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歴史に関するminesweeper96のブックマーク (13)

  • 明治の助けたい人々 - 山下泰平の趣味の方法

    明治35(1902)年7月11日の朝日新聞に、『哀れの一家(差配人の美挙)』という記事が掲載された。 哀れの一家というのは所区若宮町の194番地に住む石坂家の人々である。なぜ番地まで分かるのかというと、新聞紙に掲載されてしまっているからだ。 現代では考えられないことではあるが、このあたりの時代だと、良いことをしても犯罪を犯しても、住所氏名つきで掲載されてしまう。なぜそんなことになっているのか、詳しく書き始めると長くなってしまうので、現代とは常識が違うのだといったところで納得してもらいたい。 若宮町の石坂一家に話を戻そう。当時、石坂一家はかなりのピンチに陥っていた。 3年前に大黒柱の父親を失い、16になる息子の弥太郎は呉服屋で奉公をしていた。奉公とは今でいう住込みバイト、あるいは相撲部屋への入門をイメージしてもらうと分かりやすいだろう。弥太郎は呉服屋で、雑用をしながら一所懸命に仕事を覚えて

  • 性懲りもなく人体を食う話 - パル

    こんにちは。皆さんはどうですか?僕は椎間板ヘルニアを長いこと患っており、今月の中旬に入院して手術、きょう退院しました。脚の痛みがなくなってとても快適です。 以下、人体をべる話になりますので自己責任でよろしくお願いします。 なお人体をべることにつきましてはこれで2回目であり、1度目の体験は拙作まんが道なき道 6話で「人体をべる、とは」みたいなことを描いてありますのでよろしければご参照ください。 摘出した椎間板ヘルニアです。2週間冷蔵庫に入っていたものです。患部が想定より面倒なことになっていたので途中で術式が変わり、でっかい傷口になりました。それは別にいいです。むしろかっこいい。 ティッシュのカスみたいですね。 これ保存とかどうなってんのかな、と思って匂いを嗅いで、血の匂いはしますがエタノールもホルマリンも感じられないのでとりあえず液を舐めて、んー生理塩水かなーと思ったので、どうせ

    性懲りもなく人体を食う話 - パル
    minesweeper96
    minesweeper96 2015/06/30
    良すぎる
  • 珍しい戦時中の女性ファッションアイテム - ICHIROYAのブログ

    アンティーク着物の売買を生業としていると、ときに不思議な着物に出会う。 先日、アンティーク着物の業者が集まる市場で、写真のような着物が出て場が湧いた。 第二次世界大戦のころには、戦争をテーマとした着物はかなりたくさんある。紳士ものや子供の着物の柄にもあるし、女性の着物や帯にもある。当時はそういったものがよく売れたそうである。 そういったものを集めているコレクターの方は、日のみならず欧米にも複数おられるので、なるべくお客様の要望に応えてそういうものを仕入れようとしている。 そもそも、時代はすでにプリントの時代なので、同じものが複数あったりするし、よく似たデザインのものもある。 だから、長年そういうものを見ていると、既視感のあるものが多いのだけど、この帯には、ちょっと驚いてしまった。 三人の兵士が爆弾を抱えて鉄条網に突っ込んでいるが、もちろん、それは有名な「爆弾三勇士(もしくは肉弾三勇士)」

    珍しい戦時中の女性ファッションアイテム - ICHIROYAのブログ
  • 明治の名古屋には金閣寺が二個あって昭和になると実験で少し燃やしてしまった話 - 山下泰平の趣味の方法

    まえおき 今の私は明治大正時代のとある娯楽小説についてのを書いている。だからいろいろ調査したりしているんだけど、その過程で異常なまでにどうでもいい事柄を発見してしまったり、知ったりしてしまう。そういうことを私は、自分でも不思議なくらいの勢いで忘却してしまう。 しかしながら、どんなつまらなくてクダらないことであったとしても、今後真面目に調べようとする人が出てくるかもしれない。そんなわけで、私が発見してし、やがて忘れてしまうどうでもいいことを、ここのブログに書き残していくことにする。 今回は満州日日新報のことを調べているうちに遭遇してしまった事柄で、名古屋の鶴舞公園には金閣寺が二個あり、昭和になると実験で少しだけ燃やしてしまったというお話です。 二つの金閣寺 一九一〇(明治四三)年に今の鶴舞公園のあたりで、博覧会「第十回関西府県連合共進会」が開催された。その際に、金閣寺を模した建物が二つ建て

    minesweeper96
    minesweeper96 2015/06/11
    「しかしながら日本人の事なかれ主義 + こんな集まってんだから中止とかムリだろみたいな勢いによって強引に実験開始」
  • 死亡フラグを追いかけて - 最終防衛ライン3

    「死ぬ気か!」 『死亡フラグ』の語源 - Togetterまとめ 【やじうまWatch】いつ、そして何がきっかけ? 「死亡フラグ」という表現のルーツはいずこに -INTERNET Watch 後藤寿庵さんの題は「死亡フラグ」という言葉がいつ頃から使われるようになったのかであって、「死亡フラグ」という表現がいつからあるかではないのですが、TwitterでのリプライやTogetterのコメント欄ではその点を見極められていない人がいます。 Togetterまとめでは結局よく分からないので調べてみました。 題とはあまり関係ないのですが、Togetterのコメント欄で、2004年にサービスを開始したFCブログの 金田一少年によろしく:金田一少年の事件簿・推理ブログ|FC2モブログ| 魔犬の森の殺人 をして2001年には使われていたとする人がいて、リテラシーが問われるなと思いました(小並感)。 最

    死亡フラグを追いかけて - 最終防衛ライン3
  • 南方熊楠:自画像 奈良・五條市の旧家から見つかる - 毎日新聞

  • 呂宋助左衛門-秀吉に茶器と称して便器を献上 - 海を漂う茶柱

    ケンカ?銭でしょ! 日史の華、戦国時代。 ケンカナンバーワンを目指し、全国の大人達がリアルファイトを繰り広げていた。 この時代、ド派手なケンカ話がイッパイある。 なので、日全国、一人残らずケンカナンバーワンを目指して、寝る暇惜しんでケンカしまくっている印象がある。 でもそれは、おエラいおサムライさんとその家来達の世界。 したたかな商人達は、そんなケンカ旋風が吹き荒れる中、相変わらず銭集めに勤しんでいた。 海の外は大航海時代。 スペインやポルトガルなどの腹ドス黒商人達や、それとつるむアジアのこれまた腹ドス黒商人達が、あんなことこんなことで大儲けしていた。 「僕たちもあやかりたい!」 日の腹黒商人達も、他のアジア腹黒商人達と同じように、海へと飛び出していった。 日の腹黒商人は、日の外のあちこちに 日町 を作り、銭集めをしまくった。 以下は、有名な日町があった場所。 ホイアン (ベ

    呂宋助左衛門-秀吉に茶器と称して便器を献上 - 海を漂う茶柱
  • 平安時代の「幻の物語」一部見つかる NHKニュース

    平安時代後期に物語が作られ、その後、中盤や末尾の大部分が失われたことから、「幻の物語」とも呼ばれる作品、「夜の寝覚」の失われた部分の一部が見つかり、平安時代の傑作の全容を知る手がかりになるとして研究者が期待を寄せています。 「夜の寝覚」は、女性の主人公「寝覚の上」がさまざまな男性に愛される波乱の生涯を描いた物語で、11世紀後半に「更級日記」の作者としても知られる菅原孝標女が書いたとする説が有力です。 原はなく、その写が残されているものの、時代を経るうちに、物語の中盤と末尾が大きく失われ、詳しい内容や結末が分からなくなり、「幻の物語」とも呼ばれていました。 こうしたなか、このほど、京都の古書店が持っていた古い掛け軸の書1枚について、平安時代の文学に詳しい実践女子大学の横井孝教授が鑑定したところ、「夜の寝覚」の中で詠まれていたとされる和歌だったということです。 「夜の寝覚」を巡っては、今回

    平安時代の「幻の物語」一部見つかる NHKニュース
  • 三島由紀夫自殺6日前の手紙公開 山梨 文中に「鎮魂」:朝日新聞デジタル

    周五郎らの著名人の手書きの原稿や手紙を展示する新収蔵品展「手書きの魅力」が、甲府市貢川1丁目の県立文学館で開かれている。割腹自殺した三島由紀夫(1925~70)が、亡くなる6日前に書いた手紙も公開されている。 手紙は、三島が学習院高等科文芸部の先輩だった坊城俊民さん(国文学者、1917~90)に宛てたもので、三島が東京・市谷の陸上自衛隊東部方面総監部で自殺を図る6日前の11月19日付。 その中で三島は、坊城さんと頻繁に手紙のやり取りをしていた「十四、五歳のころが小生の黄金時代」と振り返り、手紙を書いたその日にした剣道の稽古について、「これが小生の唯一の鎮魂なのだと思ひます」などと書いている。

    三島由紀夫自殺6日前の手紙公開 山梨 文中に「鎮魂」:朝日新聞デジタル
  • 「軍国主義の世界的瀰漫如何に防ぐかは重大問題」 犬養毅の手記見つかる 大正デモクラシー末期の政治情勢示す - MSN産経west

    「憲政の神様」とも言われ、首相在任中の昭和7年に五・一五事件で青年将校によって殺害された犬養毅が、政界から一時引退した昭和3年、京都府内の立憲政友会党員に送った手紙が党員の親族宅に所蔵されていたことが16日、分かった。書の達人でもあった犬養が当時の政治状況についての心情を記している。 党員は当時の草内(くさうち)村(現・京田辺市)の村長を務めた岡井利一。昭和2年の京都府議選に立憲政友会から立候補して次点となり、同4年に草内村長となった。 犬養は手紙を送った当時、自らが率いていた革新倶楽部を解党させて立憲政友会に吸収させ、政界からいったん身を引いていた。 手紙は岡井からの手紙に謹んで返事をするという意味の「敬復」の文字で始まり、「軍国主義の世界的瀰漫(びまん)を如何(いか)にして防ぐかとの貴向(あなたの問いかけ)は重大問題にして短簡(簡単)の能(よ)く尽くす所にあらず」と、軍国主義化が進む当

    「軍国主義の世界的瀰漫如何に防ぐかは重大問題」 犬養毅の手記見つかる 大正デモクラシー末期の政治情勢示す - MSN産経west
  • 偽りから生まれる学問 Grafton, Forgers and Critics, ch. 1 - オシテオサレテ

    Forgers and Critics: Creativity and Duplicity in Western Scholarship 作者: Anthony Grafton出版社/メーカー: Princeton Univ Pr発売日: 1990/03/07メディア: ハードカバーこの商品を含むブログ (1件) を見る Anthony Grafton, Forgers and Critics: Creativity and Duplicity in Western Scholarship (Princeton, NJ: Princeton University Press, 1990), 3–35. 西洋文化における文書偽造の伝統を扱う基書である。著者は文書偽造を断罪しない。むしろその反対のテーゼを提出してみせる。人を欺こうとする偽造者の努力と、偽造を暴こうとする者の努力が合わせ鏡のよ

    偽りから生まれる学問 Grafton, Forgers and Critics, ch. 1 - オシテオサレテ
  • 釈迦の生誕年が早まる可能性も、ネパールの遺跡で新発見

    ネパールのルンビニ(Lumbini)にあるマヤデビ(Maya Devi)寺院で、釈迦(しゃか)が生まれたとされる場所の地下壁を前にして瞑想する巡礼者たち(撮影日不明、資料写真)。(c)AFP/NATIONAL GEOGRAPHIC/IRA BLOCK 【11月26日 AFP】インドとの国境に近いネパール南部のルンビニ(Lumbini)で、仏教の開祖である釈迦(しゃか)が生まれたとされる場所で木造建築物の痕跡が新たに見つかった。これは紀元前6世紀頃のものとみられ、考えられていたより2世紀も早く釈迦が生きていたことを示す証拠であるかもしれないという。考古学者らが25日に発表した。 古代の宗教的な木造建築物と考えられたこの遺構は、仏教徒にとって非常に重要な寺院であるマヤデビ(Maya Devi)寺院の敷地内で発見された。 レンガ造りのマヤデビ寺院とデザインの面では似ているものの、この遺構には何も

    釈迦の生誕年が早まる可能性も、ネパールの遺跡で新発見
    minesweeper96
    minesweeper96 2013/11/26
    「考えられていたより2世紀も早く釈迦が生きていたことを示す証拠であるかもしれない」
  • ssig33.com - この画像なんなの?

    この画像がなんなのかということについて気にしている人がいるようなので、解説します。 これはブラジルさんという著名なプログラマが、仕事中に無修正エロ画像をリブログしまくって仕事をクビになった報告をしたエントリに載っていたものです。当該エントリはもう消えて残ってません。 それ以来 IT エンジニア退職エントリを書く時はこの画像を掲載するのが伝統的なしきたりになっています。 back to index of texts Site Search

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