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ジジェクに関するChieOsanaiのブックマーク (3)

  • 上野千鶴子さんにジジェクのことを質問してみたこと、あるいは性被害を語るときの問題(読書日録より) - やすだ 😺びょうたろうのブログ(仮)

    某月某日 呉智英『知の収穫』に収録されている「読書日録」のなかに、石光真清『城下の人』について述べた次のようなくだりがあった。 「このには、著者の年齢を始めいくつかの不自然な点が散見する。だが、このことは証言につきものの錯誤や主観性の表れであり、かえって興味深い」 これで思い出したのが、ジジェクがレイプ被害者の証言について『暴力 六つの斜めからの省察』で次のように書いていたことだ。 暴行された女性の報告(あるいは、なんであれトラウマをめぐる語り)を誠実なものにするのは、事実を知るうえでの頼りなさ、報告にみられる混乱、矛盾である。もし犠牲者が自分の痛ましい屈辱的な経験について、証拠を矛盾なくつなぎ合わせ、明晰に報告できたとしたら、われわれはこうした特質自体によって、語られた真実そのものを疑わざるをえなくなるだろう。 (中略) その不完全さは、報告された内容が報告の様態を「汚染した」ことを示

    上野千鶴子さんにジジェクのことを質問してみたこと、あるいは性被害を語るときの問題(読書日録より) - やすだ 😺びょうたろうのブログ(仮)
    ChieOsanai
    ChieOsanai 2019/06/22
    “「『ナショナリズムとジェンダー』を知らず不勉強でした」と云ったら上野さんに「いえジジェクのほうが私より有名ですからね。ジジェクのなんという本ですか?」と尋ねられた”
  • Toward the Sea : フェミニズムと精神分析の齟齬―――ジジェク「レイプ・ファンタジー」をめぐって

    読書ノート(ほとんど引用からなっています)◆まず前段、「幻想」をめぐって(ジジェク『ラカンはこう読め!』 鈴木晶訳 より) 人間の主体性を特徴づけているのは(……)外部と内部を隔てている差異、つまり幻想がその最も基的レベルにおいて主体にとって接近不能なものになるという事実である。ラカンの言葉を借りれば、主体を「空虚」にするのはこの接近不能性なのである。(……) 生起する諸現象は、主体の現象なのではなく、主体にあらわれる現象である。そこに主体が含まれていないということではない。だが主体はまさに排除され、分割され、彼あるいは彼女の内的経験のいちばんの中核を担えない審級になっている。 ここでは、まず一般的なラカンの他者と欲望をめぐる叙述を「セミネール不安」から引用しておく〔ラカンは自らのことを<私>とせず<ラカン>といって語っている)。ラカンにとっては、言わしていただければ、ラカンは分析家です

  • 吉川宏志とスラヴォイ・ジジェク - 内田樹の研究室

    入試の採点が当たっているので、昼過ぎに出勤。 採点を終えてから、「メディアと知」のレポートを読んで、成績をつけて提出。 後期の仕事がこれで終わる。とりあえず形式的には今日から春休みである。 とはいえ、私にはその間もほとんど休日はない。 机の上にはゲラが4つ積み上げられている。そのうち二つは今週中に返送しなければならない。 これを送り出しても、近日中にさらに3つ4つゲラが届くことになっている。 ということは、夏前には6冊ほどが出るということである。 何の因果でこんなにたくさんを出さなければならないのであろうか。 しかし、それは真夏に「暑いよお」と泣訴しているのと同じで、言っても何もならないのである。 わかっている。 黙って働こう。 吉川宏志さんという若い歌人の書いた『風景と実感』(青磁社)というが届く。 帯文を頼まれたので、ゲラを読んで、暮れに短い推薦の言葉を書いた。 知らない人の書い

    ChieOsanai
    ChieOsanai 2010/10/11
    ラカンはぜんぜん「真率」じゃない件について
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