宇野常寛&更科修一郎『批評のジェノサイド』読。この人たち(と言っても宇野氏の方か)の方が内ゲバ感、ものっそ高くて驚いた。誰が支持者かとかはそれ自体どーでもよくて、ちゃんと内実ある「反論」とかをして欲しい。下北沢再開発反対運動と「つくる会」を一緒にされてもなあ。
【批評家・宇野評】 ★★★☆☆☆☆☆☆☆ 空回り感が否めないファンタジィ 気合が空回りしているのかとにかく冗長。この程度の内容で2時間超えはないだろう。 そのへんからして「子どものための」「良心的な」作品という皮をかぶった大人の慰みものの匂いもしなくはない。 テンプレ通りの「田舎の夏休み」「ピュアな子どもたち」もアレだが、特に脚本には問題が多く、中盤のダレはもちろん、 終盤の安っぽい説教も完全に足を引っ張っている。背伸びして児童文学気取る前に、アニメで非日常を構築することの意味を考え直すべき。 【美術家・黒瀬評】 ★★★☆☆☆☆☆☆☆ いろいろ不合格...... 同じ舛成監督と倉田英之脚本による『かみちゅ!』では、神道的想像力とジュブナイルがスマートにミックスされていたのに対し、 最高の人材と手間暇と予算が投入された今回は、いまひとつ何を目指したのかがわからない。 主題として非常に似通って
1979年にテレビアニメ化された『赤毛のアン』。その物語の冒頭を高畑勲監督自身が再編集をし、劇場版に。知られざる名編集版、2010年7月17日、ついに劇場公開! 『赤毛のアン』は戦後日本において特異な存在感を放つ少女小説である。モンゴメリの原作は少女文学の古典、不朽の名作として世界的に認知されているが、日本における受容は少し変わっている。国内におけるアンの受容は、原作がベストセラーになったモンゴメリの存命時から数十年を経た戦後期にむしろピークを迎えており、70年代末の高畑勲によるテレビアニメ版により決定的なものになった。約半世紀のブランクを経て、『赤毛のアン』は日本の文化空間に定着したと言え、そして先進各国を比較しても日本における同作の人気は非常に高い。「戦後の女性の自己形成に非常に大きな役割を果たした作品」という評価も定着しており、児童文学/少女小説のものとしては先行研究も多い。そしてそ
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