阪神、巨人との三つどもえから抜け出す「劇薬」になったのは9月18日、バレンティンの復帰だった。「劇薬」とあえて書くのは、チームの根本を揺るがす危険性をはらんでいたからだ。 5月に左太ももの手術を受け、米国でマイペースに調整してきた。再来日後は2軍戦2試合で6打数無安打3四球。打てないだけならともかく、守れないなら投手のリズムを崩し、走れないなら機動力を生かしてきた打線が分断される恐れがあった。チーム一丸の輪を乱すのではないか…。 復帰戦の試合前ミーティング。作戦担当コーチの三木が野手を、投手コーチの高津が投手を集めて、語りかけた。 「バレンティンはまだ100%じゃない。守備や走塁で『アイツじゃなければ…』というプレーが出てくるかもしれない。でも、優勝するために必要だから呼んだ。受け入れてほしい」 当たり前のことを当たり前にやる、という意識を徹底してきたチームでの特例。野手の輪の中で「何か言
昨年9月。監督就任を打診された真中満は、一つだけ条件を出した。自分の右腕に、三木肇(当時2軍内野守備走塁コーチ)を据えたい。 「現役時代の付き合いから彼の野球観を知っていた。それが面白いし、いろいろなアイデアがあると思っていた」。現役時代から、ほぼ毎日、食事をともにし、野球観も一致していた。三木は作戦兼内野守備走塁コーチに昇格した。 9月13日の中日戦(ナゴヤドーム)、2-2の九回一死二塁で、二走・三輪が田島の暴投で三進。直後、ベンチは打席の中村にスクイズのサインを出した。中村は外角のスライダーを空振り三振。三輪も挟殺された。 引き分けに終わった後、真中は「(勝ち越した状況で)九回にバーネットを投げさせたかったので、何とかしたかった。相手も無警戒だと思った」と説明。三木は「監督と考えが一致した」と振り返った。共有する野球観があるからこそ、失敗を受け入れ、次に生かしてきた。 三木が「キャッチ
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