宮崎駿の風立ちぬの一場面。学生時代の主人公たちが、学校近くの縄のれんで山盛りの丼飯を食べている場面です。 若いから山盛りの丼飯を食べているのではありません。三食山盛りの丼飯を食べるのが、戦前の都会の成人男子の平均的な食事量でした。 https://t.co/pPYBlMfTOm
pipin69 @pipin69peko @gyutei_4koma 昔は今ほど流通も保存技術も発達してなかったから、どこでも高品質で美味しい味噌が手に入るなんてことはなかったんでしょうね。 2018-03-24 08:32:43 HK_初台 賢(はつだい けん) @hk_seven_worlds @gyutei_4koma @hollyhockpetal うちの父親が味噌汁が嫌いなのは「しょっぱいだけだ」ということのようで、子供の頃飲んだ味噌汁がまずかったからだと。 だから今の味噌はものによって添加物とか化学調味料とか相当入ってはいるけどうまいということのようです。 2018-03-23 19:53:22
まとめ 炊飯器だけで簡単!モロコシ飯のレシピ「焼きおにぎりなどアレンジもおいしい」 作って食べるためにまとめました。炊飯器だけで作れるところもグッド。 13572 pv 71 5 users 288 きなこ @3h4m1 数日前実家の98歳の祖母に「とうもろこしご飯を作ったら息子が思いの外よく食べる」という話をしたら今日 「農家を実家に持っているのに代用食を長男や夫にたべさせるなんて申し訳ない」 という達筆の手紙と共に米30kgが送られて来た。祖母の戦争が未だ終わってない、切ない。 2017-07-03 17:38:56 きなこ @3h4m1 @ttagu0x0 祖母は戦中疎開して来た親戚縁者を食べさせるのに大層苦労したようで、今のとうもろこしご飯はバターもはいって美味しいのよ!と言っても「きなこちゃんごめんなぁ、ばあちゃんに言ってくれたら..」しょんぼりしていて切ないです。違うねんばあち
これは必見! “讃岐うどんの近代史”は「足踏み禁止」から始まりました。 昭和40年(1965年)本場讃岐に大事件が発生! 永い歴史を伝承されてきた讃岐うどんの名声も、今でこそ当然のように思われていますが、この繁栄の陰にはとんでもない事が起り、逆にその事が現在の大発展に繋がったという『讃岐うどんの近代史』をご紹介します。 ●昭和43年頃の「足踏み風景」 (25kgの小麦粉を担ぎ足踏みしている) 当時は、大量にそして短時間に製麺する為自分の体重を重くして足踏みする光景が多くみられた。 また当時は家内労働が主であり、女性や子供はリュックサックに本等を入れ自重を重くして作業をしていた。非常に重労働でした。 今から45年前(昭和40年)、香川県に於いて讃岐うどん製法の最も重要とされる「足踏み」を禁止するという大問題が発生しました。 何故、大切な足踏み作業が禁止されたのかと言うと、当時県外より多くの投
日本人は卵を年に329個食べているそうだ。ほぼ1日1個。メキシコ、マレーシアについで世界第3位だという。 「卵、そんなに食べてたっけか」と、驚く人もいるだろう。でも、実感がわかないとしても、それなりの理由は思い浮かぶ。 卵料理はあまりに多様なため、卵を摂っている意識が起きにくいのだ。茹でる。混ぜてから焼く。そのまま焼く。生でかける。炒める。とじる。そしてほかの食材と混ぜあわせる・・・。 仮に、卵の食べ方が「茹でる」だけなら、「ほぼ1日1個」の意識はもっと強まったにちがいない。 そんな卵を、昔の日本人はほぼ食べていなかったという。これも驚きだ。卵がなかったわけではないのに、である。卵をほぼ食べなかった時代から、これほど多様な形で卵を食べる時代へ。その変わりぶりに理由がないわけがない。 そこで、食べ方の多様化がどうして起きたのかという興味をもちつつ、今回は卵に目を向けてみた。 前篇では、日本人
● 元々は、「さつまいも = 八里半」 江戸時代(宝永の頃)、京都に焼き芋屋さんが登場したそうです。 その焼き芋屋さんの看板には、「八里半」の文字が。 当時、さつまいもは蒸し芋で食されていたようなのですが、焼いたさつまいもが栗の味に似ていたことから 「栗(九里)にはやや及びませんが」という洒落で「八里半」と名付けた、ということのようです。 ● 江戸で「十三里」にグレードアップ!? 江戸時代(寛政の頃)、焼き芋は江戸にも伝わり、京都と同じように焼き芋屋さんは「八里半」の看板を掲げたそうですが、江戸は小石川の焼き芋屋さんが、「十三里」と名付けたところ 「栗(九里)より(+四里)うまい十三里」という洒落が江戸っ子にウケて評判を呼び、今で言うところの大ヒット商品となり、それから「さつまいも=十三里」となったようです。 また、当時美味しいさつまいもの産地として知られていた川越が、江戸から十三里(約
イギリス料理がマズいのにはちゃんと理由がある 「イギリスで食えるものは、イングリッシュ・ブレックファーストくらい」 というのは、世界中の人が知ってる有名なステレオタイプです。 「最高の人生と最悪の人生」のジョークに使われたりもしてます。 最高の人生とは、アメリカ人の給料をもらい、イギリス人の家に住み、日本人の嫁を娶り、中国人のコックを雇うこと 最悪の人生とは、中国人の給料をもらい、日本人の家に住み、アメリカ人の嫁を娶り、イギリス人のコックを雇うこと 最近は外国の料理を取り入れたブリティッシュ・フュージョン・スタイルが人気で、食通の舌を唸らす品質の高いレストランも多く出てきており、ロンドンは他のヨーロッパ諸都市にも劣らないグルメ都市に生まれ変わろうとしています。もはやイギリス料理がマズいのは過去の時代の話である、と。 ただそれもやっぱり、「イギリス料理がマズい」という前提があるから成り立つの
1.はじめに 昨年12月に、「和食」がユネスコ(国際連合教育科学文化機関)の無形文化遺産に登録されました。 私個人は、この件に関して複雑な印象を抱いております。日本の食文化が世界的に評価されたことは喜ぶべきだと思いますが、この件が一部の偏狭な「和食原理主義者」や「食の排外主義者」に利用される可能性があるからです。 「和食」は「伝統的な日本の食文化」であると定義されていますが、これは非常に曖昧な定義です。「伝統」とは一体何でしょうか。「和食」は「伝統的」に世界に自慢できるほど豊かだったのでしょうか。今回は、「和食」と「伝統」の関係について、とある有毒植物を例として考えてみたいと思います。 2.ヒガンバナはどう利用されてきたか ヒガンバナは恐らく中国を原産地とする植物で、日本に人為的に導入されたとされています。水稲栽培の技術を有する人々の手で持ち込まれたのでしょう。水田の周りなどに群生しており
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