日刊スポーツの大型連載「監督」の第7弾は阪神球団史上、唯一の日本一監督、吉田義男氏(88=日刊スポーツ客員評論家)編をお届けします。伝説として語り継がれる1985年(昭60)のリーグ優勝、日本一の背景には何があったのか。3度の監督を経験するなど、阪神の生き字引的な存在の“虎のビッグボス”が真実を語り尽くします。 ◇ ◇ ◇ 1984年(昭59)10月14日、日曜日。阪神は次期監督の最有力候補だった西本幸雄との深夜の交渉で、いきなり切り札をだした。電鉄本社トップで社長の久万俊二郎が直接出馬して口説いたが、西本が首を縦に振ることはなかった。 10月16日、火曜日。西本にわたりをつけた西梅田開発室長だった三好一彦は「次もだれにも気づかれないように、朝駆けで西本さんの自宅を訪ねました」と久万と2人で2回目の極秘交渉を試みた。 「この前(14日)は失礼しましたから始まって、こちらは食い下がっ