと言うためには何を明らかにすべきか」を発表しました。 稿では、第一に、資料公開とその簡単な内容紹介、じぶんの研究における位置づけをご紹介し、第二に、発表した感想を共有します。 今回が修士論文に向けた公での研究発表の第一回でした。研究初期のアイデアを研究会を超えて稿のようにブログで共有するのは、あまり見たことはないです。一般に修士論文の内容や計画を公に共有するこ

    ポルノグラフィをただしくわるいと言うためには何を明らかにすべきか:資料公開と感想記 - Lichtung
  • あるトランス女性が見た北村紗衣『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』 - ゆなの視点

    北村紗衣先生による映画評論『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』が、書肆侃侃房さんより出版され、小規模な出版社から出たアカデミックな身分の著者(北村先生は、私自身は拝読したことがないのですがすでにシェイクスピアに関する単著も出されている、シェイクスピア研究者です)によるとしては珍しいような売れ行きを示しているそうです。 このが注目を浴びているのは、おそらくそれがフェミニズムの視点からさまざまな映画作品を批評するというものだからでしょう。多くのひとがそうした視点を、あるいはそうした視点から見たことを語る術を求めていたということでしょう。 この記事ではそんな話題の『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』に対し、否定的な話をしたいと思っています。 いくつか、先に断っておきたいことがあります。 まず、この記事を書いている私は何者なのか。これに関しては、多くを語ることはできません。ひとつだけ言えるのは、

    あるトランス女性が見た北村紗衣『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』 - ゆなの視点
  • 伊藤詩織さんBBC放送ドキュメンタリー「Japan’s Secret Shame」

    【BBC放送ドキュメンタリー「Japan’s Secret Shame」日初放送】 レイプ被害の声を上げた伊藤詩織さんを通して、 性被害者が沈黙させられることの多い日の現状を イギリスの取材班が深く切り込む 【作品内容】 2017年5月、記者会見で強姦被害を訴えた伊藤詩織さん。 著名ジャーナリストの山口敬之氏によって強姦されたとして警察に被害届を出し、 逮捕令状が出たにも関わらず不起訴処分になったことへの不服を、 検察審査会に申し立てたという内容の発表で、日社会に衝撃を与えた。 番組では伊藤詩織さん人の証言をもとに、事件の経緯を伝えている。 また、彼女の発言や経験、ジャーナリストや専門家らへのインタビューを通じ、 タブー視され沈黙させられてしまう日の性被害者をとりまく状況や、 日の警察、司法、政府の問題に切り込む。 【作品情報】 イギリス制作 / 2018年 / カラー / 字

    伊藤詩織さんBBC放送ドキュメンタリー「Japan’s Secret Shame」
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2019/07/14
    rape kit を置いてる病院がそんなに少ないとは知らなかった
  • フェミニズム以後のオタク - てらまっとのアニメ批評ブログ

    タイトルにつけた「フェミニズム以後」というのは、フェミニズムが終わったあとという意味ではない。そうではなくて、これはフェミニストによる批判を踏まえてなお、ひとがオタクであるとはどういうことか、どのようにあるべきか、という問いだ。 オタクであることはしばしば、フェミニズムと敵対することだとみなされている。インターネット上には、オタクからフェミニストへの、そしてフェミニストからオタクへの罵詈雑言が無数に散らばっている。それらは多くの場合、まともな対話や議論のていすらなしておらず、たがいへの敵意と悪意だけがむきだしになっているように見える。 じっさい、ツイッターやフェイスブックをはじめとするSNSが普及して以降、オタクフェミニストは幾度となく衝突してきた。たとえば、人工知能学会の学会誌の表紙が女性蔑視であると批判され、炎上したのが2013年。2015年には三重県志摩市のご当地キャラクター「碧志

    フェミニズム以後のオタク - てらまっとのアニメ批評ブログ
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2019/07/13
    "フェミニズム以後のオタクの倫理というものがあるとすれば、それはこの葛藤を抱えこむことにあるのではないか"
  • 「自分の足を取りもどす」全文PDF | ブログ | 田嶋陽子 オフィシャルサイト

    画像をクリックすると PDFファイルをご覧いただけます データは駒尺喜美編『女を装う』勁草書房 1985 のものです。 他に田嶋陽子著『もう、「女」はやってられない』講談社 1993 上野千鶴子他編『セクシュアリティ』(日フェミニズム6)岩波書店 1996、 同増補新版 (新編日フェミニズム6 ) 2009 にバージョンが異なるものが収録されています。 勁草書房、講談社、岩波書店の許可を得て掲載しています。無断転載を禁じます。

    「自分の足を取りもどす」全文PDF | ブログ | 田嶋陽子 オフィシャルサイト
  • 性的モノ化再訪 - 江口聡

    「モノ化」(objectification)とは、人間、人(person) を使用や操作、鑑賞などの対象(object)であるモノ (thing)として扱うこと、またモノとして見なすこ とである2 。性的 ﹅ ﹅ モノ化とは特に、人間を性的な欲 望と行為の対象であるモノとして扱い、またそのよ うなものと見ることである。我々の社会は男性中心 社会であり、そこでは、女性はみな性的なモノ (object)として、人(男性)以下のものとされる。 そしてモノ化はそれ自体が危害 ﹅ ﹅ であるか、あるいは 危害とはいえないとしても不道徳な行為、非難され るべき行為であると想定されている。 この「モノ化」の概念は70年代のさまざまなフェ ミニストによる男性中心社会批判に基礎にあるが、 その一般化にもっとも強い影響力をもった人物を一 人選ぶとすれば、それは米国の法学者のキャサリ ン・マッキノンだろう。ポル