タグ

ブックマーク / dokushojin.com (5)

  • 対談=稲葉振一郎×金子良事  「新自由主義」議論の先を見据えて  『「新自由主義」の妖怪 資本主義史論の試み』(亜紀書房)刊行を機に|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」

    書は稲葉さんによる新自由主義の捉え直しがコンセプトにありますので、新自由主義というものどう見るのかという点を、少し議論していきましょう。 書で新自由主義のことをあれこれ論じる以前から、この言葉には実体がないし、意味する部分もあまりに広範なので、これは市場経済のあり方そのものを批判したい人たちが、気に入らない言論にレッテルを貼っただけのものに過ぎないのではないかと認識していました。

    対談=稲葉振一郎×金子良事  「新自由主義」議論の先を見据えて  『「新自由主義」の妖怪 資本主義史論の試み』(亜紀書房)刊行を機に|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
  • 佐藤淳二「68年から人間の終わりを考える」/小泉義之「1968年以後の共産党」

    (ソルボンヌ中庭の)パスツール像の傍らで語りあう学生たち。1・3面掲載の写真は、故・西川長夫が68年当時撮影。現在は京都大学人文科学研究所に寄贈され、以下のサイトで閲覧可。http://www.zinbun.kyoto-u.ac.jp/archives-mai68/index.php。またキャプションは、西川著『パリ五月革命 私論―転換点としての68年』(平凡社新書)による。 西川長夫による写真詳細説明 右手には「各国のプロレタリアよ団結せよ」の文字が読みとれる。写真には写っていないが、その右には毛沢東の大きな写真が二枚掲げられている。マオ派のグループであろう。(西川長夫『パリ五月革命私論』176頁より、以下同) 1968年「5月革命」から50年、フランスでは回顧する催しやマスコミの特集が相次いでいます。当には思い出せない記憶を、英雄を祀る霊廟(パンテオン)に収めるように、お決まりのよう

    佐藤淳二「68年から人間の終わりを考える」/小泉義之「1968年以後の共産党」
  • 貧困の発明 経済学者の哀れな生活 書評|タンクレード・ヴォワチュリエ(早川書房)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」

    貧困の発明』というタイトルに「経済学者の哀れな生活」なる副題。帯には「トマ・ピケティ絶賛!」という惹句とともに「これまでに読んだいちばん可笑しな小説」という彼の推薦文が躍っている。 見るからに経済学を題材にした小説のようで、実際そうなのだが、中身は予想されるものとはたぶんだいぶ違っている。書き出しの一文はこうだ。 「ジェイソンの勃起した性器の写真があちこちの研究室で回覧されはじめたのは、八月、彼が最新のを連れてポリネシアへクルーズに出かけていたときだった」 ジェイソンが旅行から戻ると「縦五メートル横二メートルに引き伸ばされた自分の性器の写真が研究所の正面に掲げられていた」。ただしこの哀れなジェイソンは主人公の経済学者ではなく、サブキャラの海洋生物学者だ。 主人公の名前はロドニー。コロンビア大学教授にして世界銀行のチーフエコノミスト、国連の特別顧問でもあるエリート中のエリート経済学者だ。

    貧困の発明 経済学者の哀れな生活 書評|タンクレード・ヴォワチュリエ(早川書房)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
  • 負債論 貨幣と暴力の5000年 書評|デヴィッド・グレーバー(以文社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」

    アナキストを自称する作家による、文献一覧も含めて八〇〇頁を優に超える書は、突っ込みどころ満載で、どこから読んでも面白く、また賢くなった気にさせてもくれる、再利用可能な教科書―素材集である。 原題は冠詞ぬきの〈負債Debt〉で、その意味で書は、負債の一般理論を、しかし、ヨーロッパが血塗れのその手で画定したみずからにとっての他者をみずからの一部として併呑した欺瞞の地政空間の五〇〇〇年に限って、目指している。さて、その成否は? 恩師には関係ないだろうが、シカゴ・スタイルであればこその膨大な巻末文献を資料として用い(その利用程度が測れる索引が削除されたのは残念だ)、冒頭に措かれた理論的部分(第1~5章)を結論とするために配備された、だが何れにせよ通時的にモデル化されるほかなかった歴史叙述(第6~11章)の(軽快な?)華やかさは、労働力商品も含めた〈商品―貨幣―資〉とその丸ごとの商品化(所有の

    負債論 貨幣と暴力の5000年 書評|デヴィッド・グレーバー(以文社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
    ChieOsanai
    ChieOsanai 2017/09/03
    相変わらずの悪文
  • 絓秀実・鵜飼哲 「共和制という問いの不在」|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」

    2月23日、東京・新宿の紀伊國屋書店店で、絓秀実『タイム・スリップの断崖で』(書肆子午線)刊行記念トーク・イベント「共和制という問いの不在」が開催された(絓秀実・鵜飼哲/進行=綿野恵太)。討論を載録させてもらった。(編集部) 日のテーマ「共和制という問いの不在」について説明します。カさんは最新刊『タイム・スリップの断崖で』で次のように書かれています。「日においては、自由民権運動から「大正デモクラシー」にかけて、あるいは、「戦後民主主義」においても、「民主主義ってなんだ?」という議論はなされても、共和主義が俎上に上ることは少なかった」(二九九頁)。この言葉を受けて、今回の対談は企画されました。まずは鵜飼さんに、の感想も含めてお話しいただきたいと思います。 カさんのこのごにはめくるめく思考と観察が凝縮しています。三〇〇頁の中に十二年という時間が凝縮されている。これほどの期間を対象にク

    絓秀実・鵜飼哲 「共和制という問いの不在」|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
  • 1