地図といえば世界地図とか住宅地図とか、最近だとグーグルマップを思い浮かべる人も多いだろう。 だけどこれらは全部正確な地図である。 世の中には正確じゃないかもしれないけど、その代わりに読んでもっと面白い地図があるのだという。 それが今回紹介する「手書き地図」です。
「陸軍所轄」「海軍所轄」「師團司令部」。 戦時色を強く感じさせる施設の地図記号が、凡例の上の方に記載されている。これが発行された昭和7年は、満州事変の翌年で、日中戦争開戦の5年前。地図記号ひとつとっても当時の時代背景がみてとれる。 ただ、軍の関連施設を地図に載せちゃっていいもんなんだろうか。敵に場所がばれちゃうんではないかと思うが、調べてみると重要な軍事施設を地図上に偽って記載する「戦時改描」が行われたのは主に太平洋戦争開戦後で、この頃はまだ実情に基づく地図だったようだ。 戦時中は、たとえば軍の火薬庫などは桑畑などに偽って記載されたそうだ。改描が行われる少し前のリアルな地図はある意味、貴重な史料かもしれない。
福島県が、新潟県と山形県の間に細長く続いているのが見みえると思う。三国茶屋のあたりから飯豊山(いいでさん)の山頂を経て御西茶屋までが福島県の領土だ。 こういった細長い県境をぼくは勝手に「盲腸県境」と呼んでいる。 県境ではなく、市境ではあるけれど大阪市にも似たような所があり、すでにライターの大山さんが記事で紹介している。 このような盲腸境界は全国にいくつかあるのだけど、県境でこれだけの規模のものはちょっと珍しい。 「これだけ幅が狭いと、片足づつ山形県と新潟県において、福島をひとまたぎできるかもね、アハハ」なんて冗談はよく言うのだが、標高2000メートル近い山にわざわざ行ってそんな冗談をほんとに実行するひとはいない。 ただ、そんなことするやついないだろうなーと思うと、逆に行ってやってみたくなる。というか、むしろ県境マニアとして、どうしてもやりたい。 というわけで、僭越ながら私めが実際に行って写
架空の地図を作る、という趣旨の本を読んだ。 面白そうだからぼくも作ってみようと思ったときに、はたと気づいた。たとえば学校の形1つにしても、よくあるパターンなんてものが頭にないから、適当な形すら描きようがない。 まずは架空じゃない地図をちゃんと見てみようと思った。
駅前や道路沿いにある地図の案内板。 みんなが「ここに行こう」と指でさしすぎて、そこだけ汚れていたり、塗料がはげていたりすることがある。 そこはきっと、迷いながらも多くの人が目的とする場所なわけで、つまりはその土地の人気スポットに違いない。 実際何があるのか見に行く事にした。
渋谷駅の地下はダンジョンのようだとよく言われる。階段を下りてみたら意外なところに出ることもしばしばだ。 それは僕だけではないようで、いかにも渋谷というファッショナブルな人たちもうろうろ迷っている。 あの階層構造がわかる三次元の地図があるべきではないのか。そうすれば渋谷駅地下も把握できるに違いない。
電車の乗り換えはかったるい。なるべく少ないほうがいい。 といっても、たとえば都内の移動で10回も乗り換えなきゃならないってこともない。 実際のところ、どれくらい乗り換えればいいものなのか?調べてみました。
今まで何回か県境にまつわる記事を書いてきた。あるときはくびれた県境を見に行ったり、またあるときはショッピングセンターの中にある県境を見に行ったりしてきた。 しかし、県境は見た目でわかるというものではなく。「県境を見に行く」というレクリエーションはだいたいにおいて「境目は見えないけれど、ここが境目だと思うとテンションがあがる!」という形而上的な興奮や感動であるため、写真などのビジュアルでは伝えにくいというジレンマを抱えている。 ※以下都県境は県境と表記します
最初にいっておこう、今回の記事は地味だ。ちょう地味だ。 まあ、ぼくの書く記事が派手だったためしはないけど、それにしても今回のはひどい。今書いていて自分で途方に暮れるぐらい地味だ。 でも楽しかったんだよなー、短冊地割り。
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