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ブックマーク / shirasagikara.hatenadiary.org (2)

  • 「ブログ終了」のお知らせ - shirasagikaraの日記

    この2016年3月25日をもって「藤尾正人のブログ」は終了します。長年お読みいただき、メールや、電話や、葉書で感想をお寄せくださり、ありがとうございました。 ブログは、じつに楽しく書けました。「書くんだ」という気持ちがあると、ヒントがぴょんぴょん飛び出すのです。主がつぎつぎマナを降らせてくださるのです。 牧師や伝道者もそうではないでしょうか。「毎週、福音を話すのだ」という気持ちでいると、新しい説教や聖書講解ができるのだとおもいます。日曜日、日中いや世界中の教会や集会で、聖書があきもせず語られているのは、「話すのだ」という強い気持ちがあるからでしょう。おそらく「ブログ終了」で、わたしは「書かなくてよい」となると「書く意欲はへなへなと萎え」ヒントは枯れるとおもいます。 ただ、これから新しくしたいことが一つあります。使徒パウロの小さい立像を彫ることです。それもパウロが大笑いしている顔を彫るつも

    「ブログ終了」のお知らせ - shirasagikaraの日記
  • 宮沢賢治とクリスチャン - shirasagikaraの日記

    「雨ニモマケズ」で有名な宮沢賢治が、こんなに多くのクリスチャンにとりかこまれていたとは知りませんでした。雑賀(さいが)信行著「宮沢賢治とクリスチャン 花巻編」は、第1章「花巻の無教会」、第2章「花巻のバプテスト教会」の二建てですが、いかにも田舎町らしく、無教会とバプテスト教会の信徒同士、仲がいいのです。しかも、これらクリスチャンは、日蓮宗に改宗した宮沢賢治とも、たがいの信仰を尊敬しあい、親しくまじわり、影響を与えあっています。賢治自身、盛岡高等農林の学生時代、教会のバイブル講義に通っています。 初めて知ったのは、賢治に「基督再臨」という詩があったことです。「おまえらは/わたしの名を知らぬのか/わたしはエス/おまえらに/ふたたび/あらはれることをば約したる/神のひとり子エスである」(全集2巻p224)。これは再臨運動の内村鑑三の影響だと著者はみています。鑑三と賢治は同じ理学系で、しかも真剣

    宮沢賢治とクリスチャン - shirasagikaraの日記
    kosui
    kosui 2015/11/17
    「賢治の父・宮沢政次郎は、内村の「聖書之研究」誌の読者で、斉藤宗次郎が非戦論事件でごうごうたる非難を浴びたさい擁護者の一人でした。」
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